入賞

「今だから思うこと」

外国語学部 中国語学科 2年次生 田島 匡

審査員講評

 筆者が原発問題に焦点を絞って論述を試みている点に見るべきものがある。そして、現在の原発廃絶運動に対しても、日本の電力エネルギー供給の多くを占める原発を早急に廃絶することは現実的ではないとし、多くの無駄な電力消費を節減することで、無理をせずに1基でも減らせるようにしたいという提案にも、一定の説得力がある。

 ただ、田中正造氏の話は本題から逸れている感があろう。筆者としては、広い意味では資源の確保とそこから生じる危険性の問題という点に共通性を見出したのかもしれないが、本来的には、この原発問題に関して、国民の生活を真剣に考えるべき政治家はいかにあるべきかという方向からさらに考察を深めていくアプローチが望ましかったように思われる。

作品内容

「今だから思うこと」田島 匡

 地震が起きた。そのとき僕はベッドで寝転がっていた。午後3時頃だった。突然揺れた。三重県にいたのでとても大きいというわけではなかったが嫌な予感がした。テレビがついていた。そこには今まで見たことのないような津波が街に覆いかぶさっていた。その様子についてなにも言えなかった。僕は特撮映画が大好きで街が破壊されるのを何回も映像の世界で見てきた。しかし、今回はそんなものではなかった。三重県から東北地方はとても離れている。しかし、本当に怖かった。がくがく震えた。そして、さらに恐ろしい問題が発生していた。原発事故である。

 僕が初めて原発を詳しく知ったのは恥ずかしながら高校生の頃である。たまたま、新聞か何かで読んだ。読むと恐ろしいことが書いてあった。原発で電気を起こす時に、放射線が発生するがそれは体にとても悪いということである。放射線が体に悪いというのは知っていたが、原発と関係しているとは思ってもいなかった。さらにたまたま夜遅くテレビを見ていたら、やっていたのだが、電気を起こすと放射性廃棄物ができるそうである。しかも今のまま電気を起こし続けると五年後、十年後に、十倍から百倍の放射性廃棄物がでるそうである。しかも処分する方法は埋めるしかないそうだ。地中深くに埋めたとしてもじわじわと放射性物質が地上にのぼってくるかもしれない。そもそも日本は小さな国なので、埋める土地がとても少ない。もし埋める場所が決まっても国民が反対するに決まっている。もちろん僕だって三重県に埋められるのは嫌である。チェルノブイリ事故について何回も学校の社会でならった。原発事故で、人々が住めない状態になったのである。その原発が日本にもある。もし、原発事故が日本にも起きたら国自体が滅びてしまうのではないかと少し不安になった。こんな穏やかな日常生活がなくなってしまうのだろうか。まだ高校生だったがそんな事を考えていた。でも、原発事故なんて起きるわけがないだろうと思っていた。現実は違った。想定外の事が起きてしまった。思ったよりも早く。

 日本は世界で唯一戦争で原子爆弾が落とされた国である。三月一一日に地震が起きてから、考えるようになった。言ってしまえば、いまさらである。地震が起きるまではこのような事を考えた事がなかった。全国でも原発廃絶運動が活発になった。しかし、原発廃絶運動を否定するわけではないが、本当に原発は廃絶できるのだろうか?日本国内のエネルギー量の割合で原子力発電所は三割をしめているそうである。三割といえども、なくなれば大変なことになる。僕は、自分に何が出来るかを考えてみた。節電である。そこで思いついたのは、夏に家ではクーラーと扇風機を使わないということである。一日目から大変だった。夏は本当に暑い。しかし、我慢した。勉強がまったく捗らなかった。なんとかクーラー、扇風機を使わない生活をおくった。本当だろうか?僕は、叔父と二人暮らしのため大阪に住んでいる。叔父は、僕がクーラーや扇風機をつけないので、自分の部屋だけガンガンとクーラーをつけていた。僕は、叔父がお風呂に入ったらこっそり部屋に侵入してクーラーにあたりに行った。やっぱり達成できなかった。自分がいる部屋だけクーラーをつけないだけでは、まだまだあまいなと思ったし、こんな大変な事ではなくてもっと楽な方法で節電しなければならないなと思った。もっと楽な方法とは?ちょっと考えてみた。最初に思いついたのはクーラーである。さっき無理と書いてあったではないかと思われるかもしれないが、クーラーのつける時期である。大学に行くとまだ五月なのにちょっと暑いからといって、もうクーラーをつけている。早すぎだと思う。これはさすがに我慢できる気温なので我慢すべきである。次に思いついたのは街に見られる看板や電光掲示板である。街で見かけるとよく思うのだが、派手すぎると思う。特にパチンコ店は、あまり人が見ていないのに派手である。そういう必要のない電気をもっと減らすべきである。他にも夜更かしをしない、誰もいない部屋のクーラーや電気を消す、本当に見たいテレビだけを見て、代わりに読書をするなどなど、まだまだ自分達にできることはたくさんある。節電により電気の使用量が減れば脱原発も可能になるかもしれない。無理をせず少しずつ挑戦して、日本にある原発を一基でも減らせるようにしたい。

 地震により東北地方は、とてもひどい状態になってしまった。完全に復興するには何年かかるかわからない。阪神大震災の時もひどい状態だったが見事に復興した。日本は力のある国だと思った。しかし、今の政府の状態を見ると地震で大変なのに団結をせずに口論ばかりしていると思う。他にも大臣になるまではよかったが問題発言をして数名が退任した。たしかに、問題発言は駄目だが責任の取り方が間違っていると思う。辞めるのではなく、何かを実行してほしい。辞めていては新しい大臣を決めなければいけないし、それだけ時間もかかる。今の政治家はお金を稼ぐことしか考えてないようにみえる。全ての政治家がそんなわけではないと思うが、お金ではなく国民の事をもっと真剣に考えてほしい。昔の政治家に田中正造という人がいた。彼は足尾銅山の鉱毒問題で村民のために、天皇にまで直訴をしたそうである。昔にそこまでするのは、命がけである。僕はそんな政治家が現れることを期待している。期待しているだけでも駄目である。僕たちにできることは選挙に行く事だと思う。今の若い人達は選挙に行く人が少ないそうである。選挙に行かないのに、あの政治家は駄目だと文句ばかり言う。それでは日本は変わらないと思う。多くの人が選挙に行き本当に素晴らしいと思える人に投票してほしい。そして日本が大きく変わることを願ってやまない。

 今年は本当に考えさせられる年になった。僕は、勉強が苦手でちっとも成績が上がらないので、大学を辞めることばかり考えていた。自分は情けないなと思った。東北の人たちは、成績が上がらないなんて苦しみどころなんかじゃない。津波により学校が勉強できない環境になり、子ども達は悲しいし、苦しいと思う。勉強ができるということは幸せなのだ。難しい授業は周りがうるさかったり、自分も寝てしまったりと時間を無駄にしているので、今勉強できることに感謝して生活を改めなければならない。僕は長い間生きてきて、一度もこんな経験をしたことがない。僕より若い子ども達が苦しい思いをするなんて僕はものすごく悔しい。東北が地震が起きる前のあの美しい街に一刻も早く戻れるように、自分に何ができるか考えていきたい。そして、東北の人、全国の人、みんなが笑顔で明るくなれるような世の中をつくっていきたい。何となく今生きている時や、自分さえよければいいという感覚になってしまうがそれではだめだ。日本がなくなってほしくない。こんな世の中じゃ駄目だと思った人達によって江戸時代から、明治時代にかけて日本は大きく変わった。もう一度そのような変革を起こす時がきたのかもしれない。新しい社会のために。それが現代を生きる人々の使命なのだ。

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