優秀賞

「東日本大震災と私の誇り」

法学部 法政策学科 3年次生 尾上 司

審査員講評

 募集テーマは「東日本大震災」であったが、尾上君は同震災と私の誇りをテーマとして本エッセイコンテストに応募してくれた。その内容は、リーダーとして部を担っていくために、ミーティングを実施するという行動を起こした同君が、自分の中に芽生えた行動力に少し誇りを感じていた時に、突然発生した東日本大震災のニュースに接して、自分として何が出来るかを考え、募金をしたことを述べる。そしてほかに出来ることがないことに悩んでいる中で、本学のある授業で先生がおっしゃった言葉に救われた体験を述べる。それは、悩んでいることそのものの大切さに気づいたことである。与えられたテーマについて、自らの立場で何がなし得るのかを真剣に考え、素直に表現しており、本作品は優秀賞に値すると評価できる。

作品内容

「東日本大震災と私の誇り」尾上 司

 3月11日14時46分、その時私は大学の食堂にいた。自分が所属している部活の今後の方針を決めるために、同回生と後輩の合計10名ほどでミーティングを行っていたのだ。来年からは自分たちが部のトップとなり、後輩たちを率いていかなければならないという思いが行動を起こさなければならないという思いに変わり、結果私たちでミーティングを行うということに至った。たかだかミーティングを行うという小さなことであるが、この時の自分の行動力によって、自分の中に少し誇らしさのようなものが生まれていた。自分には行動力があるという自信は、今後私がリーダーとして部を担っていく中で大きな力となるだろうと、そう感じていた。
 いつもとは違い、達成感を感じながら帰宅した私は、テレビニュースで大きな地震があったことを知った。とりあえず自分の住む兵庫県、大学のある京都府の被害状況の確認ということが真っ先に頭の中に思い浮かび、震源地が東日本の東北周辺であることを確認した私はその直後に安堵した。阪神淡路大震災を幼いながら経験した私は、その後の学校の授業などで映像とともにその恐ろしさを学んだ。そのこともあって、近畿圏だったかどうかについて気になったのだ。その後、地震発生時間には大学の4階の高さにある食堂にいたが、まるで揺れを感じなかったことも思い出し、この時部活のことで頭がいっぱいだった私の、この地震への関心はその被害の大きさに気づく前に無くなり、テレビから目を離してしまったのだった。

 私は毎日のニュースや情報は、主にネットから得ることが多く、次にテレビのニュースという順番なっている。テレビを見てから数日後、ネットで震災の話題ばかりが目につくので、どれほどのものかと思い、ページを開いた私の目に飛び込んできたものは、地震ばかりでない津波や原発の情報だった。地震発生直後に大津波が来て、被害状況も明らかにならず、原発は電源が切れて冷却できないという、まさに東北は混乱状態と思わせる内容だった。そのニュースのネットでの反応を見ても、日本がヤバイだとか、チェルノブイリのようだ、などという書き込みがあったことを覚えている。この時から、とにかく詳しく調べて情報を収集して状況を確認しようと思い、テレビを見、ネットもいろんなページを検索してみたところ、地震によって想定以上の津波が起き、津波対策をしていたにも関わらず、それを超えて甚大な被害が出ていることが分かった。テレビの映像では、どのチャンネルに変えても同じ映像が何度も繰り返され、その映像は映画か何かのCGのように、東北の町を津波が飲み込んでいく様子を写していた。ネット上では、私はやっていなかったが、ツイッターからの情報が錯綜しているようで、デマが流れているようだが本当かどうか分からない、という完全にパニックな状況が見てとれた。
 この時に私は、やっと大変なことが起こっているということを理解した。正直に言えば、あまりにも映像が自分の経験とはかけ離れていて、現実感がまるで無かったのだが、何度も繰り返し映像を見ることで、それは確かな現実として受け入れられていった。
 そこからまた数日が経つと、被災地に向けてのボランティアの動きが大きくなってきた。奇しくも日本は既に阪神淡路大震災を経験しているので、この後何が足りなくなり、何が必要となるのかは大体推測ができるようになっていたのである。食料、衣類、寝具、衛生用品、居住スペース、衣料品など様々なものが必要となるのだが、最も必要とされているのはお金であると、私は思った。個人でちゃんと被災地に届くかも分からない物品を送るより、信頼のできる振り込み先で、何にでも使えるお金として送った方が良い、と考えたからだ。ネットにて募金活動をしている企業を探し、その中で自身が口座を持っている銀行が募金を行っていたので、そこへ募金することにした。

 しかし、私がこの日本にとって未曾有の大災害に対して、行ったことはたったのこれだけである。募金はその額の大きさだけが本質ではないということも、津波や原発問題に対して一般人が為す術がなく、専門家の対処を待つべきであるということも、知識や技術の無い者が、勝手に介入してもただ邪魔で迷惑になるから、私を含めそういった人は、募金などの贈り物をするしかないということも、全て自分の中で分かっているはずだった。けれども、何もしなかった、できなかったことの自分への言い訳・言い聞かせが、なんと空虚なことか。自分には原発施設について専門家ではないし、社会人としてお金を儲けて自立した生活をしているわけでもないし、直接被災地へ行って料理を振舞うこともできないのだ。募金することが私にとって今やるべき最善であり、できる最大の援助なのだ。そう思うしかなかった。
 何が行動力であろうか。何が誇りで何が自信であろうか。私の小さな誇りは今回の地震によって簡単に崩れることとなったのである。
 私はそれからというもの、いろいろ頭を悩ませた。善行とはなんなのか、何が偽善であるのか、私のこれまでの行動は一体どちらなのか。納得のいく答えが欲しくて本やネットや友人の話を聞いたりもしてみた。しかしどれも有耶無耶な結果に終わり、結局この疑問に決着はつかなかった。それからは考えるだけ悩みが増えるとの思いから、この問題を遠ざけるようにしていた。そしてこの問題に決着がつくのは大学のある授業の時だったのだ。

 その授業で先生は「今どのメディアでも震災の話題が中心です。しかし今回の件で私が非常に感心したこともあります。被災地への思いというものが人それぞれあると思いますが、君たち学生には何かの援助を行うにはなかなか難しいことであると思います。しかし、そういった学生のような身分の者が被災地へ何もできない無力を嘆いていること、その考えが私の嬉しい、感心した出来事であります。」とおっしゃられたのだ。これを聞いた時には自分の中に何かが閃いたような気がした。私の悩んでいることは間違ってはいない、そう確信できたのだ。  この言葉によって善行であるのか偽善であるのか、ということに答えが出たわけではない。今でもこの境界線には悩むことがあるくらいだ。しかしこの言葉によって気づけたこと、それは、大切なのはその答えを出すことではなく、悩んでいることそのものだったのだ。自分にはこれだけしかできない、しかしもっと何か力になりたい、そういう思いやりの気持ちを超えてそれを実現できないことに苦悩することこそが人間が人間である最高の証明ではないだろうかと私は思う。
 今となっては、あの言葉を聞いた授業がどの授業であったのか、どの先生であったのか思い出すことができず、直接伝えることができなくなってしまったのだが、もし覚えていたのなら感謝の気持ちを伝えたいと思う。
 今も尚、放射性物質の影響や災害に負けない町作りのための復興活動が行われている。そんな中でもし、学生の身分であってもできることが見つかれば、今度こそ行動力を胸に誇りを持って活動したいと思う。また、もし同じ悩みを持ち、葛藤されている方が他にもいらっしゃるのなら、この文を読んで自信を持って自分に誇りを持っていただければ幸いである。

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