第1話

学者たちとの交流

2021年、晩秋、わたし(あさの)は、京都上賀茂本山の京都産業大学キャンパスにいた。頭上にはこの季節特有の澄んで高い碧空が、眼下には錦繍の山々と洛北の街が広がっている。威風さえ感じる天文台とモダンな校舎はどちらも風景の中にしっくり溶け込み、秋の光に包まれていた。

京都産業大学創設者、荒木俊馬はこの地に集う若者たちに何を望み、何を託そうとしたのか。紅葉と陽光に彩られたキャンパスを眺めながら、思う。

熊本に生まれた荒木は児童期から最晩年に至るまで、知への好奇心と探求心を豊穣に持ち続けた人であったようだ。さらに、京都帝国大学(現京都大学)の学生であったころ来日したアインシュタイン博士の講義を聞き、さらに、ベルリン大学留学のさいに博士から直に指導を受けたことも、戦後、世界的な歴史学者トインビー博士と交流を重ねたことも、他の多くの高名な学者たちと触れ合えたことも、荒木の思想、感覚のスケールを深く、広く、大きく培ったに違いない。その知の力を荒木は惜しげもなく”人の育成”に注ぐ。そして、後にノーベル物理学賞を受賞する湯川秀樹、朝永振一郎ら世界的な研究者を育てた。

尊とかりけり

しかし、反面、苦渋も苦難も十分に味わった人生だった。敗戦の年、官職を辞し、京都夜久野に隠棲した荒木はこの地で家族とともに戦後の混乱期を生きることになる。

驚くのは苛酷な日々にも関わらず、荒木夫妻は人情豊かな夜久野の人々との交流を楽しみ、荒木自身は執筆、研究の意欲を些かも衰えさせず後世に残る著作を生み出したことだ。荒木を慕い、その許に若い研究者が集ったのも頷ける。妻京子の「我が夫ながら尊とかりけり」の一言が胸に染みる。


第2話

実社会のために

帰洛した荒木俊馬は、大学創設に着手する。それは想像を絶する困難、苦難の道だったはずだ。その茨道を決意させたものは何だったのか。1965年、京都産業大学第一回入学式における荒木の告辞の中に読み解くことができる。

当時の国内外の情勢に深い危機感と憂慮を示し、「将来の運命を荷負うて立つ指導的若人を育成する最高教育機関としての綜合大学を新しく創立するに非れば、わが国の前途は破滅の一路を辿るやも知れぬ」と述べたのだ。さらに、「基本的人権の尊重と個人の自由の精神に徹し、あくまでも自主的判断に基づき、独自の自由意志に従って行動する人間」を理想的人間像と位置づけ、その形成のため基本的人権と自由精神を徹底的に究明すると断言。さらに、日本経済の底は浅く生産技術の基盤は薄い。国際経済の落伍者とならぬためには科学的合理的産業経営者、独創的科学者、発明的技術者の養成が急務であり卒業後直ちに実社会に役立つ実力を身につけた人材の育成が本学の使命だと明言した。

時代が求める

56年を経た言葉とは思えない。矢となり、刃となり、日本の現在を抉る。学生たちがこのキャンパスで自由な精神とともに基本的人権の尊重を学び、社会での実践力を身につけていくこと、個人としても社会人としても独立し、人を国を世界を支えていく力を蓄えることを荒木は強く望んだのだろう。それは、2022年を迎えようとする今、時代が最も必要としている力ではないだろうか。

当時日本では数少なかったコンピュータシステム(TOSBAC)の導入を荒木は「次世代への贈り物だ」と言った。最新の教育環境を学生に与え、可能性を伸ばし、社会に送り出す。若者への深い信頼と期待が宿る一言だ。


第3話

未来へ

初代総長である荒木が打ち立てた建学の精神は、京都産業大学の礎となり、脈々と受け継がれ、多彩な人材を世に送り出す原動力となっている。第一回の入学式で、荒木が訴えた憂国の至情—それは日本一国に留まらず、世界に向けられていた—は古びることも褪せることもなく、むしろ、今の社会への警告ともなっているようだ。そのことを京都産業大学現学長、黒坂光にぶつけてみた。

開学のころも今も、一見、繁栄ともとれる世相の陰に不安と閉塞感が満ちている。だからこそ、未来を拓いていく人材が要りようなのだ。ダイバーシティ、多様性を知り認めるとともに、自分自身を主体として思考し行動できる。現実的な経験を積み、視野を広げ、地に足のついた社会人として生きる。産と学が連帯し、そんな人材を育てていかねばならないし、育てていく。それは時代がどう移ろっても、変わらない我が大学の根幹だ。穏やかな口振りながら、揺るがず語る黒坂の話に耳を傾けながら、わたしは一度として耳にしたことのない荒木俊馬の熱のある声を聞いた気がした。「きみたちこそが宝であり、未来であり、希望だ」と。

むすびわざ

黒坂は続いて〝むすびわざ〞〝むすぶひと〞という言葉を口にした。大学と産業、人と人、学びと実践。そして、夢見る力(ロマン)と現実に挑む力。二つを結び付けることで新たな価値や技術や理論を生み出していく。そういう意味のある言葉だとか。分断や排除でなく、結び付くのだ。「それも荒木先生の遺した精神、神山スピリットなのです」と、黒坂は笑んだ。

キャンパスを去る間際、振り返ったわたしの目に、天文台のドームが鮮やかに輝いて見えた。

プロフィール

作:あさの あつこ

作家。1954年岡山県美作市生まれ。青山学院大学卒業。 岡山市にて小学校の臨時教諭を勤めたのち、作家デビュー。 「バッテリー」で第35回野間児童文芸賞受賞。 「バッテリー」全6巻で第54回小学館児童出版文化賞受賞。 「たまゆら」で島清恋愛文学賞受賞。 著書に「NO.6」シリーズ、「THE MANZAI」シリーズ、 「グリーン・グリーン」「えにし屋春秋」「風を結う」など多数。

画:乾 久子

美術家。1958年静岡県生まれ。東京学芸大学大学院修士課程修了。イメージからイメージへと広げるドローイングを制作の基本とする。2021年「ことばのまわり~船とゆく~」静岡県アーツコンベンションセンター、2007年 Der Erlebnis der Linien ギャラリーMeta Weber (ドイツ) ほか多数。

また、今から40数年前、京都産業大学創設者であり初代総長の荒木俊馬と、荒木の著書である「大宇宙の旅」について手紙のやりとりをした当時中学二年生の少女がいた。その少女は乾氏本人であり、現在は芸術の分野で活躍、今回の挿絵を担当する。荒木と乾氏のエピソードについては以下の「星をむすぶ物語」をご覧ください。

朝日新聞大阪本社版掲載:第1話 2021年12月26日/第2話 2021年12月30日/第3話 2022年1月8日

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