17. 城州江州土砂留場繪圖


写本彩色 江戸後期
竪帳(五つ目綴じ) 20丁 27.1×19.6cm

※書名は表紙の題簽による。
※本絵図の使用は寛政5(1793)年から享和2(1802)年頃と考えられる。
※表紙の見返しに「紀伊郡伏見上板橋十三丁目/松本義雄姓」の墨書がある。松本義雄の蔵書であったと考えられる。
※1丁表の右下に「松」、20丁裏の左下に「淳風私印」の印がある。松井淳風の蔵書であったと考えられる。

本絵図は、淀川とその上流である木津川・宇治川(瀬田川)の支流において淀藩が行う土砂留め管理業務の一環で作製され、小松植付場や堰堤など土砂留めに用いられていた工法を描いた絵図からなる。1丁表は河内国交野郡楠葉村(大阪府枚方市)付近から始まり、淀川から木津川を遡って左岸側を相楽郡下狛村(京都府精華町)まで描く。次に、折り返すように木津川右岸を綴喜郡井手村(京都府井手町)付近から綴喜郡奈島村・久世郡長池町(京都府城陽市)付近までを下り、青谷川と長谷川を山地に向かって上流部までを描く。さらに、田原川(荒木川)の支流・門口川右岸(京都府宇治田原町)の谷筋と、宇治川沿いの久世郡白川村、宇治郡志津川村(京都府宇治市)付近、そこから宇治川右岸を下って山科川との合流部を経て紀伊郡六地蔵村、宇治郡石田村・日野村(京都市伏見区)付近までを描いた図が並ぶ。その後、瀬田川の左岸側を近江国栗太郡下関ノ津(関津)村(滋賀県大津市)からさかのぼって、稲津村を経て、同郡橋本村(滋賀県大津市)の南側の丘陵地付近までを描いた図で終わる。なお、これらの図の合間には、空白の丁や耕作地を詳細に描いた図が含まれる。

 

(引用・参考)
島本多敬、鈴木康久(2024)「絵図からみる淀藩の土砂留め管理—「城州江州土砂留場絵図」の検討—」『京都産業大学日本文化研究所紀要 第29号』京都産業大学日本文化研究所

 

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