0510 3年次・佐藤靖浩訳

2005年10月号KYPAより

2004年12月26日にアチェで起きた地震と津波は、ナングロアチェ特別州(NAD)における生活の全てを粉々にした。すでに築かれていた地域の社会構造と生活の秩序は、質と量の低下も経験した。そのような様々な中枢機関の低下の他に、地震と津波が数えきれない数の犠牲者を生み出した。数十万人の命が失われ、数千の家が無くなった。そして外の数十万の地域の人々が住む場所を失った結果、被災民の為のキャンプに住まざるを得なくなった。地震と津波は、教育、保健、宗教行政の様々な中心も、色々な公共施設も粉々にした。


この自然災害は、建築物の物理的破壊状態を残しただけでなく、短い時間では解決出来ない何百という問題を残した。心理と災害に対してのトラウマと気力の減退は、将来アチェの全地域社会によって、そして国内的・国際的連帯組織によって解決されなければならない大きな問題の一つになる。今日、アチェは十ヶ月前のアチェとは大きく違っていて、その違いは数十年もの長い月日がたったようだ。この地震と津波は社会的発展とアチェ地域社会の生産力に対して大きく貢献してきた都市部も村落部も海外沿いの地域を粉々にした。今日、私達はクタ・ラジャ(バンダアチェ)の栄光、ムラ-ボの美しい景観を強制的に忘れさせられる。


しかし、この間、ジャワのいくつかの大きな町で学問を極め、自己の可能性を広げるアチェの共同体からやる気と前向きな姿勢はまだ残っている。そのような様々な共同体の一つとして、ジョグジャカルタ在住のアチェ人組織(HIMA)とジョグジャカルタ在住のアチェ出身学生組織(TPA)はこの津波後の様々な問題を解決する中で活発な役割を果たす為に委員会を作った。アチェにあらゆる援助物資と人道的ボランティアを送る為にジョグジャカルタ・アチェ人道委員会を組織し、緊急事態に対応する役割を果たした後、そこでいつでもHIMAとTPAも津波後のアチェ復旧の様々なプログラムや活動を取り扱う一つの委員会を設置するよう構想を考え、準備した。そのような精神と全力をそそぐ事で設置されたのがHIMAとTPAによって委任された一つの委員会としてアチェ復興ジョグジャカルタ委員会(KYPA)であり、今後アチェ復旧の一環として任務を編成し、具体的なプログラムを作る。この委員会にはいくつかの課に分かれる4つの活動地域においてプログラムを編成している。


  1. 教育復旧課
    教育復旧は津波後のジョグジャカルタとアチェでの教育問題に取り組む為の任務をもった一つの課である。
  2. 経済復旧課
    経済復旧は津波後のアチェ地域社会の経済復旧の様々なプログラムを用意する任務をもつ課である。この課の様々なプログラムは、もちろんアチェにある様々な可能性を活用して庶民経済の活性化に重点をおき、そして特にアチェの若い世代の資源を最大限に発揮させる。
  3. 法律・弁護課
    この課は特に、津波の災害からの結果、アチェにおいて法律の問題に対するプログラムを用意する為の任務をもち、津波の結果の犠牲者の民法問題の解決や国籍地位の問題解決の任務をもっている。
  4. 社会文化課
    この課は文化のアイデンティティと社会のアイデンティティとしてのアチェのアイデンティティを回復する為の任務をもっている。様々なプログラムは長期化していた紛争と津波によって既に変化してしまったアチェの慣習と文化の色々な要点の回復により重点を置いて編成されている。


(2005年12月10日、3年次ガジャマダ大学留学中・佐藤靖浩訳)

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