Part.4

卒業生・留学生からの手紙集

A.I.さんから

最後の夏休みとなり、今まで自分が行った中でももう一度行ってみたいと思う所に行こうと決め、悩んだあげくに香港へ行った。香港のにぎわいは相変わらずで、とても活気があった。目先のお金にとてつもない執着を燃やし続け、それによって経済が、お金がぐるぐる回っているのを肌で感じた。うわさによると中国に返還されてから5年間は今のままで、それ以降は中国のものになってしまうと…そういうことで(?)みんな必死になって生きている。国家じゃないから年金もない。だから働けるうちに働かないと自分が生きていけない。トイレの中で紙を持っているおばあちゃん。“ニセモノ、そっくり、イミテーションあるよ!”と叫ぶおじさん。日本ではとうてい成り立たないものを仕事として生きている。その中では本当とうそが交じり合っている。そう感じたのは、やはり今、その時を必死で生きているからだろう。香港に初めて行った時に、どうしてみんな怒っているのだろうと感じた。今回の旅行でそれが解決できた。それは、繰り返しになるが、中国返還までに、みんな一ドルでも多くお金が欲しい。そのため大きな仕事に勝負できず、中小の仕事を確実にこなしている。だからどんな時もみんな真剣に話していると思う。だからみんな真剣なんだ。何ごとにも、何ごとにも、生きて行くために、そんな香港を改めて好きになった。


今回の旅行でエスタというガイドさんと仲良くなった。どんな女性かというと英語、フランス語、北京語、広東語、そして大阪弁を話し、見た目は森久美子とかたせ梨乃を足して割ったような人だ。また香港で三〜四の会社をつくって商売もしている。ガイド業は人と出会う機会が増えるからやっているらしいのだが、そんなエスタに出会って少しずつ考え方が変わって来た。香港ではまず仕事に対するキャリア、次に語学力で、その後に学歴と続くらしい。このような状況の中で一人の女性が必死に、そして楽しく仕事をしているのを見て、もっと真剣に大学生活を過ごせばよかったなあと思った。このエスタの紹介で、北京語を独学で学んだという人物に先日会いに行き、いろんな話しをして来た。年は30才半ばぐらいの人で、その人もやはり香港にあこがれ、今から7年以内に勝負をかけるとのことだ。僕も自分で会社を作りたいと思っている。3百ドルを握りしめて香港にわたり、会社を作り、小金持ちになり、そしていろんな人と出会い、人脈とキャリアと語学力とお金を持ってかえってくるつもりだ。だから今、就職内定をどうしようかと迷っている。二〜三年働きながら勉強して、それからにしようか、それとも一年必死に勉強して、それからにしようか、本当に悩んでいる。
A.I.(1995年10月1日)

M.M.さんから

香港には二週間近くいたのですが、実は、香港でパスポートをなくしてしまったので予定の三日間を大きくオーバーしてしまいました。なくした場所は九龍サイドの中港城の中にある珠江客運有限公司の窓口で、それまで海外といえば中国しか行ったことがなかったので、切符を買うときはパスポートを提示するものと思い、ガイドブックの下に置いて、パスポートを出す用意をしていたのですが、いざ買ってみると、パスポートは不要でした。以前中国に行ったときは、切符を買うのにひと苦労していたので、あまりにあっけなく買えて気が緩んだのか、ガイドブックだけを持って列の後ろの方で切符をしまっていました。そしてその時「しまった」と思って振り返ってみると、案の定パスポートはすでにありませんでした。そしてその後も30分近く、ひょっとしたらと思い、辺りを捜してみましたが、やはりありませんでした。しょうがないので中港城の中の警備員ぽい人に片言の普通話で事情を話すと、彼は廣東語で「ガウ・ガウ・ガウ」と何度も言いました。最初はしぐさで、電話をしろ、と言っているのだけは分かりましたが、動揺していたのか、それが番号だと分かるまで、ちょっと時間がかかりました。ようやく掛けてみたのですが、もちろん電話に出た警察は廣東語で返事に出たので、すかさず「有mou5識講日本話ge?」と言うと、「mou5呀!」と軽く言われました。そこで普通話にはあまり自信はないけれど、それ以外に手段がないので「我係日本人、唔識講廣東話、識講普通話少々」と取っ掛かりだけ廣東語で言うと、今度は普通話でぺらぺら喋って来ました。何とか事情を伝え、そこの前で待っていろということになったので待っていたのですが一時間経っても来ません。その間、ガイドブックをペラペラめくっていると日本領事館の番号が載っていたので、そっちへ電話をして香港警察の方はそのままほっといて帰りました。亡くした日が金曜日の夜で、土、日と領事館は休みなので、その間は本当に生きたここちがしませんでした。おかげで今回の旅行は出だしからひどいものでした。ここで一つ情報なのですが、僕はあらかじめパスポートのコピーと写真を持っていたので、再発行まで3日間しか、かかりませんでした。最初は二週間ぐらいと思っていたので、不幸中の幸いでした。ちなみに身分証は持っていなかったです。あとは急いでいる旨を事情説明書に書いておいただけです。それにしても、言葉ができないとこうも不便かと身にしみた今回の旅行でした。
M.M.(1996年10月1日)
注:ガウ・ガウ・ガウは香港警察の緊急電話番号999。日本の110番に当たる。

M恵さんから

ブロックで作られた屋根やレンガ造りの古い家が並び、道路を一つ細い道に入るともう別世界であった。胡同を初めて歩いたとき、少し恐い気がした。すれ違う人々がすごくおっかなく見えたのである。中国人の持っている雰囲気が日本人のそれとは全然違い、どこか迫力を感じたのである。中国に着いてすぐに感じたことだが、中国の人たちは労働しているな、ということを痛感した。…反面、レストランやホテルではウエイトレスやウエイターが多いわりには、しっかり仕事をしているものは非常に少なく、「君たちもっとしっかり働けよ!」という思いを抱いた。中国は私の訪れた初めての社会主義国でもあったので、わからないこともたくさんあった。平日の昼間なのに何故こんなに人がいるのだろうか?若者たちは学校に行かなくていいのだろうか?どのように生計を立てているのだろうか?どんなものを食べているのだろうか?スーパーに売っている品物は中国の人たちにとって高いものなのだろうか?ナドナド。また中国の人たちは“請再説一遍!”と言っても決してゆっくり話してくれないし、すぐに怒るような気がした。…しかし私たちが学生であるとわかると非常に親切であった。

M恵

F絵さんから

8月の末から約二週間…初の中国旅行に出かけました。これは勉強とは全く係わりのない旅行であったと思います。…それにしても彼らは昼夜を問わず路上でのんびりしていますが仕事は一体どうしたのでしょうか?自転車の人々も大勢いましたが彼らは一体何処へ行こうとしているのでしょうか。私たちから見ると昼の日中にあんなに人が街に溢れかえっているのは、やはり驚きです。北京には一週間ぐらいしか居なかったので、人々の生活までは解りませんでした。しかしホテルの十階から見た風景は、新しくて大きい建物と古くて汚くて狭い住宅とが入り混じっていました。少し裏路らしき所にも足を踏み入れてみましたが、「こんな所にまで」と思うような所にも人々が住んでいるのを見てまた驚いてしまいました。やはり外から入ってくる情報だけでなく、実際にその場に行ってみなければ状況その他は理解し難いものです。
F絵

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