塩見 光二 さん

略歴

滋賀県教員採用試験合格後、英語科教員として今日に至ります。現在は、滋賀大学教育学部附属中学校に勤務し、教務主任・英語科主任をしています。また、滋賀大学教育学部の非常勤として将来、英語科教員を目指す学生の指導に従事しております。
(2008年11月現在)



香港:Rosaryhill Middle School 訪問

韓国:韓国教員大学校附設美湖中訪問

運命を変えた転勤

 公立中学校の教員として十数年が過ぎた頃、教員としての大きな転換期が訪れました。公立中学校から附属への転勤でした。先輩に言われたことはBe a good model as a teacher. 具体的には、教育研究の実践、滋賀大との研究活動の連携、教育実習生の指導、滋賀県中学校教育研究会英語部会の事務局、などこれまでの公立学校で少なくとも私の身の回りではあまり話題にならないことが話題になる日々が始まりました。まず最初は、総合学習でした。滋賀大学教育学部附属中学校は総合的な学習の時間の先駆けとして全国的に有名で、その「BIWAKO TIME」は文部科学省の学習指導要領のモデルになる取り組みでした。総合的な学習の時間とは、一体何なのかもわからないのに総合学習の指導が始まりました。附属についていくことが必死の毎日でした。私にとって大きな仕事がいくつも平行線上にあり同時進行していく、そんな時間が流れていったのです。3回の担任を経て、はやフリーへ。もともと国際感覚あふれる仕事をしてみたかったところへ、海外への修学旅行。当時、上司と香港の中等学校へ視察に行き、訪問の話を取り付ける仕事をやりました。また、2年生の学年主任として香港への修学旅行を実施しました。続いて、修学旅行を韓国に変更したことで、韓国の学校との姉妹校締結の話を取り付けにも行きました。もちろん、私一人の力ではできませんが、大きく関れて、大変にうれしく思っています。苦労は山ほどですが、それよりも、何かしら国境を越えて仕事ができたことがとっても誇りです。附属で与えられた仕事を通して、英語を教えることから、香港や韓国の学校との交流、修学旅行の実施と国際色豊かな仕事ができて、勤務先が変わることで何か、生き方まで変わってきたか、と感じるこのごろです。

 今回、附属中学校の3年生20名と一緒に、選択教科(英語科)の学習として、京都産業大学を訪問しました。京都産業大学には世界中からたくさんの留学生が学びを求めてやってきています。
 その方々との交流を通して、英語を使う機会を仕組みました。中学生にとっては新鮮で爽やかな学習の機会です。つたない英語力ですが必死で交流しています。


 さて、大学生の頃は世界に夢を抱きつつ、全然かっこよくもなく、どこにでもいる学生Aくんだったように思います。いろんな言語を勉強しました。それが世界を見る方法のように思っていたかも知れません。実際、今日それなりに使えるのは、英語と日本語、そしてほんの少しですが広東語(中国語の普通語に対する方言の一つ)です。
 学生の頃にやっておけばよいことは、世界をみることだと思います。当たり前のことですが、日本人としての価値観は異文化の中では当てはまらないことが多いです。それを肌で感じることは、きれい事ではなく、本当のコミュニケーションとは一体何なのか、を考えさせる原動力となるから。私の経験で言えば、韓国の校長先生を歓迎するのに特急はるか号のグリーン車で関西空港から京都駅までご案内するのが日本人的私の発想で、車を用意してdoor to doorでご案内するのが韓国事情を理解した私の発想。前者を提案しても受け入れられず、立腹されて、その結果、修正案として後者を提案し、その後のことを運んだ。結果的には、どちらでも喜んでいただけたのだろうと思う。しかし、言葉にならない文化の壁を乗り越えなければ先へは進めない。そんな当たり前のことを、たくさん学生時代に体験することは、国際化の時代を生きる学生諸君にはよい財産になるのではないでしょうか。だから、いろんな国の人と友達になって、コミュニケーションを取る喜び、さらに理解し合える喜びを感じてもらえたらと思います。これからの日本人は、世界へ出ていって、そこで力を発揮できる人材が求められているのではないでしょうか。日本語、英語、更にもう一つ○○語なんて時代がもうすぐ来そうです。

 さて、個人的なことですが、私がなぜ広東語をほんの少し話すか、ということに興味をもたれた方はおられるでしょうか。それは、たまたま縁あって香港の女性と結婚をしたからです。香港は英語と広東語が公用語です。そのために広東語に触れることが大変に多く、それでほんの少し話せるようになったのです。口語表現しかできませんが、普通の日本人よりちょっと広東語を話すだけで、香港人とはうまくいっています。
 人生は何が起こるかわかりません。絵に描いた人生なんてありえないです。とにかく、まじめに、精一杯誠意を持って生きていくことが大切ではないでしょうか。きっと、ちょっと勇気が必要なことが多いと思いますが。
こじんまりまとめないで、また数年後異なる立場で、このメッセージに登場できたらうれしいなあ、と思っています。

PAGE TOP