入賞

「私が住みたい自然と調和した町」

コンピュータ理工学部 1年次 鐘ヶ江 由佳

審査員講評

 団地の裏山,周りの田んぼや池。毎日飽きることなく走り回って遊んだあの頃。町に住む「私」は,自分を育んでくれた自然に思いを馳せる。そして,「学校の周りに広がる青い5月の水田を見ながら風を感じた時,開放感があって感動した」ことを思い出す。理系らしく客観的に自分を見つめつつ,「自然と調和した町」に住みたい理由を論理的かつ感性豊かにまとめた秀作である。自然の近くに暮らすことは,現代都会的生活から見ると確かに不便である。しかし,自然がそこに住む者の感受性や好奇心を養い,明日への希望を育む大切な存在であることを数々のエピソードとともに語っている。「私」が志を果たして,いつに日にか帰らんことを願う。

作品内容

「私が住みたい自然と調和した町」鐘ヶ江 由佳

 自然を感じながら子供達が子供同士で元気良く遊べる町に私は住みたい。  私が小学生の時まで住んでいた団地は都会ではなかった。テレビで出るような田舎という田舎でもないが、車がないと生活が困難とか、コンビニが近くにないとか、すぐ近くに田んぼと山が広がっている程度には田舎だった。私は小学生の時から本や電気製品など見ているのが好きで、本屋や電気屋で何時間も過ごすことができたが、それらの店は周囲になかった。一人では行けない、しかも車に20分くらい乗らないと行けない距離にあり、不便だった。山が近くのせいで物凄い花粉症に悩まされるし、団地の中は次の町へ行くためにトラックなどの通り道にされていて、とても危ない。小学校に通学するには1時間以上歩かなければならず、毎朝下の学年の子達を連れて行かなければならなかったのはとても面倒だった。少子化が進んできていたので、高学年の頃はどの小学校よりも広いのに人が少ない学校を見るのは悲しかった。しかし、私は小学生の時一度も自分の町から離れたいとは思わなかった。

 中学生以降に過ごした所は、遊ぶ場所が団地内だけではなく、外にもあった。徒歩5分で急行が停まる駅、コンビニ、自転車で少し行けば映画館も、ゲームセンターも本屋も電気屋、さらに中学校は徒歩10分くらいのところにあって、7時半に起きたって間に合う。小学生の時は6時半に起きなければ間に合わなかったのに大違いだ。中学校の生徒数、中学校の隣にある小学校の児童数も年々増えてきているようで、寂しくなっていくうちの小学校とは正反対だった。引っ越してしばらくは「なんて便利な場所なんだろうか。自分は今まで物凄い不便な場所にいたんだ」としみじみと思ったが大学生になった今、思い返す景色は小学生の時に見た景色、出来事ばかりだ。

 普段は滅多に開けない小学校の正門が、大きく開けられていたことがある。その時に正門の真ん中に立って学校の周りに広がる青い5月の水田を見ながら、風を感じた時、開放感があって感動した。9、10月あたりに友達と学校中を周って、お昼寝スポットを探したこともある。その時に見た空はとても印象深い。夏休みに家の裏の山に入って、友人たちと山の道の地図を作ろうとしたこともあった。みんな時計や携帯なんて持っていなくて、何時間くらい歩けば戻れるかわからないのに、日が傾きかけてた山間にいたときは焦った。来た道をなんとか記憶で辿りながら走って戻ったらすぐに戻れたことにはみんなでホッとしたと同時にアホらしくなったものだった。次の日また出かけて、遠足で行った浄水場が見えた時は感動した。私たちは放課後は団地の公園や家の周りで遊ぶことが専らだった。団地の公園は全部で4つあったが、よく遊ぶ公園は、野球をするための防球フェンスがあるだけのだだっ広い公園で、年に一回の夏祭りで使うだけの場所だった。そこではよく野球をしたり鬼ごっこやかくれんぼをしていた。時には大声で歌ってみたり、秘密基地を作ってみたり色々した。冬は17時頃には暗くなってしまうが、気にせず真っ暗な中で遊んでいた。本当に真っ暗でボールなんかちっとも見えないのに感覚だけでキャッチボールをしたりしていた。今思うとあんな恐いことをよくやっていたものだと思うが、それだけ楽しかったのだと思う。一番思い出に残っていることは団地の一番高いところから見た夕日だ。夏休み、夕日が沈みかけた時間の頃、裏山沿いの崖に登って団地を眺めた。団地というものはまっすぐな道で作られているが、うちの団地も同じような作りである。うちの団地にはそのまっすぐで大きな道が中央に通っていた。崖の上に立ちその大きな道から街を眺めつつ見た夕日はとても綺麗だった。大した崖ではないが、みんなで一生懸命登って、誰に教えられたわけでもなく綺麗な場所を見つけたのは感動だった。

 最近の小学生は見ていると、家の中にいることが多いと思う。外にいるときでもゲームをしている。別にゲームをすることは悪いことではない。斯くいう私も土日は外で遊ばず、友達とゲームを一日中していた。しかし、今の周りの子供達を見ていると動いていない子が多い気がするのだ。私は運動が得意な部類の人間ではない。今の身体的能力を見ると、中の下の部類に入ると思う。だが、小学生の時は違った。母体数が少ないので正しいとは言えないが、女子の中で誰よりも走るのは早かったし、体力もあった。肩もそこそこよくて、遠くまで球を飛ばせたし、思った通りの動きができた。運動が得意な小学生だったのだ。それもこれも毎日飽きるくらいに学校でも家に帰ってからでも遊んでいたからだと思う。何故そんなに遊べたのかというと周りに自然がたくさんあったからだろう。

 団地の中には木登りが出来るような高く、枝がたくさんある木や、魚がいっぱいいて釣りが出来るような池、虫や鳥が集まる田んぼがあった。夏には友達と裏山を越えて田んぼに出かけた時、水路の中に大きな魚がいた。魚網を持ってきて、捕まえようとしたら予想以上に重くて捕まえられなかった。春には桜並木がどこまでも通っていて、嫌になるくらい花びらが舞っていて綺麗だった。秋は栗がそこらじゅうに落ちていて、拾っては栗料理をたくさん作っていた。これらは子供の感受性を豊かにし、何かやろうと思うやる気を出させるものだったと思う。子供の頃の思い出は今でも鮮明に思い出せるくらい自分の中で大きなものになっている。都会には都会の感動というものがあるだろう。しかし、自然の中で何気ない日常から何かを感じるのは子供時代に味わうのと、大人になってから味わうのでは違う。
 最近では木登りも池に近づくことも禁止されているがそれは間違いだ。体を動かして何かをするというのは大事なことだからだ。怪我をしたとしても、それは自分がやったことの何が悪かったのか、何をすればよかったのかを教えてくれる。

 子供時代、特に小学生の間というのは人間の性格を決める一番重要な時期だと思っている。気軽に喧嘩したり、全力でいろいろな遊びをし、次の日が辛いからとか体が動かないとか負のことを全く考えない時期だ。同じ年齢の人との付き合い方を無意識に学び、ある程度基礎の礼儀というのを知るのは小学生の間だと思う。私は昔、木登りをしていて落ちたことがある。その後、親に怒られるのでもなく、とても心配された。その時ほど申し訳なく思ったことはない。親に迷惑をなるべくかけないようにしなければと思い始めたのはそんなことがあった時期でもあった。

 自然は子供を成長させる。そして、「あれは何だったんだろう」「明日は何をしようか」と好奇心や明日への希望を抱かせる。私はそんな様子を見たいと思う。だから私は自然がたくさんある町に住みたい。

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