入賞

「私のエコと世界のエネルギー」

外国語学部フランス語学科 1年次生 曽根 栞

審査員講評

 このエッセイの著者は昔から細かいことを気にする性格で、エコという意識とは無関係に自然と節約をするようなことが多かったという。だんだんエコを意識するようになってからは、家族も巻きこんで、いろいろな工夫や試みをするようになった。それでも自分の行為が社会全体から見たら微々たるもので、あまり意味がないのではないかという疑問があった。こうした切実な個人的な疑問から出発して、この人は環境問題に関心をもち、世界全体で何が起こっているのか、将来を見据えて世界がどうエネルギー問題に取り組んでいくべきかを調べ、考えている。文章力も安定していて、読みやすいし、地に足のついた話の展開に好感をもてた。

作品内容

「私のエコと世界のエネルギー」曽根 栞

 私は昔から細かいことを気にする性質で、つけっぱなしの電気や水を流したままの水道などを“もったいない”と思っていつも気にかけていた。私にとってそれらの行動は特に意識していたことではなく、習慣のように行うことであった。昔は単にそれらの行為を毎日続けることがまるでコツコツ小銭を貯めていくことのようでただ楽しかったが、中学生のころからだんだんと“エコ”というものに興味を持つようになった。きっかけはテレビのCMだったと思う。日々の生活習慣を少し変えるだけでバスタブ20杯分の水が節約できるというような内容のCMを見て、“そんなに節水できるんだ、すごい!”と感じた。自分でもいろいろなことをやりたいと思い、インターネットやテレビを主な媒体として、たくさんの情報を集めた。
 節約には家族にも協力してもらった。自分だけでなく同じ家に住む家族で意識すればもっと効率が良くなると思ったからだ。水を入れたペットボトルでお風呂の湯をかさまししたり、照明の色を変えたりして明るさの調節をしたりと様々な方法を試してみた。しかし実際に様々な節約法をやってはみたが、それがどれだけ役に立っているのか私はわからなかった。水道代や電気代などがいくらかかっているかなど知る由もなく、また、どれだけ役に立っている行為なのかもわからない。こんな小さな行為が本当にエコにつながるのか? と疑問を感じ、高校生の頃にはこんなことは無駄じゃないのだろうか、とさえ思っていた。
 けれど街中のポスターやテレビ、学校ではいつもリサイクル、節電、節水などが呼びかけられている。そこまでしてやる意義は何だろうか? 個人の小さな活動がどれほど影響しているのだろうか? 日々活動することも大切だが、その行動がどのように貢献しているのか興味を持った。そのためにまず、世界の現状を知ろうと思った。
 ただ言われるがままにやるだけでなく、その行動が何につながっていくのかを知ればさらなる意識の向上に役立つのではないかと思ったからだ。
 特に気になったことはエネルギー問題だ。現在、先進国は経済、生活などほとんどにおいて化石エネルギーに依存している。数億年もの年月をかけてつくられた化石燃料は有限資源であり、数十年後には枯渇するだろうと思われている。しかも近年の消費の増大や途上国の経済発展に伴い、枯渇は早まるだろうと考えられてきている。私も石油燃料の限界はすぐそこまで来ていると思う。数十年後には確実に燃料は枯渇してしまうだろう。ならばそれに代わるエネルギーが必要である。まず第1にあげられるのが原子力発電だ。小さなチップ程の燃料1つで莫大な量のエネルギーをつくりだすことができる。安定した大量の電力供給に加え、温室効果ガスや大気汚染の原因となる酸化物を排出しないため地球環境対策へも対応できる。しかし東日本大震災のときにおこった福島第1原発事故により、世界的に原子力発電のあり方が見直されている。ロシアで起こったチェルノブイリ原発事故から原発に対する危機感や恐怖感はあったとおもうが、今回の件でさらに反原発を加速させることになったのではないだろうか。これは地球環境にとってかなりのマイナス要因になったと考えられる。原子力は、将来地球を支える新エネルギーとして期待するだけの価値は大いにあった。しかしこれらのメリットの裏にあるデメリットをよく検討しなければならないと思う。日本は島国であるから、1度原発の事故が起きればあっという間に被害は全国に広がってしまう。現実に、福島第1原発事故の被害は食品や土壌汚染なども含めて考えれば今も日本全国で警戒が必要な状況であると私は考えている。
 原発以外の代替エネルギーを考えてみると、自然エネルギーがある。太陽エネルギー、風力エネルギー、地熱エネルギーなどがその代表例である。中でも期待されているものとして地熱発電があげられる。地熱発電とは火山活動による地熱で蒸気を発生させて発電する方法であり、この発電方法は火山国である日本に適している。また、中小水力発電も期待されている。これは大規模なダムではなく、河川や農業用水を利用して細かくエネルギーを拾い集めて発電する方法だ。どちらもこれから期待される発電方法だが、法整備などの課題が残っている。
 日本だけでなく原子力発電に代わる再生可能エネルギーとして世界中で様々な方法が模索されているが、人類の生活をずっと支えられるような発電方法はいまだに見つかっていない。自然エネルギーは環境への影響が少なく、人の生活に危険を及ぼす可能性も低い。しかし天候や環境によってエネルギー供給量が左右されてしまうため、今のところは家庭や地域などの小規模な活動にしか対応できない。また、発電施設を作る際のコストも膨大な額になる。簡単に作れるものではなく安定した大量の供給も期待できないので、自然エネルギーが人類を支える供給源になることはまだ遠い話だろう。
 化石燃料の枯渇はもはや時間の問題であり、原子力はメリットとデメリットをよく検討しなければならない。もし事故が起きれば国内の被害だけでなく、他国も大きな損失を被る可能性がある。世界規模で検討する必要があると思う。そしてそれらの代替エネルギーの開発と成長は現段階であまり期待はできない。
 世界人口が70億人を超えた今、改めて私たちがしなければいけないことは何だろうか?世界規模のエネルギー問題を検討してみると、人類はかつてない危機に直面しているように思われる。人類はこれからも増え続け、さらにエネルギーが必要となってくるだろう。
 現在の状況のままでは確実にエネルギー不足になってしまう。人類の生活は困窮し、地球環境もさらに悪化していくだろう。それを防ぐために新しいエネルギー開発は急務であるが、私たち個人も生活態度を見直すべきだ。個人でできることはとても小さいことばかりで、こんなことが役に立つのか、と疑問に思ったこともあったが情報を集めて検討していくうちにその積み重ねの大切さを知った。エネルギー問題はとても大きな問題だが、私たちに大きく関係している。それを知らぬふりをしてはいけない。節電、節水、資源の再利用、現状を知ったうえでこれらの行動を振り返ると、とても実りのあることだとわかる。小さな積み重ねを投げ出さずに信じて続けていくことこそが私たちがやらなければならないことなのではないか。私はこれからもそれを信じて小さなエコ活動を続けていきたいと思う。

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