入賞

「出会い」

経営学部 経営学科 3年次生 石黒 雄大(いしぐろ ゆうた)

審査員講評

 著者が最後に述べているように人との出会いは偶然の産物です。一生のうちの無限の出会いのなかで自分を変えるような出会いに遭遇する確率はそんなに高くはありません。この著者の出会いもかなり運命的であります。たまたま入った古着屋、世界を旅するオーナーのコーヒーとこれまで知らなかった海外の話、そして最後に手渡された一冊の本。こうした偶然が重なり自分の生き方を180度変えるような出会いになったようです。自分の人生を変えた出会いが数回あると自信をもって言えることは重要です。少なくともその出会いの前後では、今までの殻を打ち破り新しい挑戦を始めようとする前向きの行動が必ずあるからです。新しい挑戦に向けてのきっかけづくりをしてくれるのが出会いです。

作品内容

「出会い」石黒 雄大

 私たちは、一生のうちで何千万という数の他人の顔を見るそうだ。しかし、実際その中で、お互い言葉を交わし、コミュニケーションを取る数は数万人程度だそうである。何千万の中からの数万人、私たちが「友人」と呼べる人たちとの出会いというものは、とても偶然的で、運命的なことであると私は考えます。

 何時に出かけるか、どこへ行くか、なにでいくか、様々な要素が絡み合い、人は出会う。私は、人生観が180度変わるような影響力をもった人と、ひょんなことから出会うことができた。しかし、その人と出会うことができたのは一度きり。そして、もう二度と出会うことはできないのであろうと思う。その人が別れ際に私に渡してくれた一冊の小説。この小説が「私にとって大切なもの」である。

 2004年、冬、大学受験に失敗した私は浪人生活を送ることにしたが、自分の選択に自信が持てず、将来への不安を常に抱きながら受験勉強にふける日々を過ごしていた。次は受かる保証はどこにもなく、それでもやるしかない現実、焦り、不安で押しつぶされそうだった。予備校に通っていた私が家に帰るのは夜の11時。しかしこの日はどうも勉強に集中しきれずにいたので、いつもより少し早く家に帰ることにした。地元の駅に着いたころ、時間はまだ夜の7時ほどだった。気分転換も兼ね、いつもと違う帰り道を通ることにした。慣れない帰り道を、少し冒険感覚に、きょろきょろまわりを見ながら帰っていると、住宅街の真ん中にぽつんと小さな古着屋があった。おしゃれというものにそれほど興味があるわけでもなかったが、その小さな古着屋に私はなんとなく足を向けた。店の中には客はおろか店員もおらず、洋服もそれほどあるわけでもなく、代わりに、この店のオーナーの趣味であろうか、様々な人形がおいてあり、店の大半を埋め尽くしていた。

 少しすると店の奥から、一人の中年の男性が出てきた。冬だというのに、肌は真っ黒にやけ、長い髪を後ろでひとくくりにし、無精ひげを生やし強面なのだが、どこか品のある男性であった。最初にかけられた瞬間は今も鮮明に覚えている。「お、新顔だね」私は軽く会釈をして店の服を少しみてまわっていた。服を買うつもりもなかったので、あらかた服を見てそろそろ店を出ようと思ったとき、店の男性が「今日も外は寒いね、これ飲んでいきなよ」と、ホットコーヒーを出してくれた。せっかくだからと思い、私はそのコーヒーをいただいた。コーヒーをすする私に男性は「どうだ、うまいだろ。このコーヒー豆は本場ブラジル産だぞ」話を聞くとこの男性は世界を旅してまわることが趣味らしく、店内にある人形は旅先で購入したものだそうだ。もともとは服の仕入れの為に海外に行くのだが、結局人形ばかり買ってしまうと笑っていた。

 男性はたくさん話をしてくれた。海外の人々の話し、文化の違い、たくさんの人たちと出会ってきたこと。その話は、テレビでやっている海外のドキュメントなどよりも、リアルで、知らなかった、新鮮なことだらけであった。私は世界をまわり旅するあなたの生き方がうらやましいと告げた。私は愚痴をこぼしたり、相談するという行為が苦手でそれまで誰にも愚痴をこぼしたりするこができないでいた。だが今私の前にいる、今日初めて会った、名前も知らない男性に、なぜか自分の話を聞いて欲しい、自分の辛さを分かって欲しい気持ちでいっぱいになり、必死になって話した。あの時私はとにかく愚痴を聞いて欲しいとしか思っていなかったが、今思い返してみると、あの時の私はきっとこの男性を心のどこかで蔑んでいたのだろう。この男性はきっと受験勉強などしたことがないのだろう、受験勉強とはこんなに辛いものなのだ、私は今まさにその状況なのだぞ、と。男性は私の話をずっと「大変だな、頑張ってんだな」と言いながら聞いてくれた。私が話終わった頃にはもうすっかり閉店時間が過ぎており、私は謝りながらすぐに帰ろうとした。男性は私を呼びとめ、店の奥から一冊の小説を出し、「あげるよ」
と言って私に持たせてくれた。私はお礼を言って、すぐに家に帰った。

 数日後、私は小説のことを思い出し、少し読み始めた。『ワイルドサイドを歩け』こう題されたこの小説は、あの店の男性と同じく、世界を旅してきた著者のこれまでの人生が描かれたものであった。私は読み始めてすぐびっくりした。この著者は早稲田大学を中退して、世界を旅するという人生を選択していた。その時の私には、こんなに辛い思いをしてせっかく入った大学を辞めてしまうなんて、理解できなかった。しかし私はこの小説に夢中になり、丸一日読み耽った。小説を読み終えた頃、私の今までの受験に対する考え方はすっかり変わっていた。不安はもちろんあったが、勉強に対する取り組み方が正反対に変わった。著者の、自分の選択した道がどんなに辛いものだったとしても後悔しないように生きている生き方をみせられ、自分の情けなさに気付いた。

 あの時あの店に入り、あの男性に会わなかったら、今の自分は絶対にいない。大学に受かったことを伝えようともう一度あの店に行ったとき、もう店はなくなっていた。人との出会いとはとても偶然的なものだ。もし、もう一度あの男性に会うことができたら、私は心から「ありがとう」と言いたい。

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