入賞

「人との絆 〜コミュニケーション〜」

経済学部 経済学科 2年次生 水野 雅子(みずの まさこ)

審査員講評

 人間が高度な現代文明を築くことができたのは、コミュニケーション能力を身につけたためである。話し手と聞き手の間の相互の意思疎通によって生まれる人間愛こそが社会的な営みを可能にする原点であり、その中で個人個人の人格形成がはぐくまれるものである。筆者のコミュニケーションの大切さと、人間社会におけるコミュニケーションの重要性、その貢献への「気づき」は読者に新鮮さを伝えてくれる。この「気づき」は、これからの筆者の「コミュニケーション」を介して行われる人々との出会いや体験を通して、筆者の一人の人間としての更なる成長が期待される。

作品内容

「人との絆 〜コミュニケーション〜」水野 雅子

 私の大切なものは、「コミュニケーション」である。
形としては理解しにくい上に、どんなものか説明することは難しいが、日々の生活の中で、私は、コミュニケーションを求め、大切にして生きている。

 コミュニケーションは、話してお互いを理解し合い、そして表情や言葉、態度で自分の感情や思いを相手に伝え、そして、相手がどう思うか感じ合っていくものだと考えている。

 私は小さい頃から、人前では絶対に泣かない強い子だったと思う。人に弱音を吐くという仕方が分からず、難しく思っていた。そんな私は、周りから見たら「しっかりした子」という印象だったと思う。自分自身も、そう思われることに嫌な気などせず、頼まれたことは断らず、期待に答えるために一生懸命だった。

 中学生になり、先生に学級委員を頼まれた。私は、クラスを引っ張る先頭になったことの責任の重さに友達を作る以上に、クラスをまとめることに必死になっていた。そして、少しでもクラスの輪を乱す人がいれば、強い口調で言ってしまい、そんな私の行動を気に入らない人が出てきて、いつの間にか私の周りには、人がいなくなっていた。クラスの人たちが私の指示を聞いてくれなくなってしまい、正直どうしたら良いのかも分からず、毎日不安と戦っていた。しかし、私は「強い子でいたい」という思いと共に、「先生や両親の期待を裏切りたくない!」と考えて、毎日学校に行き、現実と向き合った。しかし、その強い思いも虚しく耐え切ることができず、ある日みんなの前で泣いてしまった。そして、「私は、みんなが思うような先生に気に入られるためだけのいい子になるつもりはなかった。ただ責任の重さに耐えようと頑張っていただけで、本当はみんなと普通に仲良くなりたいの。」と伝えた。気がつくと、私の周りには、みんなが集まってくれていた。「言ってくれないとわかんないよ。ごめんね。」と言われ、その時、私は責任感よりも大切なコミュニケーションが自分には足りていなかったことに気づき、もっといままでの考えを変えて頑張っていこうと思った。

 仲間外れをされていたころ、学級委員という人とは違う立場であることが原因だと自分を責め、もう二度と代表や人とは違うことはしないと決めていたが、中学2年になり、みんなが生徒会の役に私を推薦してくれたのである。正直すごく戸惑い断ろうと思ったが、その不安を友達に伝えると「今の雅子は、考えも変えて支えて理解してくれる人がいっぱいだから、やる気さえあれば大丈夫だよ。」と背中を押され生徒会の役を務め上げることができた。

 代表や人と違うことをしても問題ではない、ただ、コミュニケーションがなければ、勘違いされる結果を生む場合もあることを理解し実感した。人と違ったことでもやりたいという気持ちがあれば、チャレンジをしても良いことであると自分に言い聞かせて、輝くためにも頑張ることを見つけたいと思うようになった。

 この頃から、私は、地域の過疎化や高齢化に興味を持ち、夏の自由研究として頑張ってきた。いつしか、先生や他人の期待に答えるのではなく自分の思いを貫く意志の強さの大切さを知った。この研究の成果で、全国2位という賞をとり、自分のしてきたことすべてが現在の自分にとって、プラスであることに気づいた。

 高校に入り、先生から郷土史研究部に入って一緒に研究をやろうという誘いをいただいたが、周りの目を気にしてしまう私は、正直「暗い性格の人が入る部活」という固定概念を捨てきれず、また過去の出来事がトラウマになり、すごく悩んだ。しかし、友達が「私も興味あるから一緒に頑張ろう。したいことをしよう。」と励ましてくれたので、そんな固定概念なんてなくしてやる、という強い意気込みで入部した。しかし、なんだかんだ言っても、はじめは、やはり周りの人の目が気になり自分の部活について話すことを避けていた。

 でも、私は研究して自分の疑問が解決したり、またその小さな疑問がもっと深い疑問を持てたりと、本当に部活での活動が大好きであった。活動する上で、ただただ資料を読むだけでなく、いろんな人に話を聞きに行く楽しさを感じた。研究対象の私の出身地である静岡県全域の役場を1つずつ回り、町長さんや役場の関係者に話を聴き、私たちの思いを伝え、そして、住民の人に話を聴いたりして、コミュニケーションを大切にして研究を行なった。資料をまとめることは、誰にでも出来ることであるが、コミュニケーションを大切にして調査をするということは、私たちにしかできないはずだという強い意志で頑張った。

 その結果、全国1位と全国3位を受賞でき、いろんな人に褒められ、いつしか、郷土史研究部に入ったことを誇りに思えるようになっていた。今まで、友達に部活のことを聞かれると、「たいして活動してないよ。」と誤魔化していたが、誇りに思えるようになってからは、自分の頑張りや楽しさを伝えたくて、自らいっぱい話すようになっていた。誇りに思えるようになったのは、みんなが自分を認めてくれたからだと思う。みんなと一緒になって受賞できたことを自分のことのように喜んでくれて、すごく嬉しかったことを覚えている。コミュニケーションもなく、ただ決められたことをこなす以前の私だったら、いくら頑張ってどんな成果を出したとしても私以外のほかの誰かが一緒になって喜んでくれることもなければ、認められたという実感もなく、誇りにも思えなかったはずである。また、自分の部活についての話を相手が笑顔で聞いてくれていたからこそ、自信を持って誇ることが出来たのだと思う。

 私の人生で、コミュニケーションは本当に大切なものであり、その大切さは、自分の失敗があったから気づけたことであり、もう二度と同じ経験はしたくない、してはいけないと思う。しかしながら、この失敗は私にとって人生の汚点などと絶対に思わない。むしろ、みんなが経験出来なかった特別なことで、私だけの貴重な経験だと思う。

 そして、私自身コミュニケーションをとる上で大切なことは、笑顔と信頼だと思う。この人に自分の本音を話しても大丈夫かなと不安になっていたら、人を疑う目でしか見ることが出来なくなり、そんなことは悲しいことであり、相手だって良い気がしないはずである。だから、私は、まずこの人は理解してくれるはずであると信頼し、自分の失敗などマイナスの部分もいっぱい話すようにしている。そして、私は相手に笑顔を見せられたら笑顔で返したくなる。きっとみんなもそうであると信じている。それは日常のちょっとした出来事で感じることが出来る。

 そのひとつに私は、アルバイトでの経験がある。私は京都にきて初めてアルバイトをした。飲食店の店員をしていて、お客様におつりを渡す時、無表情で「ありがとう」と言われるより、笑顔でうなずくだけの方が嬉しいと感じた。言葉も大切であるが、それ以上に表情はとても大切であると思った。

 京都産業大学に入学が決まり、私は18年間生活してきて自分を成長させてくれた大好きな静岡を離れ、京都にやってきた。

 もちろん京都で生活するのは初めてであり、誰ひとりとして知らない人ばかりで、生まれて初めてひとりで生きるという孤独と不安を現実に感じた。それでも、心の中には新しいスタートラインに立った未来への期待もいっぱいあった。

 やはりコミュニケーションは、大切だと思った。みんなも私と同じ環境で同じ気持ちであると理解できることがいっぱいだったからである。

 現在、京都にきて2年目を迎え多くの人たちと出会った。私は、出会った人との始まりを全て鮮明に覚えている。何もない土地で、自らが作り上げた、たくさんの人との絆を素敵に思い、誇りに思えるからだ。そして、そこには、やはりコミュニケーションがあると気づかされる。

 コミュニケーションで始まり、どんなに時がたって、深く信頼し合える仲になっても、コミュニケーションがずっと持続することはとても大切なことであると思う。

 まだまだある人生、私が19年間で得た大切な人たちとこれからもコミュニケーションを取り、そしてまだ出会っていない、これから出会う多くの人たちともコミュニケーションで素敵な絆を築いて生きていきたい。

 胸を張って言える。私の大切なものは、コミュニケーションである。
 未来に、もしかしたら明日、また新しく出会える人とどんな会話ができるか楽しみだ。

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