入賞

「大切な人、出会い。大切なもの。」

経済学部 経済学科 2年次生 阿部 美沙代(あべ みさよ)

審査員講評

 『徒然草』の冒頭「つれづれなるままに、ひぐらし硯に向かいて、心にうつりゆくよしなしごとを、そこはかとなく書きつくれば…」が誤解されているせいか、だらだらと勝手きままに文章を綴るのがエッセイだ、と勘違いしている人々があまりに多い。サギタリウス・チャレンジ・エッセイコンテストも、残念ながらほとんどがこの例である。エッセイは、綿密な計画のもとに書かれなければ読者の胸に響かない。受賞作は、人は他人のために生きているのだ、けっして自分のために生きているのではない、という「気付き」がテーマになっている。その主張には一貫性があり、説得力があった。まだまだ文章に無駄が見られ、推敲の余地が残る点が瑕瑾だが、しかし、読み手をぐいぐいと作品内部に引き込む力に長けている。「出会い」こそが人生で最も大切、そしてそれは他人との出会いに止まらない。その時々で成長する「自分との『出会い』が私にとっての大切なもの」と結ばれた末尾が、意表を突いて効果的だ。

作品内容

「大切な人、出会い。大切なもの。」阿部 美沙代

 私にとって大切なもの、それは「出会い」です。私は1988年2月8日、愛媛県新居浜市で生まれ、今まで19年間生きてきました。その間には、ほんとうにさまざまな出会いがありました。
 最近私は、出会いといっても、ただ単に「物」や「人」と出会うことだけが出会いではないと考えるようになりました。私が「物」や「人」に出会うことで、私自身は辛い気持ちや悲しい気持ち、楽しい気持ちにもなります。そのなかで多くのことを感じ、学んだことによって出会えた新しい自分、これも出会いである、と考えるようになりました。そして、ずっと自分のそばにあって、自分にとって大切なものであると今まで気付かなかったものが、何かのきっかけで大切なものであると気付く、それも出会いではないでしょうか?

 私は「大切」とはこういうことだと、初めて気付いたのは高校の頃です。確かにそれまで15年間、友達や家族はそれなりに大切だと思ってきたし、そのときなりに精一杯大切にしきました。しかし、それは高校の時大きく変わりました。高校で私は初めて恋人が出来ました。彼と過ごすうち、今までにない、他人が「大切だ」という気持ちになりました。自分にとってかけがえのない存在、彼と同じ人間、彼の代わりなんて誰もいないのだと感じていました。私自身、彼と出会うことで、恋というものを知り、多くを学んだ自分と出会うことが出来ました。しかし、若い高校生の恋は受験という壁に破れてしまいました。彼と別れた日、私は家の前で泣きじゃくっていました。そんな私をお母さんは優しく抱きしめてくれました。「美沙には彼がいなくなっても、お父さんもお母さんも弟もいるじゃない。大好きな友達もいるんでしょ?」この優しいお母さんの言葉に私は嬉しくて、嬉しくて余計泣いてしまいました。その時私は自分がお母さんに今までしてきたことを思い出しました。いつも夜遅くに帰ってきてお母さんにたくさん心配をかけてきたこと、お母さんと買い物に行く約束していたのに彼優先で遊びに行ってしまったこと…自分勝手な私をお母さんはずっと心配してくれて、私のことを一番考えてくれていることに気付きました。その時私は初めてお母さんの愛に感謝しました。私が生まれてからずっと私のそばにあったもの、当たり前にあったがために気付かなかったお母さんの愛に気付き、そんな気付いた自分に出会いました。

 話は変わりますが、私の生まれた家は正直裕福な方ではありませんでした。お母さんは専業主婦で、お父さんは単身赴任、家だって借家です。小さな頃は家が小さく古いことが凄く嫌でした。友達は皆大きな玄関、二階建ての大きな家。「どうして私の家はこんなに古いの?」と言ってはお母さんを困らせました。しかし大学生になった今、私はこの小さく古い家でよかったと思っています。小さな家だからこそ、家族が同じ部屋にいる時間が長くなり、家族の会話も多く、だからこそ皆仲良くすごせるということに気付きました。また、お母さんは私の知らない所で、私と弟の進学のために少しずつ貯金をしてくれていました。私と弟が好きな道に進めるようにするためです。それを初めて知ったのは受験の時でした。お母さんはずっと先のことまで見据えて、こつこつ貯金してくれていたのに、私はずっとお母さんに何かと文句やわがままばかり言っていたことが、とても申し訳ない気持ちになったと同時に、両親に感謝しました。

 そして私は京都産業大学に進学させてもらいました。大学に入るまで受験勉強という大きな壁が私には待っていました。私が大学に入学出来たのは、たくさんの人の支えがあったからです。学校で毎晩よる遅くまで友達と励ましあい勉強しました。先生、家族、友達、たくさんの人が応援してくれました。両親が私の受験費用を払ってくれて私にチャンスをくれました。

 私は大学に入って、たくさんの人、場所と出会いました。京都に一人やってきて、今まですごせたのは、京都で出会った人たちのおかげでもあると思います。大学は高校とは違って自由です。時間割の組み方も自由で、自分の自由な時間がたくさんあります。私は、この四年間を後悔のない四年間にしたいと思います。こんなに自分のしたいことが出来る時間は大学のときくらいだろうと考えています。

 そこで私は憧れていたイベントコンパニオンの仕事を始めました。この仕事は正直、容姿端麗でないとあまり仕事がもらえない世界で、自分に自信の無い私は大学1回生の春に一度は事務所に入ったものの、諦めてしまいました。しかし冬になり、友達の支えもあり、このまま諦めていいのか、と思い、もう一度挑戦することにしました。そこで研修を受ける中で周りの女の子達は積極的で、自分の夢を叶えることに必死でした。私には積極性が欠けているということに気付きました。確かに私は何をするにも自分に自信がなく、本当はいろいろな事をしたいのに、周りの人にどう思われるか怖くて言い出せませんでした。しかし、私は今まで自分の知らなかった世界へ踏み出すことで、私はたくさんの刺激を受け、自分に足りないものを知ることが出来ました。この仕事をしていく中でたくさんの人と出会いました。同じ夢を持ち、頑張る仲間に出会い、お互い支えあって今まで頑張ってくることが出来ました。そしてたくさんの企業のイベントに派遣され、イベントの裏側を見てきました。普通の学生では味わえない経験が出来ました。特に、サークルKサンクスセミナーのカルビーブースに行った際に出会ったかルビーの方との出会いが印象に残っています。その方は私に「俺は本当にカルビーの商品が好きだ。商品を愛しているのだ。」とおっしゃりました。その方にとっては当たり前のことを言っただけなのだと思うのですが、私はそれを聞いてとても嬉しくなりました。私も就職したら、自分の商品を好きだと思えるような職に就きたい、そう思いました。今頑張っている仕事も途中段階、学業との両立は大変ですが、皆同じ時間だけ与えられた4年間です。これからも悔いの無いよう、精一杯頑張っていきたいと思います。

 私は今までほんとうにたくさんの人達と出会ってきました。誰一人欠けていても今の私は無いと思います。たくさんの人と出会う中で、もちろん傷つくこと、悲しいこともありました。それでも私は人に出会えて良かったと思います。私が傷ついたからこそ気付けることもありました。自分が傷ついたからこそ、辛いことがあった友達の気持ちをわかってあげることが出来ます。傷ついて悩んだからこそ、成長できたのだと思います。

 たくさんの人と出会う中で、私をこの世に生んで育ててくださった両親や祖父、祖母、生まれてからずっと一緒にいた弟の存在は、やはり大きいです。特に大学に入ってから、私は家族の愛に、以前にも増して感謝するようになりました。私が帰ってくると弟は喜んでくれます。祖父はリハビリや食事、生きることに一生懸命で、私がお見舞いに行く度、泣いて喜んでくれます。祖父に会うたび、大事に思ってくれているのだな、と思い感謝し、嬉しくなります。一生懸命生きる祖父を見て私も元気をもらいます。もし、私も祖父に元気を与えてあげられているなら嬉しいです。また、お父さんが家族のためにどんなに大変な思いをしてお金をかせいでいるかという事にアルバイトをして気付き、感謝するようになりました。そして、お母さん。どんなに遠く離れていても毎日その日あったささいなことをメールしてくれます。また、お母さんは私達が生まれてからずっと、自分のものはすべて我慢して私や弟に買い与えてくれていたことに気付き、感謝、尊敬するようになりました。そして、お母さんは祖父の介護に追われているにもかかわらず、毎朝弟の弁当を作り、家事をしてくれています。私も地元に帰った時は祖父のお見舞いに行くのですが、毎日三食ご飯を食べさせるために祖父の元へ向かうお母さんは本当に尊敬します。地元に帰る度に私も頑張らないと、と思わせてくれます。

 もし私がお母さんになって、今までお母さんが私にしてきてくれたことを自分の子供にしてあげられるかと聞かれたら、正直できる自信がありません。それは私が自分の子供が出来るということを経験していないから、そう思うのかもしれません。もしかすると、いざ自分の子供が出来ると出来るのかもしれません。しかし、お母さんを見ていると、今の私ではまだまだ未熟者であると思います。お母さんのように子供を育てる自信がないし、もっと自分のこと、周りのことを理解し、まだまだ自分自身が成長する必要があると思います。

 そんな私も、19年間生きてきた中で傷ついたり悩んだり、暖かな人々にかこまれて少しは成長できたのだと思います。しかし、私はまだまだ成長段階でまだまだ子供な考えの部分もあると思います。それでも私はこれからもたくさんの方と出会い、成長していければ、と考えています。私をとりまくたくさんの大切な人、物との出会い、その中で成長した自分と出会える、『出会い』が私にとっての大切なものです。

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