サギタリウス賞

「お父さん、お母さんへ」

理学部 物理科学科 4年次生 古川 朋樹(ふるかわ ともき)

審査員講評

 「お母さん、最近始めた乗馬、調子いいみたいですね」ではじまるエッセイは、大学4年間をふり返っての両親への手紙。大学生活のスタートは、父の単身赴任と共にはじまったという。一人の友人もいない入学時から、卓球部に入部し、無遅刻無欠席で理学部の実験と体育会の練習とに明け暮れる、充実した日々。そして、3回生から「自分探しの旅」へ…インターンシップ、バイト、豪州タスマニア大学への留学。4回生、超高真空装置で原子構造を分析する研究に没頭する。画期的な製品を開発し空調業界に革命をもたらす、との決意や頼もしい。最後の締めくくりは、就職アドバイザーでの恩返し。模範的な学生だが、しかし、筆致は淡々としていて、江戸文芸の「軽み」さえ感じさせる。特に、ゼミの教授とのやりとりなどは、うまい。会話が生きている。追伸もなかなか、洒落ている。入学時は一人ぼっちだった作者、さぞかし仲間が増えたことだろう。私も、卒業式にはその最後の一人に加えてほしい、は審査員としての率直な読後感。

作品内容

「お父さん、お母さんへ」古川 朋樹

 拝啓 お母さん、最近始めた乗馬、調子いいみたいですね。お父さん、仕事は順調そうで何よりです。突然の手紙でびっくりしたかと思いますが、これは僕の学生生活の報告書です。

 まさに僕の学生生活は、次の建学の精神に則っていたかと思います。

 「その教育の目標は、高い人格をもち、人倫の道をふみはずすことなく、社会的義務を立派に果たし得る人をつくることであり、しかもその職域が国内であろうと海外であろうと、その如何を問わず、全世界の人々から尊敬される日本人として、全人類の平和と幸福のために寄与する精神をもった人間を育成することである。(建学の精神より一部抜粋)」

 ・・・・3年と6ヶ月前、お父さんが仕事のため東京に行き、滋賀でのお母さん、妹、弟、僕での4人になり単身赴任の生活が始まりました。同時に、僕の大学生活もスタートしました。

 地元から離れた大学だったため、あの頃は大学の中には友人らしい友人は1人としていませんでした。とりあえず、中学校から好きでやっている卓球を本格的にやりたかったので体育会卓球部に入りました。クラブではチームメイトに恵まれ一般生ながらもセレクション(スポーツ推薦)に混じり春休みも夏休みも関係なく、レギュラーを目指し毎日ピン球を追いかけていました。プライベートでも仲が良く、授業を一緒に受けたり飲み会やカラオケに行ったりしていました。技術面では滋賀県大会で優勝することもでき、高校時代よりぐーっと卓球が上達しました。

 一方、練習を終え帰宅をすると寝るだけの忙しない生活でした。実験を通して物理現象を把握したい強い思いから物理科学科への進学を決意したので、「クラブをしているから勉強が疎かになる」ということだけは絶対にしたくありませんでした。そのため朝早くに大学に行って“京産の常に開放され勉強できる環境”を利用しました。早朝、掃除のおばちゃんと世間話を交わしつつ予習復習をしました。試験前は学部の友人達と閉館間際まで、図書館の地下の大きな書庫で本を読み漁りました。この恵まれた環境で無心に物理学に情熱を注ぎました。一、二年の間は無遅刻無欠席で、物理科の専門科目を中心に1つも単位を落とさずに修得することができました。

 そしてやりたい仕事も見つからないまま、クラブと勉強だけの日々で2年間があっという間に経ちました。でも入学当初よりたくさんの人と出会い、辛い時も支え合っていける仲間ができていました。試験や試合後に友人と飲むお酒は最高です! ちょっぴり京都で大人になりました。

 そんなわけでターニングポイントである3回生を迎え、ここからが「自分探しへの旅」の始まりなのです。

 まず、社会で働くことを体得するために、アルバイトに挑戦してみようと思いつきました。自宅生かつクラブをやっているので、融通の利くバイトを探しました。そこで学生部からファミリーマート京都産業大学店の紹介を受けました。授業の合間とクラブの合間を縫ってシフトを出し、週4で勤務。店長も優しく、スタッフみんなで自発的に仕事をやっていく雰囲気の中、人の生活に密接した仕事をしたいと決意することができました。一方、“仕事を見て盗む”ということをM先輩から教わりました。M先輩は高校時代に留学を経験されていることもあり、話を聞いていくうちに「僕も留学したい」と考えるようになりました。

 夏休みには、本学キャリアセンター主催のインターンシップ3に参加。小さい頃からものづくりが好きだったので、その確認のため高圧ガスボンベ製造業を選びました。真夏の工場での仕事は大変きつかったです。体育会のため体力には自信があったのですが、定時定時でいっぱいでした。ついていくのがやっとの状態。でも「この酸素ボンベがないと生活できない人がいるからなぁ」とか「病院で患者さんが、額の汗を拭いてくれた瞬間が忘れられない」という社員さんの生の声を聞き、「人の健康と長生きに関わる仕事がしたい」と思うようになりました。英語で書かれた商品取り扱い説明書を発見し、メーカーは海外規模であることを知りました。

 上記の理由もあり本格的に就職活動が始まる前に後悔したくないなぁと思い、短期語学留学を決行しました。そして一ヶ月のオーストラリアのタスマニア大学での、人生初めての海外生活を送りました。ここでは、ホストファミリーとの会話を通して英語を好きになることができた上、最高の自分仕上げができました。『・日本の空調技術の高さの確認・自分の英語力・卓球の異文化交流』が達成できたので充実していました。特に現地で日本製の空調機器(エアコン)がすごく普及していたことに感銘を受けました。

 帰国後は就職活動に専念しました。2007年問題、団塊の世代の退職という追い風が吹いていた技術採用。ところが山あり谷ありの就職活動で、幾度も困難や障壁に頭をぶつけました。これらを乗越え人間的にも成長できたことが私の就職活動の成果でした。志望業界は「身の回りの仕事→メーカー→空調機器メーカー」という流れで絞っていき、いろんな仕事を見たうえで、空調機器の開発者になりたいとう夢に辿り着きました。

 就職に強い京産だけあって、進路センターの方や学生就職アドバイザーのサポート力は抜群でした。いろんな人に支えられながら無事に一番やってみたかった仕事に挑戦できる企業から内定を頂き、感無量の形で就職活動を終えることができました。

 進路決定後は毎日が研究です。僕は超高真空装置で原子構造を専門に分析しています。この原子の配列は組織的で大変鮮やかです。日に日に美的センスが養われていきます。卒業論文に当たり、パソコンで絵も描きます。この“作図力”は、製品を開発する際に“製図力”に応用していきたいです。ゼミの先生との普段の会話はこんな感じです。

僕「やばい! 先生、めっちゃ蒸着していますよ!」
先生「古川君、何が“やばい”のですか? “やばい”とか“めっちゃ”という言葉の表現は物理界には存在しないんですよ! 具体的に何が何ミリどうなったのかを話しなさい!」
僕「はい、分かりました! 以後、気を付けます! Teが試料位置の中心付近で4分の1くらい蒸着しています!!」

 そんな訳で、大学中あちこちに多く友人がいます。仲間がいます。チームメイトがいます。恩師がいます。そして僕はみんなが好きです。京産が大好きです。京産に来て本当に楽しい時間を過ごすことができたのです。しかし京産ネットワークをフル活用し、学び遊んだ学生生活もあと半年で終わりです・・・

 今月から学生就職アドバイザーが始まりました。最後の締めくくりとして、お世話になった京産に、アドバイザー業務を通して後輩達に恩返ししたい思いで、今に至ります。学部の枠を超え、納得し就職を終えた仲間だけあってアドバイザー全員と気が合います。そして学年の枠を超え、カウンセリングを通して後輩達と接しています。

 最後になりますが、お父さん、毎日夜遅くまで仕事頑張って遠くから家庭を支えてくれてありがとう。お母さん、いつもいつもおいしいご飯を作ってくれてありがとう。お父さんとお母さんの支えがあり、成しえた4年間の学生生活は僕の最高の財産になるはずです。だから感謝の気持ちでいっぱいです。

 来年の4月からは生まれ育った関西を離れ、静岡市の工場で空調機器のエンジニアとして働きます。10年後までに空調機器における勉強を熱心に積み、製品開発プロジェクトに参画し画期的な製品を導入し空調業界に革命をもたらすことが目標です。そして、技術指導の立場で海外にも出張して“日本の空調技術の高さ”を世界中に広めたいです。

 21年間生きてきて大切な人の生死の境目の場はいつも病院でした。そこにはICU室という“粉塵”のないクリーンルームが存在します。このクリーンルームは空調によって作り出されているのです。また空調はホテルや駅、ビルといった“人のいる空間”にはどこにでもあります。つまり空調は、我々の暮らしには欠かせないものだと僕は思います。空調を通して「人の健康と長生き」に貢献していきたいのです。また汚染された空気浄化という一面で環境問題にも取り組みたいのです。空調には僕のロマンがいっぱい詰まっています。

 社会人になってから一番発揮したいことは、京産で発見した「自分らしさ」です。というのは、共通の目的や目標があれば誰とでも上手に接することができる性格のことです。学生生活では研究や卓球、留学、アルバイト、就職活動など何事においても「人とのつながり」を大切にし、幾度の困難を乗越えることができました。同様に社会人になってからも、先輩から仕事の進め方や技術を学び取り、同期とは切磋琢磨し精神面と技術面に磨きをかけたいです。もちろん後輩にも慕われるような先輩になりたいです。

 来年の4月からは社会へ旅立ちます。お父さん、お母さん、今まで本当にありがとう!!

 P.S.この手紙は、今までの学生生活の報告であり卒業式への“招待状”でもあります。また入学式の時のように、親子3人で学内を歩きたいので都合が合えばぜひぜひ卒業式に出席してください。ちょうどその頃は、春の門出に相応しい自然いっぱいの神山が迎えてくれることでしょう。4年間、学び遊んだキャンパスでお待ちしています。

敬具
2006年10月吉日 長男 朋樹より

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