入賞

「1分1秒を大切に」

外国語学部ドイツ語学科2年次 内田 貴子(うちだ たかこ)

審査員講評

 人生に煩悶はつきものであろう。特に若い時分には、将来の進路について思い悩むことが多い。筆者は、将来角膜移植に関わる「アイバンクコーディネーター」になることを夢見ている。だが、某アイバンクでのインターンシップ体験でドナーであるご遺族とコーディネーターのやりとりに茫然自失したり、祖母の死に直面して献体することの難しさを痛感したりして、将来への夢が揺らいでいる。そうした心の動きが率直な筆致で語られており、その清々しい真直ぐな生き方に好感がもてる。今後、たとえ試行錯誤や紆余曲折があったとしても、当初の夢を大切に、その実現へ向けて邁進してほしい。

作品内容

「1分1秒を大切に」 内田 貴子

 「10年後の私」このテーマを見たとき今年20歳になった私は「10年後は30歳かぁ」とついに10代を終え、20代になった私は年をとりたくないと単純に最初は思った。20歳になる寸前まで「10代が終わる〜」と嘆いていた。まだまだ若いと思うのだが、10代を終えるのは名残惜しかった。多分10年後も同じことを考えているのだと思いながら・・・。
 不思議なことに幼い頃は「早く大人になりたい」と願っていたのに20歳になり、世間で言う「大人」になった今、子供をうらやましく思う。少なくとも今よりは悩みも少なく無邪気に遊び、体重を気にせずたくさん食べ、よく眠って過ごしているからだ。しかし今は今で楽しく過ごしているから「じゃあ子供に戻りたい?」と問われると、やはり悩んでしまうだろう。
 私のエゴイスティックな話はここまでとして、10年後の自分を思い描く前に10年前の自分が今の私を想像できていただろうか、と考える。きっと「20歳だから、大学生になっていて、すごく大人の女性になっているのだろうなぁ」と考えていたにちがいない。残念ながら外見も中身も考えていたほどは大人になっていないだろう。そもそも「大人」の定義が今も昔もよくわからないが・・・。辞書では「@十分に成長した人A考え方・態度が老成しているさま 分別のあるさま」とあった。@はさすがに昔に比べて身体は成長したが、Aの考え方・態度はまだまだ未熟である。10年後でも老熟しているかどうかはわからない。誰が判断できるものでもないが、人は成長し続けるために日々考えているはずだ。決して今の段階で慢心してはいけない。

 30歳といえば、順調なら、就職し、結婚し、子供を産んで育てるという人生にはいっているだろう。今の私は将来仕事をバリバリこなして(表現が古いかもしれないが)、社会に認められたいというのが一番の望みだ。結婚、子供という幸せはまだ現実味がないため求められない。「仕事」は今まで抱いてきた夢、そしてインターンシップを経験しているため、自然に私の中での「将来」に関しての優先順位が一番となった。私の夢とは「アイバンクコーディネーター」という角膜移植に関わる仕事だ。中学生の頃から抱いてきた夢だが、アイバンクで研修をさせていただいた際、また考えることはいろいろあったため夢のためにこのまま突き進むか、視野を別分野に広げ、就職活動を行うかを考えさせられる経験があった。

 ここでいきなり話が暗くなるかもしれないが、10年後まず自分が生きているかどうかがわからない。どんなに大きな夢を抱き、お金を貯めて、普通に暮らしていたとしても、10年後、その前に1年後、いや、明日自分が生きている保障などどこにもない。1分1秒先の自分のことなど誰にもわからない。「死」を真剣に考えたのはこのエッセイを書く数ヶ月前の2つの出来事がきっかけだった。1つ目は2ヶ月前のインターンシップでの経験である。先ほど述べたように私はアイバンクコーディネーターをずっと夢見ていたため、某アイバンクに問い合わせ、先方のご好意で研修をさせてもらえることになった。3日間という短い期間だったがすごく濃い内容だった。準備していただいていた資料やお話ももちろん勉強になる内容だったが、2日目にドナーが発生し、私も同行させてもらえることになった。まさかの事態に驚き、現場では机の上では学べないことの連続だった。しかしまず考えたのがドナーのことである。ドナー=亡くなられた方ということだ。私は幸運にもそれまで身近な「死」に遭遇することが無かった。初めて目のあたりにした「死」に対して私は言い表せない感情を抱いた。ドナーのご遺族は深い悲しみの中、コーディネーターの方々のお話しに真剣に耳を傾け、最終的に献眼していただけることとなった。コーディネーターの方々もご遺族の方に対しての配慮を常に忘れず、仕事をこなされていた。私はそこに居合わせてその様子をじっと見ていたのだが、このような場に私がいてもよいのだろうか、と恥じるような気持ちであった。専門的な知識が乏しく、配慮をすることもできず、ただそこにいただけだった。多少お手伝いをすることはあったが、ただただ自分の未熟さを痛感した。もちろん専門的な研修もしておらず、経験もないからあたりまえなのだが・・・。

 そして私がこのような話をこのエッセイに書き込んだ理由の二つ目は、これを書いている数週間前に無くなった祖母のことを考えたからだ。このような場では「祖母」とよばなければならないが、ここではこれまで呼んでいた「おばあちゃん」のままで許していただきたい。すごく気丈で何事にも積極的に責任感を持って仕事をこなしてきたおばあちゃんはすごく周りの人にも慕われていた。私の自慢のおばあちゃんだ。そのおばあちゃんが亡くなった。突然の実家からの悲しい報せに涙が止まらなかった。初めての身内の死に、とまどうことばかりだった。身近に感じた「死」はとても悲しいものだった。私は将来アイバンクコーディネーターになって遺族の方に配慮しながら説明したり、さまざまなことに対応して、仕事をこなしたいと思っていたが、いざ自分が遺族側になると、角膜移植のことなどとても考えられる状態ではなかった。おばあちゃんはドナー登録をしていなかったため移植をされることは無かったが、家族の同意があれば移植を可能なことを知っていた私は少し冷静になったときに親に言おうとしたが、無理だと思い、言い出せなかった。心のどこかで強く止めるものがあったから言えなかった。そのときずっと「目の見えない人たちのためにドナー登録数、角膜移植数を増やす働きをして、力になりたい!」と夢見て走り続けてきた自分に自信が無くなった。
 厳しいところもあったが、すべて私たちのためになることを教えてくれたおばあちゃん。部活やさまざまなことに功績を残したときに一緒に喜んでくれたおばあちゃん。美味しいおはぎや、葉寿司を作ってくれたおばあちゃん。1年前私がこのサギタリウス・チャレンジのエッセイ部門に応募して入賞となった際、作品を読んで病床からつたない字で手紙を書いてくれたおばあちゃん。最後に会ったときには「つらいことがあっても頑張れ」と言ってくれたおばあちゃん。この最後の言葉を信じて、今自分の今後のことをもっと真剣に考え、どんなにつらくても頑張ろうと思った。

 まず、自分の進む道を考えた。アイバンクコーディネーターは専門的な知識が必要だ。私はその知識を身につけなければならないとわかっていながらも、高校も大学も外国語を学ぶコースを専攻した。矛盾していることはわかっていたが、今は決して後悔していない。いろいろなものがあるところでいろいろな事を感じ、学びたいと思っていたからこそ悔いはない。そして思い悩むことがあっても今まで出会ってきたたくさんの人たちに支えてもらった。かけがえのない、すごく大事な人たちだ。今までくれた優しさをいつか何かの場面で返すことができるように、思いやりのある人間になりたいと日々思う。人の繋がりは強いようで儚くもある。だからこそ大切にしたいのだ。

 ある芸能人が言っていた言葉がある。「人生は60分のドラマだ。」1分1歳として考え、1つのドラマの中で1番面白いのは20〜40分の時らしい。つまり人生の中で一番激動なのが20〜40歳だ。それ次第で40分以降のクライマックスが変わる。そして運がよければ延長となって、70,80分(歳)と伸びていく。この考えでいくと私はこの一番面白い時間帯に入ったところだ。10年後までの10分をどう過ごしていこうか急にワクワクする。こんなに幸せなことは無いかもしれない。もちろん思い通りにいかないこともあるかもしれない。限りなく「死」に近づいたり到達するかもしれない。しかしそれを避けるためにも1分1秒を大事にして生きていきたい。10年後の私はきっと大事にしてきた時間だけ夢をみて、楽しみ、悲しみ、笑い、泣き、一生懸命生きているだろう。「頑張ったね」と褒めてくれるおばあちゃんはもういないけど、おばあちゃんに対して恥ずべきことがないように胸を張り誇りを持って過ごして生きたい。

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