優秀賞

「ひと・であい・みらい」

外国語学部 言語学科 インドネシア語専修 4年次 南田 佳奈子

審査員講評

 決して洗練された文章ではない。 平易で、京都産業大学での4年間をどのように過ごしたかを淡々とつづった文章である。 ただその中身は、インドネシア語で「COBA(チョバ)の精神」と言われる挑戦の4年間の記録である。 決して肩の力の入った必死の頑張りという意味での挑戦ではない。 いつも周りの人々、教員やクラスの友人たち、先輩後輩、そしてインドネシア留学で得た人々との出会いに支えられているために、普通なら大変な苦労を要することも、容易に行われてしまうように見える。 今後も、「ひと」との「であい」を大切にして、「みらい」へと羽ばたいてもらいたい。

作品内容

「ひと・であい・みらい」 南田 佳奈子

 京都産業大学でよい先生方、先輩、後輩そして友達に恵まれた。「ひと・であい・みらい・ヒューマンネットワーク 京都産業大学」は、まさにその通りだと4年を通して感じている。それを学ぶことができたきっかけは、きっと「COBA(チョバ)の精神」のおかげに違いない。「COBA(チョバ)」とはインドネシア語で「やってみる」の意味、英語でいう「TRY(トライ)」にあたる。大学に入学して最初の授業で教わった。インドネシア語専修の左藤先生曰く、初めて見たり、聞いたりしたこと何でも、興味を持ったらまず試してみること、試さなければ何も分からないと教えてくれた。これをチョバの精神というそうだが、毎年インドネシア語専修の第1回目の授業でおっしゃっているそうだ。この「COBA(チョバ)の精神」が私の大学生活のテーマになった。何でもやってみようという気になったのだ。やってみて本当にだめならあきらめればいい。

 私の京都産業大学での4年間はまさに挑戦の日々であった。大学でまさかインドネシア語を学ぶなんて、思ってもみなかった私にとって人生始まっての挑戦であった。3月の後期試験で京都産業大学の外国語学部言語学科インドネシア語専修に合格した。第一志望でもなく、京都産業大学に入学するなんて考えてもみなかった。前期試験で志望していた大学にことごとく落ち、希望を失っていた私。浪人する勇気もなく、高校の先生に3月まで頑張ろうと励まされ、自信を持って受験し、合格したインドネシア語専修。語学を学びたかったし、とにかくやってみようと熱い思いで京都産業大学に入学した。語学は自分の努力次第なので、1回生はインドネシア語を懸命に勉強した。1回生は大学に慣れるので精一杯だった。

 2回生は大学の雰囲気にも慣れ、バイトを始めた。マクドナルド京都産業大学店である。

 外国語学部の授業は必修がたくさんあり、毎日大学に来る私にとってこのバイトはおいしいと感じた。働いている人、お客さんも京都産業大学の学生だったので普通のマクドナルドでのバイトでは得られないものを得ることができた。仲間と協力の大切さ。当時、学生部長をされていた粕谷先生が、「あれはバイトというよりクラブ活動みたいなものだね。」とおっしゃっていたのを思い出す。そうかもしれない。

 2回生の秋、24時間100キロハイクにトライした。ちょうど20歳の誕生日であったことから、自分の精神と体力に挑戦してみようと決意した。友達を誘ってみたが、一緒に参加する者はなく、寂しくも一人での参加となり、一人黙々と歩いていたが、夕方になって暗くなり道に迷いかけた時、後ろから歩いてきた女性に尋ねてみた。彼女は志学会執行委員会の人で応援がたくさん来ていて私も応援してくれた。とても励みになった。途中で離れたりもしたが、最後のゴールを共にしようと遅れて歩いていた私をゴール近くのチェックポイントで待っていてくれ、一緒にゴールできたことは本当にうれしかった。

 3回生では念願のインドネシア留学にチョバした。夢みていたが、はっきり言って自信がなかった。学校でインドネシア語を学んではいたものの、実際にインドネシアに行ったことがなく、授業以外でインドネシア人と話した経験がなかったからである。しかし、先生方や留学経験のある先輩から少しでも行ってみようという気があるのなら行くべきだとうかがい、決意した。京都産業大学からインドネシアへの派遣留学は初めてのことだったので、情報もほとんどなく不安な気持ちで出発したが、その分自分自身成長できたと感じている。

 留学中、何よりもうれしかったのはインドネシア語専修の先輩と先生にインドネシアの地で会えたことである。卒業後、留学された先輩やジャカルタで仕事をされている先輩に会っていろいろな話が聞けたことは私の人生観を変えるほどよい刺激になった。左藤先生とエディ先生との再会は本当にうれしかった。成長したとほめていただいたことは今でも忘れられない。

 インドネシアでも友達がたくさんできたのと同時に、大切な家族も得ることができた。インドネシアでお兄さんとお姉さん、そして妹が2人増えた。この出会いは本当に貴重なものである。就職が決まって大学を卒業したら会いに行く約束をして帰国したので、夏休みはインドネシアへ行かないつもりでいたが、就職活動もうまくいかず、後期をどのように過ごすか悩んでいた私は、学生生活最後の夏休みを利用してインドネシアの家族に会いに行った。突然決めたので、私の訪問に驚いてはいたが、喜んで迎えてくれたし、励ましてくれた。自分の就職に対する考え、卒業後のインドネシアとの関わり方など悩んでいたことの答えが少しみえた気がする。絆がますます強くなり本当に行ってよかった。

 そして、今年留学した後輩たちにも会ってきた。留学前にいろいろ相談にのり、どうしているか気になっていたからだ。みんな元気でたくましく留学生活を存分に楽しんでいるようだった。その姿をみて本当にうれしかった。今までは先輩や先生方など年上の人と接する機会が多かったが、このように後輩を持ち彼女たちの成長をみることができるのもすてきなことだなあと感じた。私が先輩からたくさんの刺激を与えてもらったように、自分自身が後輩たちに刺激を与えられるとともに、私も後輩たちからたくさんのパワーをもらうことができる。これが人とのつながりなのだなあと感じた。

 京都産業大学での学生生活最後の今、また貴重な経験をしている。国際交流会館入寮者募集を知り、私の留学経験を役に立てたい、インドネシアで私がしてもらってうれしかったことを今度は私が日本にやってきた留学生にしたいと思い、応募したところ、入寮できることになり、様々な国からの留学生との生活が始まった。

 運良く、インドネシアから帰国した次の日、後期からの新しい留学生歓迎のウエルカムパーティーが国際交流会館であり参加した。ドイツから3人、アメリカから2人、台湾から1人やって来た。挨拶程度しかできなかったが、これからの生活がまた楽しみである。留学生のみんなが少しでも京都産業大学に来てよかったと思えるように接していきたいと思う。

 最後に、私たちインドネシア語専修4回生にはインターネットでホームページを設けていろいろ語り合える場所がある。就職活動が忙しく、大学で会う機会がほとんどないので近況を知らせる場となればと友達が開いた。ごく最近の話題。一人の学生が大学をやめるか、やめないかについて悩んでいて、皆に「大学」とは何か?について尋ねた。それに対して私たちはみんな真剣に自分なりに「大学」とは何か?と考え、答えている。試験終わりやある程度の節目に飲み会などを開いていたが、普段の授業では単なるクラスメイトといった感じでそんなに仲が良かったわけではなかったが、一人の悩みに対して同じクラスの仲間が真剣に考え答えているのをみて感動してしまった。私も自分の意見を書いた。私にとって「大学」とは何か?人との出会いを通して刺激を得、自分の未来を考える場であると。私の京都産業大学での4年間はまさにそれそのものであったからだ。はっきり言ってまだ夢や未来は見えていない。しかし、夢や未来は時とともに変わるもの、選択しなければいけない時が来た時、素直になって自分にとって一番よい選択をすればいいと思う。肩の力をもっと抜いて自然に生きていこうと思う。「大学」とは何か?の答えは、1つだけではない。100人いれば、100通りの答えがあるはずである。

 このように、人との出会い、つながりを存分に感じて学生生活を送っている。この京都産業大学で知り合ったかけがえのない友達や先輩、後輩、先生方とのつながりをこれからも大事にしていきたいと思う。「大学」って一体、何をするために行くのだろう、直接社会に役立つこともなさそうだし・・・と思っていたが、それぞれいろいろな目的を持って京都産業大学に存在する人たちとのであい、つながりを得ることができるのだと4年間を通して学んだ。

 これからも新しい「であい」はたくさんあるだろう。「ひと・であい・みらい」を大切にして生きていきたいと思う。何よりも京都産業大学で得た多くの人とのつながりを大事にしたい。大学に進学して本当によかったと思う。そしてこのヒューマンネッワークでもってみらいを共に歩んでいくことができるのは、なんて素晴らしいことなのだろうかと思う。京都産業大学で得たこのつながりを大切にし、希望を胸に秘め、これからも「COBA(チョバ)の精神」で、自ら積極的に様々なことに挑戦していきたいと思う。

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