琵琶湖とベトナムのフィールドからインフルエンザウイルスの謎に迫る
—種の壁を超えるメカニズムの解明—

総合生命科学部 動物生命医科学科 桑 弘樹 准教授

種の壁を超えるメカニズムの解明

 ニワトリに対する毒性が強く、ヒトへの感染での死亡例もあり、蔓延が危惧されている高病原性鳥インフルエンザ。日本では、今のところ広く蔓延する前に抑え込んでいますが、野鳥が運んでくるウイルスだけに、いつどこで広まっても不思議はありません。私たちにとって手強い相手であるウイルスですが、彼らも自分たちの子孫を増やすために行動しているに過ぎません。その生態やメカニズムを解き明かせば、おのずと対処法が見えてくるはず。鳥インフルエンザウイルスの生態と病原性の解析がご専門の桑 弘樹先生にお話を伺いました。

高病原性鳥インフルエンザウイルス

 H5N1亜型のインフルエンザウイルスは「高病原性鳥インフルエンザ」と呼ばれる強い毒性を持ったものが存在し、ニワトリに感染すると、死に至る例もあります。日本国内で感染が確認された場合、国内への蔓延を防止するため同じ鶏舎のニワトリをすべて殺処分するなど、養鶏業だけを見てもその影響は測り知れません。

 さらに近年は、アジアや中近東でヒトが感染したという報告もあり、これまで全世界で600人が感染し300人が亡くなっています。いまのところ、ヒトからヒトへと感染した例は認められていませんが、いつヒト‐ヒト感染をするように変異するのか、監視を怠ることができない存在となってきました。

種の壁を越えて強毒型に変異

 H5N1亜型ウイルスも、もとはカモを宿主とするインフルエンザウイルスです。カモでは感染しても重症にはならず、うまく共生関係を築いていたのです。

 少し考えると分かると思いますが、ウイルスにとっても宿主が重症になるのは喜ばしいことではありません。ウイルスは、宿主の中で子孫を増やしつつ、その増えた子孫を別の個体に移しながら増えていきます。ですから、発症しても宿主がそれなりに元気で、動き回ってくれないと困るわけです。宿主が重症で寝込んでしまったり、死んでしまったりしては、ウイルスはそれ以上増えることができず、ウイルスの存続にとって不利になるのです。

 ではなぜ、強毒性のウイルスが発生し、猛威を振るうようになったのでしょうか?

 もともとインフルエンザウイルスは種が変われば、感染することができません。それは種が異なれば、細胞のレセプターも異なっているからです。レセプターは細胞膜から延びている糖鎖で、外部の物質と結合したり、情報を受け取ったりするための独自の構造を持っています。インフルエンザウイルスは、宿主となる種のレセプターにうまくくっつくように適応していて、それ以外のレセプターにはうまく取り付くことができないのです。種による違いは非常にわずかで、アミノ酸1個や2個分といった小さな差が、付く付かないを左右しています。

 ところが、インフルエンザウイルスは変異を起こしやすいウイルスで、変種が生まれやすいという特徴があります。彼らは、私たち動物と違い、遺伝子をRNAで保持していますが、RNAの複製時にミスを起こしやすく、塩基1000個〜10000個に1個の割合で変異します。これは動物の1万〜10万倍の変異の起こりやすさです。

 10000個に1個というと少ないように聞こえるかもしれませんが、インフルエンザウイルスは、一度の感染で107倍に増えるので、ほぼ必ず変異体が出てくる計算になります。

 インフルエンザウイルスがこのように変異しやすい理由としては、構造が単純なので、宿主側の免疫から逃れる手段が他になかったことが考えられます。変異しないままだと、宿主が作り出す抗体にすぐ滅ぼされていたでしょう。逆に考えると、変異しにくいウイルスは生き残らず、変異しやすいからこそ生き残ってこられたとも言えます。

 ヒトのインフルエンザが毎冬のように流行を繰り返すのも、この変異しやすさがあるからです。もしウイルスが変異しにくいものであったなら、一度の流行で宿主の免疫機構もワクチンも準備が整ってしまい、次の年に流行ることはないでしょう。

 現在、分かっているのは、カモを宿主としていたH5N1亜型ウイルスが偶然ニワトリに入り込み、ニワトリの中で感染を繰り返すうちに、感染しやすいように変異したものが偶然強毒型の性質を持ってしまったということです。東南アジアなどでニワトリの感染が発見された当初に、殺処分をせずにワクチンで対処しようとしたため、ウイルスが生き延びて、強毒型へと変異する余地を作ってしまいました。

琵琶湖とベトナムでのフィールド研究

 鳥インフルエンザの研究では、フィールドでの調査が欠かせません。私は琵琶湖とベトナムでのフィールドを中心に調査を行っています。

 琵琶湖へは、冬になると北からカモやハクチョウなどの渡り鳥がやって来ます。それらの野鳥のほとんどは健康なのですが、そのうちの1、2%が弱毒型のインフルエンザウイルスを持っています。このウイルスをフンから分離して、それを実験的に新しい宿主(たとえばニワトリ)に感染させて、出てきたウイルスと比較します。新しい宿主にどのようにウイルスが適応していくのかを調べているわけです。

 一方、ベトナムでは、H5N1亜型ウイルスが蔓延している状態です。ニワトリで蔓延しているH5N1亜型ウイルスが野鳥にも感染しているのか、どういう形でウイルスが存続しているのかを養鶏場の近くにいる野鳥を調べることで解明しようとしています。

 近年流行っているH5N1亜型ウイルスは、もともと中国で発生しそれが東南アジアにも広がったものです。日本での発生の多くは、やはり中国がもととなり韓国を経由し、さらに日本へと入り込んで来ていました。いわば西からの感染ルートです。ところが、2010年と11年は北から日本にやって来ました。おそらく、中国から野鳥に乗って、一旦北方の営巣地に運ばれ、そこから日本に南下して来たのだと考えられます。

 北方の営巣地にウイルスが運ばれたのだとすれば、冬に凍結する池や湖にウイルスが保存されてしまう可能性があります。そうなると、毎年ウイルスが日本にやって来るような事態が起こる恐れがあります。幸い、昨年および今年は国内でH5N1亜型ウイルスの発生が見られなかったのですが、中国から北へ野鳥によって運ばれる限り、いつまた北から日本に来るのか分かりません。

  こういった危険な事態を少しでも早くに察知するためにも、地道なフィールド調査は欠かせないのです。

私立大学では珍しいBSL3の実験室

BSL3

 京都産業大学には、私立大学としては希少なBSL3(Bio Safety Level 3)の実験室を設置している。

 BSL3の実験室は、外部より陰圧の状態に保たれ、ウイルスなどが外部に漏れ出すことがないように設計されている。入室の際には必ず防護服を着用して、退室するときには脱いでから出るなどの規則を設けている。

 高病原性鳥インフルエンザウイルスのようなヒトに感染し重篤な症状を呈する恐れがあるウイルスや国内に蔓延し畜産業に多大に被害を及ぼす恐れのある病原体を実験的に扱うために万全を期した設備となっている。

アドバイス

高校では広い興味を持って

 高校では、ある一つの分野に特定するのではなく、広く色々なことに興味を持って、たくさん学ぶことがその後の幅を広げます。特に私立大学の入試では、受験科目が少なく設定されていますが、だからといって「自分に社会科は関係ない」などとは思わずに勉強に取り組むことが将来のみなさんの興味につながるのだと思います。

 総合生命科学部を志望される場合も、生物だけではなく、物理や化学もしっかりとやって来てください。特に、実験では化学ができないと困ることになります。

 学部に関係なく、絶対に必要となるのは国語です。どんな研究をするにしても、どんな職業を選ぶにしても、他の人に自分の考えを分かりやすく伝える力は必要ですから、理系志望だからといって手を抜かずに、国語の力をきちんと身につけてください。

総合生命科学部 動物生命医科学科 桑 弘樹 准教授

プロフィール

博士(獣医学)。専門は鳥インフルエンザを中心とした動物感染症学。複雑な生物の中でシンプルに見えるウイルスは、全て解明できるかもしれないとの思いからウイルス研究の分野へ進む。ニューキャッスル病ウイルス、ヘルペスウイルスと研究を重ね、問題の大きさという観点から鳥インフルエンザウイルスへたどり着く。北海道立函館中部高等学校OB。

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