単細胞生物が見せる豊かな社会性—ナノバイオロジーの世界—

総合生命科学部 生命システム学科 嶋本 伸雄 教授

ナノバイオロジーの世界

 考えるという能力を持った人間は、大腸菌などの単細胞生物とは比べものにならない高等で出来の良い生物だと、私たちは思いがちです。しかし、本当にそうでしょうか?「生物学をやっていれば、人間より出来の良い生物なんていくらでも見つかりますよ」と話す嶋本 伸雄先生は、大腸菌の社会的行動の遺伝学を中山 秀喜助教と共同研究されています。詳しくお話を伺いました。

ナノバイオロジーとは

 まずはナノとは何か? ナノという言葉は本来10の−9乗(1/10の9乗)を意味するのですが、実際はナノメートルという単位の略として使われることが多いのです。「15センチの定規」のように、メートルを略すのと同じですね。それではナノメートルという長さがどうして生物学(バイオロジー)において重要なのかと言いますと、それは多くの生物を構成する分子の大きさが1〜100ナノメートルくらいだからなのです。

 これらの分子の振る舞いは、たとえば生きているか死んでいるか、動いているか止まっているか、といった外側から観察できる生物の現象に直結します。最も分かりやすい例を挙げますと、生物の遺伝情報をもつDNAは、バクテリア細胞内では1分子しかありません。そうした分子の動きから生命現象を研究するのがナノバイオロジーという学問です。

 DNAが遺伝物質であるということは1970年までに決着がつき、以後はDNAが物質として扱われ「分子生物学は終わった」という言い方がされたこともあります。しかし、学問において問いがなくなるということはありません。その後、生物学は分子生物学を基礎的な土台として広がり、1990年代に物理学、化学との境界がなくなりました。生命活動が化学反応や物理現象として物理・化学の言葉をもちいて研究されるようになってきたからです。ナノバイオロジーは、究極の小さな対象を扱う分子生物学として、1994年に登場し、レーザー等の新しい光学技術、半導体工学で開発された手段を用いて発展してきました。

大腸菌も社会を作る

 私が京都産業大学に来てから研究対象としているのは大腸菌の生存メカニズムです。中山助教の思いがけない発見から、単純なものとしてイメージされやすいバクテリアなど、単細胞生物も、実際は人間等の多細胞生物と変わらないくらい複雑な行動様式を持っているのではないかと確信するようになりました。中でも大腸菌については遺伝子と分子的な知識が随分集積していましたので、生死という大きな問題を考察するにはぴったりでした。

 人間は進化の過程で、社会という群れを作って生きることを選んだ生物ですが、実は大腸菌も社会を作ります。大腸菌の集団は決して均一な集合体ではなく、お互いが複雑に関係しあっている社会であることが分かってきました。そうだとすれば、人間と同じように、大腸菌にも群れを作ることで集団として遺伝子を生き延びさせるメカニズムがきっとあるはずです。そう考えた我々は、大腸菌の生き延び方に注目しました。

 我々が仮説として立てたのは、大腸菌の集団は危機的状況に面すると、死ぬ個体と生きる個体に別れて、死ぬ方は自らを分解し、残った個体に栄養を提供するのではないかというアイデアです。このような栄養のやり取りは、動物でも同じような現象があり、例えば卵子は周りの細胞から栄養分を提供され成熟します。大腸菌の場合はそれが一個体の中でではなく、単細胞生物の集合体の中で同じような構造を持っているのではないかという仮説です。

 大腸菌が死ぬときには、まず周囲にアミノ酸などのエサがなくなる段階があります。エサがなくなると、身体を造るタンパク質が作れなくなります。そういう飢餓状況に対処するためには、エサの欠如を感知するセンサー回路があるはずです。そこから辿っていけば、どういう風にシグナルが出されているのか見えてくるだろうと考えました。研究の結果、我々は2つの重要な回路を発見しました。アミノ酸がなくなったときに警告するセンサー回路とアミノ酸を分解する回路です。実はこれら2つの回路が、大腸菌が集団として生き延びるための鍵になっていたのです。

腹八分目でストップ

図

 我々が着目したのは、遺伝子発現の最後を飾る翻訳というプロセスです。DNAの持つ情報は、まず転写というプロセスによってmRNAと呼ばれる分子に写されます。翻訳とは、このmRNAの情報を元に、アミノ酸を合成してタンパク質を造るプロセスのことです。

 タンパク質の合成はリボソームという分子機械で行われます。タンパク質の材料となるアミノ酸はtRNAと呼ばれる分子によってリボソームに運ばれ、リボソームは1つずつアミノ酸をRNAに書かれた情報に従ってつないでいきます。アミノ酸の濃度が低くなると、この動作が中断され、tmRNAというセンサー分子がリボソームに結合します。このtmRNAは「もうきちんとタンパク質が合成できる状況ではないので、この作りかけのタンパク質は分解しなさい」という命令を与え、また次に栄養が豊富になったときにリボソームが働けるようにします。アミノ酸が足りずタンパク質の合成に失敗してしまったとき、そのまま作り続けても不良品のタンパク質ができてしまうので、tmRNAはそうならないための安全装置です。実は、これが生きるか死ぬかを決める安全装置にもなっていたのです。

 更に、余分になったタンパク質を分解してアミノ酸を作って、生存に必要不可欠なタンパク質を作る分解酵素のことも少しずつ分かってきました。死ぬ運命にある個体を分解するための回路になっているようです。「お前はもう死んでいる!」という命令となっている物質も他の研究チームによって見つかってきています。これは大腸菌にとって危機的な状況においてのみ見られる現象で、全体の数を減らすことで集団を生き延びさせるための戦略と考えられます。ただ、誰がこの命令をどの大腸菌に出すのかは、今は全く謎です。

 tmRNAのセンサー回路をなくすと、大腸菌はどんどん増えていき、その代わりに早く死ぬようになります。大腸菌には、エサが欠如して集団ごと倒れてしまうのを防ぐために「腹八分目でとめる」仕組みがあったのです。人間そっくりです。今は分解酵素とtmRNA、それぞれがどのように関与しているのか、また呼吸や体内の酸化、ストレスなどの因子の影響についても少しずつ明らかにしているところです。

 最近、他のバクテリアで、死ぬことを命令するシグナルを出せる独裁者が現れるというセンセーショナルな発見が国外でなされました。また、独裁者をだまして、死んだふりをする偽装者も同時に見出されました。独裁者以外の大腸菌が全て死滅してしまいますと進化においては不利ですから、暴君には殺せない、いわば革命軍のような少数の大腸菌が必ず安全装置として用意されているのかも知れません。さらに、そのような革命軍が現れないようにする仕組みもありそうで、研究され始めました。

 大腸菌は1個体からクローン社会を形成できます。基本的にはどのような大腸菌でも独裁者になる可能性を持っているのだと思います。この独裁者はどのようにして選ばれるのか?革命軍との違いは?確率的に選ばれているのか、それとも予め決まっているのか?分かっていないことがいっぱい出てきました。学問は研究が進むと、新しい疑問が増えるものなのです。

RNAポリメラーゼのスライディング

 DNAはUSBメモリのようなもので、それ自体ではなにも実行できない単なるメモリです。このDNAから情報を読み出す酵素をRNAポリメラーゼというのですが、情報の読み出しは簡単な作業ではありません。膨大な情報量を持つDNAから、読むべきときに、特定の場所から情報を読み始めなくてはならないからです。

 この、RNAポリメラーゼはDNAの読み始めをどう見つけているのか、というのは私の以前の研究テーマでした。研究の結果、分かったのは、人間が最寄の駅から電車に乗り、線路を伝って目的地まで着くのと同じように、RNAポリメラーゼは細胞全体に広がるDNAから最寄のものを見つけて衝突し、そこからランダムにDNAに沿って滑り、読み始める場所を見つけるのだ、ということが分かりました。つまり、RNAポリメラーゼはDNAの上をスライディングしていたのです。

アドバイス

 生物学・物理学・化学の境界がなくなっているというのはいまや常識となりました。しかし、日本の高校教育はそれに追いついていません。高校の生物は、雑多な知識の記憶が主であり、物理や化学が苦手な人が選択する傾向にあります。しかし、いまや物理や化学を抜きにして、できる生物学はどこにもないのです。ですから、物理や化学が好きで、次は生物にチャレンジしたい、という人のほうが大学に入ってからは伸びるかもしれません。

 受験生には、物理や化学しか勉強していなくても安心して生物学の道に進んでほしいし、生物を勉強している人は大学で一から生物学を学び直すという心意気で来てほしいと思います。総合生命科学部には幅広い生物学の分野を網羅する教員が揃っています。西日本の私立大学では最も幅広くて強力な教員陣です。そうしたやる気のある学生にとても適した環境です。

総合生命科学部 生命システム学科 嶋本 伸雄 教授

プロフィール

理学博士。専門はナノバイオロジー。京都で育ち、京都で学位を取得するなど京都に縁が深い。その後ニューヨークに渡り、当時最先端の分子生物学を身につける。帰国後、広島大学に、次の国立遺伝学研究所でナノバイオロジーを創設。分子から個体まで連続した概念で生物現象を理解することを目指している。自身のウェブサイトにナノバイオロジーの初学者向けミニ講義を掲載していて「いいスタートを切ってほしい」との思いを込める。著書に『ナノバイオ入門』(サイエンス社、2005年)など。趣味は気球。京都府立洛北高等学校OB。

PAGE TOP