ウイルスと生物の神秘的な関係—動物の神経を蝕むボルナ病ウイルスの謎に挑む—

総合生命科学部 動物生命医科学科 西野 佳以 准教授

動物の神経を蝕むボルナ病ウイルスの謎に挑む

 「ボルナ病」とはあまり聞き慣れない病名ですが、中央ヨーロッパでは、昔から研究されているウイルス病です。馬や牛など、多くの種類の動物に感染していることが報告されています。ボルナ病の原因ウイルスは動物の中枢神経に感染し、元気を失わせたり運動障害を起こします。人間にも感染することから、精神疾患の原因になっている可能性が指摘されていますが、因果関係が明らかでないため、早期の解明が待たれています。日本では珍しいボルナ病ウイルス研究に取り組まれている西野佳以先生にお話を伺いました。

ボルナ病とはどのような病気か

 ボルナ病は、19世紀に中央ヨーロッパ、特にドイツの騎兵馬で流行しその存在が知られるようになった動物の神経疾患です。ボルナとは最初に病気が発見された町の名前で、その後、同定された原因ウイルスをボルナ病ウイルス( Borna disease virus: BDV)と呼ぶことになりました。

 当初、ボルナ病は馬特有に発病するウイルス病と考えられていましたが、その後羊、牛、猫、犬、鳥類(ダチョウ)などでも発見され、現在では約20種類の温血動物で感染が認められています。

 ボルナ病の特徴としては、歩行できなくなったり、足を引きずるなどの運動機能障害がよく知られています。たとえば猫にBDVが感染すると「ヨロヨロ病」と呼ばれる運動機能障害が起こりますが、これは日本でも見つかっています。その他には、行動異常や感覚異常(味覚異常など)が現れます。人間でいえば気分障害(うつ病)にあたるような症状を示すのもBDVの特徴です。専門用語では「元気消沈」といいますが、動きに活気がなくなり、感情の起伏が乏しくなります。群れで行動しなくなった牛(1頭だけ群れからポツンと離れて行動する、あるいは、雨が降っても牛舎に入ろうとしないなど)を調べてみるとBDVに感染している場合があります。

神経を蝕むBDV

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 BDVは動物の体内に侵入し、神経細胞に入り込んで複製を始め、最終的に脳で増殖して脳炎を引き起こします。

 BDVのように神経に入り込むウイルスは他にもあります。たとえば水ぼうそう(帯状疱疹)を引き起こすウイルスや、口唇ヘルペスを引き起こすウイルスなどがそうです。

 これらの神経ウイルスの大きな特徴は、持続感染するという点です。つまり長く生き残るウイルスなのです。

 私達は子どもの頃に水ぼうそうになり、高齢になってから帯状疱疹を再発症することが多いですね。この場合、高齢になって初めてウイルスに感染するわけではありません。子どものときにかかった水ぼうそうの原因ウイルスが、実はその後も体内で長い間ずっと隠れていて、それが何らかの原因によって再活性化し帯状疱疹として発症しているのです。

 これらの神経ウイルスが長く体内で生き残れる理由として、感染した神経細胞をすぐに殺さない性質であることと、神経細胞は体内の他の細胞に比べて寿命が長いため細胞内のウイルスも長く存在できることが挙げられます。

強毒性BDVの発見

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 ウイルスは非常に単純な構造をしているため、自分を複製するために必要な最小限のものしか持っていません。そのため、他の生物の体内に侵入し、細胞を借りて自己複製をするのですが、侵入された生物がすべて病気になるわけではありません。

 ウイルス感染症では、ウイルス側要因(ウイルスの毒性、複製スピードなど)、宿主側要因(生物の種類・系統・個体により異なる要因)、環境要因(日照時間、温度、湿度、ストレスなど)の3つの要因が発症を左右します。

 この中で私が関心を持っているのは、ウイルス側要因と宿主側要因です。特にウイルス側の要因については、10年ほど前のアメリカ留学中に強毒性のBDV株を発見して以来、継続して研究を続けているテーマです。

 ボルナ病は免疫応答※1に依存する病気だと長い間考えられてきました。なぜなら、ボルナ病は免疫応答が完成している成体では発症するが、生まれたばかりの免疫応答が未熟な個体では発症しないということが知られていたからです。ところが、私が発見した強毒ウイルスは生まれたばかりのラットでも発症するのです。

 強毒ウイルスが弱毒ウイルスと何が違うのかを明らかにすることが現在の私の大きな目標の1つです。従来のウイルスと強毒ウイルスの遺伝子配列を比較すると、約1万個のウイルス遺伝子のうちの4ヵ所が違っていることまでは突き止めました。現在、これら4つの違いのうち、どの組み合わせが原因になるのか検証を進めています。

※1 免疫を担当する細胞が、異物に対して特異的な反応(攻撃 するなど)を示すこと。

謎が多いからこそ挑戦のしがいがある

 BDVに携わる日本の研究者はあまり多くありません。その理由は、元来ヨーロッパで発見された病気で、日本での症例が少ないこと、そしてもう1つは、ヒト免疫不全ウイルス※2のような深刻な人的被害がまだ知られていないことが挙げられます。

 どのような病気でもそうですが、目に見える脅威が無いと、多くの労力を使って研究しようという人はなかなか現れません。だからといってBDV研究は重要ではないのかというと、私はそうは思いません。

 その理由は、ボルナ病研究において歴史の古いヨーロッパにおいてもなぜ人間を含む多くの動物種に感染できるのか、なぜさまざまな発症パターンがあるのか、といったボルナ病という病気を考える上で本質的なことが明らかにされていないからです。もし今後、ボルナ病が大流行し毒性の強いウイルスが生まれたら、現状ではまったく太刀打ちできません。ですから、今、流行していなくても、少しずつでも研究を進める必要があるのです。

 もう1つの理由は、人間においても、他の動物と同様に気分障害や統合失調症などの精神疾患を引き起こす可能性があるという点です。これまで、ウイルス感染により引き起こされる精神疾患は知られていませんし、これを明らかにするのは、容易ではありません。精神疾患の場合、病気に結びつく原因を同定するのは他の病気以上に難しいからです。BDV感染が原因の精神疾患は、おそらく他の精神疾患と異なりウイルス感染症としての治療法や予防法も効果があると予測されます。従って、現在、さまざまな精神疾患と戦っている患者さんのうちBDV感染が疑われるかたは、治療の選択肢が広がる可能性があります。この他、BDVに感染したラットは自閉症などの脳の発達障害のモデル動物として基礎研究を進める上で役立っています。

 このように、BDVに関してはまだまだ解らないことばかりです。またBDVに限らず、持続感染症は発症まで時間がかかるので、実験的に予想できないことがあり、非常に困難がつきまといます。だからこそ、チャレンジのしがいがありますし、今現在、日本で大流行していませんが、続けていく意義があるのだと思っています。

※2 人間に感染し後天的な免疫不全症(AIDS)を引き起こす ウイルス。

アドバイス

 動物生命医科学科には、とにかく動物が好きでもっと知りたい人たちに入学して欲しいと思います。「好き」だからといって、単に可愛がるだけでは将来動物に関わる職業に就くことはできません。そのため、本学科では「動物」をキーワードに化学、生理学、解剖学、分子生物学、微生物学、そして生命倫理などについて総合的に学ぶシステムになっています。また、学問には実践が重要ですから、多くの実習を受講することができるようになっています。

 本学科がめざすところは2つあります。1つは、実験動物を扱うスペシャリストを育てる、ということです。在学中に「実験動物一級技術者資格」の受験資格を得ることができます。これは合格が非常に難しく、ふだん実験動物を扱っているプロたちも目指す資格です。たとえ、合格できなくても、受験をしたという事実は、実験動物に関する専門知識と技術をある程度持っていると企業や各種機関に評価されます。後の進路を考えると有益でしょう。もう1つは、動物あるいは人獣共通の感染症に関する知識を備えた人材を育てる、ということです。今までこのような知識は獣医学部でなければ身につけることができなかったため、慢性的に人材が不足しています。将来的には食品・製薬・飼料メーカーなどへの就職に活かすことが期待されます。

総合生命科学部 動物生命医科学科 西野 佳以 准教授

プロフィール

博士(理学)。専門はウイルス学、免疫学。高校時代に、心をこめて育てたヒヨコが1週間くらいで死んでしまい、無力感を感じたことから獣医臨床の道をめざして獣医学部に進む。卒業研究をしているうちに基礎研究の面白さを知り、外の世界を知りたくなって、理学部の大学院へ進み、基礎ウイルス研究の道へと転じる。北海道立札幌北高等学校OG。

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