ニューロンの発火パターンから意図を読み取る
—神経科学とコンピュータ科学が融合する未来の技術BMI—

コンピュータ理工学部 インテリジェントシステム学科 高橋 晋 助教

神経科学とコンピュータ科学が融合する未来の技術BMI

 脳とコンピュータとを結び、思っただけで機械を操作するBrain-Machine Interface(BMI)。これまでは、運動に関わる脳の信号を読み取る方法が主流となっていました。高橋晋先生が目指すのは、さらに大きく進歩させて「意図」を読み取るという、より根本的なテーマです。いったいどうやって脳から「意図」を読み取るのでしょうか。詳しくお話しいただきました。

より優れたBMIへ

 私の研究テーマは脳とコンピュータとを結ぶBrain-Machine Interface(BMI)で、その中でも特に「意図」を読み取り、機械を操作しようというものです。従来のBMIには「腕を上に挙げよう」という運動に関わる脳の信号を読み取って機械を操作する手法が主にとられてきました。このタイプのBMIは、筋肉を機械に置き換えたようなもので、操作者の意図通りに動かない、俊敏な反応ができないといった限界がありました。

 この限界を超えられるのは、実は意図を読み取る方法なのです。その理由は脳の情報処理の特徴にあります。脳は手足を動かそうという運動に関わる情報を発するよりも前に、何かをしたいという意図に関わる情報を発しています。また、運動がしばしば失敗するのに対して意図には失敗というものがありません。階段を昇ろうとしてつまずくことはありますが、階段を昇ろうという意図が失敗することはまずありません。意図だけで機械を操作できれば、より正確で反応の早いBMIが実現されると期待されています。

STEP1 個々のニューロンの信号を分析する

 現在、台車にラットを乗せて、ラットがどの方向に行きたいのかという意図を読み取り、その方向に台車を走らせる、というBMI 実験に取り組んでいます。

 脳のニューロンの活動からラットの意図を読み取るには大きく分けて2つの段階があります。最初の段階では、12本束ねた極めて細い電極を脳の中に刺し込み、ニューロンが活動する際に発生する微弱な活動電位(スパイク)を計測します。この計測した情報は、そのままでは個々のニューロンの活動を表していません。電極のまわりにある複数のニューロンは一斉に活動することがあるため、スパイクが混ざり合ってどのニューロンからの信号なのか分からないからです。

 そのため「独立成分分析(ICA)」と呼ばれる分析方法が有効になります。これは、混ざり合った信号を、混ざる前の状態へと分離するための技術で、計算によってカクテルパーティー効果※1を実現することができます。実際には、N個の観測点から得られた信号を行列Wで変換したとき、各成分ができるだけ独立になるように行列Wを求めるという計算を行っています。

 ICAをニューロンの発火の解析に導入したのは私が世界で初めてです。また、分析のための回路やソフトも独自で考案しました。ICAには、観測点の数よりも混ざった信号の数が多いと正しく分離できないという制約があるため、ICAでの分析に入る前に、従来の分析方法も使い、混ざった信号に含まれるニューロンの個数を少なくする工夫も考えました。

※1 人間は、騒がしいパーティー会場でも特定の会話だけを取り出して理解することができる。このように雑音が混じった中から特定の情報だけを取り出すこと。

STEP2 発火パターンから意図を読み取る

写真

 第二段階では、ニューロンの発火パターンから意図を推定します。

 ここでは、分かりやすくするため「右に行きたい」と「左に行きたい」という2つの意図が考えられる場面を想定しましょう。計測されたニューロンの発火パターンを「サポートベクターマシン」と呼ばれる機械学習ソフトに学習させることで、「右」と「左」とに分ける境界線(決定面と言います)を見つけ出しています。具体的には、計測されたパターンを点として描いたときに、どこを決定面にすれば決定面と点との間隔を最大にすることができるかを求めます※2

 図1は1つの点にx,yという2つの要素しかない場合の例です。実際の実験では、1つの点に10ニューロン×計測時間分の要素が含まれるため、より次元の高い図となります。

 あらかじめ、ニューロンの発火パターンと「右」「左」という行動とを実験によって照らし合わせておき、決定面を見つけ出せば、以降は発火パターンだけで意図を読み取れるようになります。

※2 決定面にもっとも近い点のことを「サポートベクター」と呼ぶ。

意図は海馬に潜む

 意図を読み取るために計測しているのは「海馬」と呼ばれる脳の中枢部です。海馬は記憶を司ることが分かっていますが、なぜ意図を読み取るのに海馬なのかというと、動物は新しい状況に直面したとき、過去の記憶を呼び覚まして、新たな情報と照合しながら、状況判断を行っていると考えられているからです。

 これまでの実験結果からも、海馬と意図が密接に関係していることを支持する証拠は出ています。たとえば、迷路をラットに走らせて「右に行って、左に行く」という課題を与えるとします。課題に成功すると報酬がもらえるのでラットはがんばって成功させようとするのですが、最初の角を右に曲がろうとしている段階で「次は左だ」と意図しているのが分かっています。反対に、間違って「次は右だ」と意図している場合、実際の行動でも「右に行って、右に行く」と間違えることも分かっています。

 現在は、角に来た時点でライトを当てて、その光の方向へ行くのが正解という課題を与えての実験にも取り組んでいます。この場合には、いったいどんな意図を持つのか楽しみです。

 人間でも道順をナビゲーションされている状況と、大きなビルなどを目印にして進んでいる場合では、結果は同じ「右に行く」であっても意図は異なっていると考えられます。私の研究は意図によるBMIですから、意図の仕方の違いが脳にどう現れるのかはたいへん気になるところなのです。

最終的には意図による自動運転システムへ

 現在の実験について言えば、「右」「左」だけではなく、前後左右あらゆる方向への意図を分析し、ラットが自由自在に意図だけで台車を操作できるようにしたいと考えています。また、より長いスパンでは、運転手が頭で考えただけで車などを運転できる自動運転システムへと発展させることが最終的な目標だと考えています。

 意図から読み取った移動方向が、実際に進みたい移動方向と合致する精度は9 割以上という実験結果もあり、実験段階としては十分な成果が出ています。しかしながら、人間への応用を考えた場合、海馬に直接電極を埋め込む現在の方法には難点も少なくありません。そこで、脳への負担が少ない頭蓋内脳波を使う方法にもチャレンジしているところです。

 今まさに、かつては空想でしか存在しなかった技術が実現しつつあります。実用化されれば応用分野は想像できないぐらい多岐にわたり、世界が大きく変わることでしょう。

好き嫌いと記憶の関係

 好きなマンガやゲームの内容なら簡単に覚えられるのに、教科書の重要箇所はいくら読んでも覚えられない、と不思議に思ったことはありませんか?実はこれには脳の仕組みが関係しています。海馬は記憶を司っていて、入ってきた情報を長期記憶としてずっと記憶しておくべきかどうかの選択をする役目を果たしています。情報は海馬で取捨選択された後、選ばれたものが長期記憶として大脳皮質に蓄えられ、必要に応じて引き出されます。「好き・嫌い」に関係する脳の部位は海馬の近くにあるため、好きなことは記憶されやすいのです。

 いくら勉強しても覚えられないのは、努力が足りないのではなく、「好き」が足りないということだったのです。

アドバイス

 高校では数学IIIをしっかり勉強してきてください。私の研究室では、基本となる論理的に考える力に加え、信号処理で必須の行列、機械学習で用いる微分・積分と行列、などが必要になります。

 ただ、100点を取るように細部まで完璧にできる必要はありません。それよりも、行列や微積で習った内容はどんなことだったのかを覚えておいてください。大学に入ってから重要なのは、テストで点を取れる力よりも、必要になったときに学んだことを引き出せる力だからです。

コンピュータ理工学部 インテリジェントシステム学科 高橋 晋 助教

プロフィール

博士(工学)。専攻は神経科学、ブレイン-マシン・インタフェース。学部でコンピュータ科学、大学院修士で脳科学、大学院博士で心理学と学際的な経歴を持つ。バックグラウンドにはコンピュータ科学を置きながら、脳・心理の知識を取り入れた研究ができるのはこの経歴があってこそ。実験装置の自作にもコンピュータ科学の知識が活かされている。私立慶應義塾志木高校OB。

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