脳神経の可塑的変化はなぜ起こるのか—てんかん発作を誘導する「成長ホルモン」—

総合生命科学部 動物生命医科学科 加藤 啓子教授

てんかん発作を誘導する「成長ホルモン」

 粘土はさまざまな形を維持することができます。また一度作ったものを潰して、新しい形に変えることもできます。このように力を加えると変化しやすく、加えた力を取り除いても変形がそのまま残る性質を「可かそ塑性せい」といいます。私たちの“脳”も同じ性質を持っています。試験勉強のために暗記をしたり、覚えたことを忘れたりする記憶も一種の可塑性です。異常な神経の可塑的変化である「てんかん」をモデルに、脳神経の可塑性の謎に迫ろうと研究を進めている加藤啓子先生にお話しいただきました。

てんかんの原因分子としてシアル酸に着目

 脳内でなんらかの電気的ショックが発生することで、意識を失ったり痙攣したりという発作症状を引き起こす「てんかん」。現在、多くは治療によって症状をコントロールできますが、慢性的に発作を起こす脳の病気として知られています ※1。発症率は100人に1人といわれるほど高く、日本だけでも約100万人の患者がいるといわれていて、そのうち2割ほどの人は治療が難しい「難治性てんかん」に進むといいます。

 てんかん発作は「神経の発火」といわれるように、痙攣の準備状態が続いた後、発火の閾いきち値を超えた時点で症状を起こします。発作は繰り返すことが原則で、脳の中に異常な神経回路ができた状態、すなわち異常な神経の可塑的変化が起きている状態だと考えられています。しかしそのメカニズムはまだ明らかにはなっていません。

 私たち研究チームは、まずてんかんの原因分子を見つけようと、シアル酸という酸性の糖に着目しました。シアル酸は、細胞膜上で機能し、糖たんぱくや糖脂質の末端に結合することなどがわかっていましたが、何より私たちが注目したのは、脳でのシアル酸の発現量が他の器官に比べて5倍ほど多いことです。また、シアル酸は高度に進化したほ乳類の脳に特徴的な糖なのではないかと考えました。なぜなら、無脊椎動物の脳にはほとんど含まれないことや、脊椎動物では、シアル酸を保有するガングリオシド(糖脂質)の組成がヒトを含む哺乳類の脳で保存されている一方、鳥類やは虫類などの脳ではその組成が異なっていることがわかっていたからです。

※1 世界保健機関(WTO)では「さまざまな原因によってもたらされる慢性の脳疾患であって、大脳神経細胞の過剰な放電に由来する反復性の発作(てんかん発作)を主徴とし、多種多様な臨床および検査所見を伴う」と定義づけられる。

てんかん発作獲得と増えるシアル酸転移酵素

 生成物である糖自身を脳内で観察することは難しいのですが、遺伝子発現※2の変化は脳内で捉えることができます。そこで、遺伝子発現によって生成されるたんぱく質酵素のシアル酸転移酵素(たんぱく質や脂質へのシアル酸付加を触媒する酵素)を対象に、てんかん発症によってそれらの遺伝子発現量が増えるかどうかを調べました。実験に使用したのは、扁桃体に弱い電気刺激を長期間少しずつ与えることでてんかん発作を起こすようになったマウスです※3

 20種類あるシアル酸転移酵素すべての遺伝子発現量の変化をハイブリダイゼーション〈コラム参照〉によって調べたところ、そのうちの1つであるST 3 Gal IVの発現量がてんかん発作獲得の進行と連動して増加し、てんかん獲得後にはST 3 Gal IVを発現する神経細胞数が10倍にも増えることがわかりました。これまで見つかっている遺伝子発現の変化で、これほどまでに大きな変化を示す遺伝子産物はなかったため、この結果には私たち自身も大変驚かされました。

※2 DNAがmRNAに転写され、mRNAがリボソームによってタンパク質に翻訳される過程のこと。

※3 情動記憶の中枢である扁桃体に非常に弱い電気刺激を1日1回加えることで、3〜4週間ほどでてんかん発作を起こすようになるマウスで、扁桃体キンドリングマウスいわれる。新薬開発などの最終評価でも使われるモデルマウスで、ヒトのてんかん獲得にもっとも近いモデルだと考えられている。

てんかんモデルマウスとKO(ノックアウト)マウスのRNAマイクロアレイ解析で「成長ホルモン」を発見

図1

  てんかん獲得と深く関わっていることが予想されるシアル酸転移酵素ST 3 Gal IVを見つけた私たちは、この酵素を合成する遺伝子を欠いたKOマウス( 遺伝子欠損マウス)をつくりました。通常のマウスと同じように、KOマウスの扁桃体に刺激を与えましたが、KOマウスはてんかんになりませんでした。これは、ST 3 Gal IVがてんかんの原因分子である可能性を支持する結果です。

 次に、当時新しい技術として出てきたマイクロアレイ〈コラム参照〉を使って、てんかんモデルマウス( 扁桃体キンドリングマウス)やKOマウスのmRNAを解析しました。その結果、てんかんモデルマウスの脳で成長ホルモンの発現が亢進していることがわかりました( 図1)。一方、KOマウスの脳ではその発現量が通常のマウスよりもかなり低いことがわかりました。

 成長ホルモンは成長に関わることで有名ですが、その発現は下垂体で生じることが知られていて、脳内の神経細胞で発現することを発見したのは私たちが世界で初めてです。その後の研究では、てんかん発作を誘導する際に成長ホルモンが神経発火の閾値を低下させ、てんかんの発作を起こりやすくすることを発見しました。脳内の成長ホルモンがてんかん発症を誘導しているのではないかというのはかなり意外な結果だったため、論文を認めてもらうのにも苦労しました。

てんかんをモデルに神経の可塑性という謎に迫る

 KOマウスを対象にした研究では、KOマウスは睡眠周期に問題があって、レム睡眠がほとんどないことが明らかになりました。また、普通のマウスに比べて環境への慣れが遅いこと、恐怖の記憶が強く残りやすく、不安症の傾向があることもわかりました。

 また、ふつうのマウスの脳内にある成長ホルモン受容体に蓋をして成長ホルモンを抑制しても、行動量の減少(うつ様行動)がみられました。つまり、脳内の成長ホルモンを抑制することで、うつ病などのストレス性情動障害が引き起こされているようなのです。

 臨床の現場でも、てんかん患者の中には、自律神経失調症や躁うつ病を併発する割合が通常より多いことや、大人になってからてんかんを発症する人の中にはうつ病治療をしている人が多いことは知られています。現在、成長ホルモンを投与することで発現が変化する遺伝子を3つ見つけていますが、その3遺伝子と行動量の間には相関関係があることがわかっています。今後、KOマウスが環境への適応障害や不安症のモデルマウスとして応用されれば、新たな治療薬の開発に結びつくかもしれませんし、「成長ホルモン」を鍵に、てんかんとストレス性情動障害のつながりが解明できないかと期待しています。

 私たちは、マウスの脳でシアル酸転移酵素や成長ホルモンの発現を見つけ、てんかん発症との関連性を研究してきました。まずはマウスを対象に、てんかんや情動障害と成長ホルモンの関係について分子背景を明らかにし、そのメカニズムに迫ることで、ヒトの難治性てんかんの解明や治療につながるのではないか。そしてそれらを明らかにすることで、神経の可塑的変化や記憶の謎にも迫ることができるのではないかと考えています。

ハイブリダイゼーションとマイクロアレイ解析


Jはマイクロアレイ解析をして「成長ホルモン」が
確認された海馬。濃い灰色になっている部分に
成長ホルモンが発現している。
矢印の部分を強拡大したものがK。

 DNAは水素結合によって二本鎖になっています。水素結合は弱い結合なので、熱を加えるだけで簡単にほぐれます。ほぐれたDNAをゆっくり冷ますと再び相補の塩基が組み合わさって水素結合ができ、二本鎖に戻ります。この反応を「ハイブリダイゼーション」といいます。組織中の遺伝子発現を見るためには、ハイブリダイゼーションを応用した方法がよく用いられます。一本鎖にしたDNAやRNAの塩基配列を元に、ある一定の長さの相補性のある塩基配列(特定の物質や状態などを検出するためのプローブ)を調整し、そのプローブを色素等で標識しておくことで遺伝子発現を見るのです。

 マイクロアレイ解析は、膨大な量のハイブリダイゼーションが一気にできる仕組みとも言い換えられます。マイクロ(geneチップ)アレイは、数万から数十万に区画されたスライドガラスなどの上にDNAの部分配列を配置して固定したチップ。ここに解析したい検体をハイブリダイゼーションさせると、相補的な塩基配列の部分のみ結合するため、各遺伝子の転写量が測定できます。成長ホルモンの発現を発見した時は、てんかんモデルマウスやKOマウスのcDNA(mRNAを逆転写酵素で相補的DNAに変換したもの)をハイブリダイゼーションさせて、てんかんモデルやKOマウスで成長ホルモン量が変動したことを見つけました。

総合生命科学部 動物生命医科学科 加藤 啓子教授

プロフィール

中学生の頃、『野生の王国』という動物たちを記録したドキュメンタリーテレビ番組に魅せられ、獣医学科へ。ところが、大学4回生の時に配属された研究室で研究の面白さに目覚めた。研究の一端であっても、教授は学生に《誰もやったことがないこと》をさせてくれる。データや結果が出た瞬間は、世界で自分しかその事実を知らない、しかも論文という形で自分のやったことが残る、その興奮は他に代え難い。大阪府立富田林高等学校OB。

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