インフルエンザの始まりはすべて鳥だった—さまざまなインフルエンザの脅威に備える—

総合生命科学部 動物生命医科学科 大槻 公一教授

さまざまなインフルエンザの脅威に備える

 2009年、新型インフルエンザが世界中で流行しました。パンデミック(pandemic:世界的大流行病)の発生源はアジアではなくメキシコで、鳥インフルエンザウイルス由来ではなく豚インフルエンザウイルス由来でした。いまや人類の生存を脅かす感染症は世界中から襲ってきます。グローバル社会に生きる私たちにとって、宿命的な脅威なのです。新型インフルエンザの流行に備えるために、敵の正体を見極め、いかに被害を小さく抑えるのかを研究されている大槻公一先生に新型インフルエンザや鳥インフルエンザについてお聞きしました。

もとをたどればすべて鳥インフルエンザ

図3

 インフルエンザは、もとをたどるとすべてが鳥インフルエンザに行き着きます。というのも、インフルエンザウイルスは本来、カモやアヒルなど足に水かきのある水鳥、渡り鳥に感染するウイルスだからです。ただし私たちが腸管内に大腸菌を持っていても病気にならないのと同じで、水鳥がインフルエンザウイルス感染で病気になることは基本的にありません。インフルエンザウイルスが数百万年もの長い間、水鳥へ感染し続けた結果、両者に共存関係ができたのです。

 しかし私が研究を始めた1970年代にはまだほとんど何もわかっていませんでした。鳥取大学に所属していた私は、渡り鳥のやってくる10月末から北帰行の始まる2月末まで、山陰地方を中心に、月に2回ほど定期的に定点を定め、インフルエンザウイルスの分離材料である渡り鳥のフンを採取し続けました。分離した多数のインフルエンザウイルスについてニワトリやマウスなどへの感染実験を行ったり、ウイルスの性質を調べる研究を学生とともに20数年間続けていました。

 フンから取り出したウイルスは、水鳥とは違う種類の鳥類であるニワトリにも感染することがあり、1、2%は死に至ったのです。また、ニワトリからニワトリに感染を起こして、強毒のウイルスになるものもあり、動物の種類が違えば、感染態度も違うことがわかりました。

 高病原性鳥インフルエンザの原因になるH7N7やH5N3ウイルスも分離していましたから、「近い将来日本でも鳥インフルエンザは出るに違いない。いつどこで最初に発生するのかが問題だ」と思っていた矢先、山口県で鳥インフルエンザが発生しました。それまで200回以上も野鳥たちの集まる島根、鳥取両県の定点で調査していたため、感染経路などのイメージができました。ただその後の京都での発生は想定外でした。鳥取市から関西はすぐ近くですが、中国地方しか私は見ていなかったのです。※1

※1 京都産業大学に来てからは、琵琶湖の東湖岸などで渡り鳥のインフルエンザウイルスの分離を行っている。山陰地方を調査する鳥取大学とも協力しながら、日本に飛来した渡り鳥が持つウイルスが、東南アジアや周辺の国々に分布するウイルスとどう関係しているのかなど、長い目で徹底的に調べていこうと考えている。

今回の新型インフルエンザウイルス

 現在わかっている主なインフルエンザウイルスの宿主と血清型※2を上の図に示しました。これまでの主な人インフルエンザウイルスは渡り鳥から直接感染してきたものではなく、ニワトリやブタ由来のものだということがわかります。現在の新型インフルエンザウイルスの型も、ブタ由来のH1N1です。しかも90年前にパンデミックを起こした当時のスペインかぜウイルスとほとんど同じ性質のH 1ですから、厳密にいうと、新興感染症というよりも再興感染症です。

 ウイルスは感染するためにまず動物の呼吸器表面にある糖を含む受容体にくっつきますが、ヒトのインフルエンザウイルス受容体は鳥類のインフルエンザウイルス受容体とは異なる構造を持つため、非常にくっつきにくいのです。ところが、ブタは鳥インフルエンザウイルス受容体のみならず、人インフルエンザウイルス受容体も持っています。両方の受容体を持つブタの体内で、鳥インフルエンザウイルスと人インフルエンザウイルスが遺伝子交雑を起こすことがまれにあります。そして、新しくできた遺伝子再集合体がたまたまヒトに感染しやすい場合、新型インフルエンザウイルスが生まれたと考えられています。新型インフルエンザの発生を予測するために、ブタがどのようなウイルスに感染しているかを把握することはとても重要なのです。

 今回の豚由来の新型インフルエンザで警戒すべき点は、まれに急性肺炎が起きていることです。これはヒトが鳥インフルエンザに罹患した際にみられる典型的な症状で、このウイルスが鳥インフルエンザウイルスの性格も持っていることを示しています。本来、鳥インフルエンザウイルスはヒトの気管にはくっつきませんが、気管のさらに奥、肺には鳥インフルエンザウイルスと結びつく受容体がたくさんあるので、一気に増殖してウイルス肺炎を引き起こすのです。

※2 A型インフルエンザウイルスを構成するHA(ヘマグルチニン、赤血球凝集素)NA(ノイラミニダーゼ)の性質の違いによって亜型に分けられている。HAは1〜 16、NAは1〜9である。

グローバル時代 開発途上国を脅威が襲う

 野鳥やニワトリから鳥インフルエンザウイルスに感染しないかと心配される方がいますが、その可能性はまずありません。また、日本の野鳥やニワトリは鳥インフルエンザウイルスにもともと感染していないので、日本で世界に先駆けて新型インフルエンザが発生することもまずな いでしょう。

 新型インフルエンザの震源地になるのではと私たちが心配しているのは、開発途上の国々です。2005年から、文部科学省のプロジェクトでベトナムのハノイに研究拠点を作って調査を行っていますが、ようやく現地の状況がつかめてきました。ベトナムは鳥インフルエンザの大発生で、2003年には国全体で飼育されていた8千万羽の約半分を処分しています。かつては鳥インフルエンザウイルスで国全体が汚染され、現在でも完全にクリーンな状態とはいえません。

 また、アジアの国々では畜産がさかんです。しかも、日本とは違い、ほとんどがブタやアヒル、ニワトリ、ウシなど、複数の種類の動物を一つの農家が飼育する形態をとっています。農村に一歩入ると、どこにでもブタやアヒルがいて、それぞれの動物間の距離も、人間との距離も近い。これは極めて新型インフルエンザウイルスを生みやすい環境です。

 東南アジアの中では最も環境が整っているはずのベトナムでも、農村ではインフラ整備も医療システムも不十分で、衛生状態も決してよいとはいえません。私たちはこの5年間、こうした国で飼育されているアヒルやブタなどの動物がどういう状態なのか、野鳥はどうかというデータを集めてきました。第二期となる次の5年では、新型インフルエンザを発生させないために何ができるのか、また発生したときにどういう対応ができるのかなど、さらに研究を進めていくつもりです。

  • 写真1
    ベトナムの典型的な畜産農家の風景。
    池には野鳥などをさえぎるものが何もない
  • 写真3
    子豚が飼育されている隣の部屋で
    飼育されているヒヨコ
  • 写真2
    豚や牛の飼育小屋のすぐそばにある池
  • 写真4
    アヒル、鶏と飼育されている子豚

終わりなき闘い

 人間は有史以前からインフルエンザウイルスと闘ってきています。第一次世界大戦中に発生したスペイン風邪は、世界中で2000万人以上の命を奪いました。

 新型インフルエンザに変異するのではと恐れられていた強毒のH5N1鳥インフルエンザウイルスは、中国南部に初めて出現してから14年が経ちました。変異しやすいインフルエンザウイルスにとって、14年というのは大きく変異するのに十分な時間だと考えられます。しかし、いまだに鳥インフルエンザウイルスのままで、ヒトのウイルスにはなっていません。ヒトのウイルスになりにくい性質を持ったウイルスなのかもしれません。別の鳥インフルエンザウイルスの可能性や、今回の新型インフルエンザウイルスと別の鳥インフルエンザウイルスとの遺伝子交雑体の出現など、様々なリスクを考え、パンデミックを防ぐ努力をしていく必要があります。

 今回の新型インフルエンザウイルスについていえば、もっとも危惧されるのは、冬の間にそれが一人勝ちしたことです。例年の冬なら、ソ連型やホンコン型、B型がそれぞれ競り合って出現していたために、どれか一つだけが爆発的に広がるということがありませんでした。ところが、昨年の冬は、新型以外のインフルエンザウイルスがほとんど消えました。これらの季節性インフルエンザウイルスが消滅して過去のウイルスとなり、次の冬に新型インフルエンザウイルスが猛威をふるうことも心配されます。

 アヒルやカモのように、人間がインフルエンザウイルスと共存関係を築くためには、少なくともさらに数万年必要でしょう。ですから今は、感染しないこと、また、発生したときにはウイルスを拡散させない方策を考えるのが、インフルエンザウイルスとの闘いで最も重要になると考えています。

すべての生き物はウイルスに感染している?!

謎だらけの生物、ウイルスに迫る

図3

 インフルエンザウイルスの基本的な構造は上のようになっています。RNA(リボ核酸)が8本、表面で宿主の細胞のレセプター(受容体)にくっつく役割をするヘマグルチニン(赤血球凝集素、HA)と、逆に離れる作用をするノイラミニダーゼ(NA)という2種類のスパイクを持っています。人間とは比べようがないくらい単純な構造ですが、ウイルスの中には3、4個の遺伝子しか持っていないさらにシンプルなものもあります。

 ウイルスは他の生物に入り込まないと増殖ができない、すなわち自己増殖できないために生物ではないといわれることもあります。しかし、遺伝子を持っているということは自己を確立していて同じものを代々作っていけるわけですから、私はウイルスは生物だと考えています。ウイルスの出現した時代はわかっていませんが、植物やバクテリアで増殖するウイルスもいるので、生物と同じくらいの歴史があって、生きているものはほとんど何らかのウイルスに感染しているだろうと考えられています。シンプルな作りながら、様々な機能を持ち、その種類や生態はすべてわかっているわけではありません。わからないことの多いインフルエンザウイルスですが、それでも、ウイルスの中では一番解明が進んでいるのです。

総合生命科学部 動物生命医科学科 大槻 公一教授

プロフィール

獣医学博士。大学に入学してから、構造は単純なのに複雑な働きをする微生物の正体をつきとめれば生命の根源に迫れるのではと、微生物学に興味を持った。もともと鳥の病気に関心があり、ニワトリのコロナウイルスを研究していたが、70年代後半に北海道大学の恩師からインフルエンザ研究プロジェクトに誘われた。以後、前任の鳥取大学で山陰地方に飛来する野鳥を長年隈なく調査して回ったことが、今日の鳥インフルエンザ研究の基盤になっている。鳥インフルエンザ研究センター長として「本学は学部間の垣根が低く、生物系はもちろん、社会科学系、数学系など多彩な人材と共同研究できるのが強み」と胸を張る。静岡県立静岡高校OB。

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