紙キレ1枚で!?有害微生物を識別
—世界で初めての画期的な工夫糖鎖マイクロアレイを利用して—

工学部 生物工学科 福井 成行 教授

紙キレ1枚で!?有害微生物を識別

 “糖鎖”って知っていますか。糖の分子が鎖のようにいくつもつながったもの(図①)で、たんぱく質や脂質の先端に付いて細胞が正常に働くのに欠かせない役割を担っています。
 また血管や気管などにある細胞ではたくさんの糖鎖がその表面を覆い、リンパ球が炎症部位に集まるために、炎症部位に近い血管内皮細胞を見つけるなど、相手を識別する目印の役目も果たしています。
 反対に、風邪のウィルスなどが喉や気管の粘膜に付くのは、表面を覆う糖鎖の中から結びつきやすいものを狙い撃ちしてくるからです(右イラスト)。
 糖鎖と結びつくタンパク質には様々な種類がありますが、それぞれは決まった形の糖鎖としか結びつきません。
 この性質を使えば糖鎖と結びつくタンパク質をもつ細胞を、結びつく糖鎖の種類によって分類することがきます。
 何種類もの糖鎖を小さな一枚の紙の表面にくっつけて並べ、一度にたくさんの糖鎖の中から、目的とするタンパク質の結びつく本命の糖鎖を簡単に選び出せるのが“糖鎖マイクロアレイ”(写真①、図②、図③)です。
 世界で初めてその開発に成功した福井先生に、その経緯や、今後の医療現場での活用法について聞いてみました。

伝統あるイギリスの研究所へ

細胞の表面にある様々な糖鎖
糖鎖マイクロアレイの仕組み、イメージ図

 糖鎖とタンパク質が結びつくかどうかを調べるには、糖鎖を紙やプラスチックにくっつけて(固相化)おくと便利です。私は永年それを研究テーマにしてきました。ずいぶん以前ですが、イギリスのロンドン大学・インペリアルカレッジの医学部のグリコサイエンス(糖鎖科学)研究所で、所長のフィーズィー教授たちが、生体が持つすべての種類の糖鎖に人工の脂質を効率 よく結合させる合成方法に成功したことを論文で見ました。糖鎖は水に溶けやすいために紙やプラスチックには付きにくく、しかも、水の中で反応する生命現象を研究する分野では、くっ つく相手を調べにくいものの一つです。しかし、糖鎖に脂質をくっつければ何かにくっつくはずだとひらめいた私は、早速手紙を書き、彼らによって人工的に作られた糖脂質(ネオグライコ リピッド(NGL))(図②、③参照)を活用する研究に参加したい旨を打診したのです。

 希望は早速受け入れられ、私は2001年から1年間、インペリアルカレッジへ赴き、彼らとともに研究を進めることができました。インペリアルカレッジは,青カビからペニシリンを発見した微生物学者のアレクサンダー・フレミング博士が研究していたことで知られている大学です。ロンドンの大学本部の一角にあるフレミングビルディングの壁には、《Chance favors the prepared mind.》(チャンスはそれを求める心を持った人に訪れる)という彼の言葉が刻まれた額が置かれています。イギリスへ着いて間もない私の目には、なぜかそれがとても印象的だったのを憶えています。

チャンスはそれを求める心を持った人に訪れる

写真② ③

 イギリスへ赴いてからの私は、様々な材料を用いてNGLをくっつける(固相化)実験に明け暮れました。そして支持体(くっつけるもの)にはタンパク質の検査で使われているニトロセルロース(NC)の紙が最適だという確信を徐々に深めていきました。ただ、スポットするだけではうまくいかず、どのようにしてくっつけるのかが最後の決め手となったのです。ある時、研究室の片隅にある30cm四方で高さ20cmほどの古ぼけた小さな器具が私の目に止まりました(写真② )。今は誰も使わなくなって半分埃をかぶったその器具は、注射針の先から出てきた少量の試料に窒素ガスを吹き付けて、下にセットしたTCL(薄層クロマトグラフィー)(写真②左端)の表面のシリカゲル層に少量の試料を均等に噴霧するものでした。突然、あるアイデアがひらめいた私は、さっそくNGLをその注射器に入れ、NCの紙の表面に噴霧してみました。若干の試行錯誤はありましたが、なんとNCの紙に噴霧されたNGLは、ちゃんと紙の表面に固相化されることを発見しました。この方法ですと、名刺の半分ほどのサイズのNCの紙に300種類程度のNGLを並べて、糖鎖を識別できるタンパク質との結びつきを目で見ただけで調べられました。

 そして、世界で初めてとなる固相化糖鎖を貼り付けたこの紙キレを、DNAマイクロアレイにならって「糖鎖マイクロアレイ」と名づけました。

鳥インフルエンザウイルスをもっと詳しく調べる

 糖鎖マイクロアレイが従来の検査用プレートに比べ優れている点は、まず試料が極めて少量で済み※1、貴重な糖鎖を有効に使うためにも好都合な点です。またくっつくかくっつかないかの反応を一目で見ることができ、しかも一枚に何種類もの糖鎖を並べるわけですから、同じ条件で多くの試料が分析できます。

 それでは、糖鎖マイクロアレイはどんな研究に役立つのでしょうか。一つには鳥インフルエンザウィルスの型を調べたり、ピロリ菌の毒性度の違いを調べるといった、有害微生物の識 別があります。

 現在、鳥インフルエンザを引き起こすウィルスは、抗体を用いて、HとLで示されるタンパク質の型でH5L1型などとして分類されています。しかし、どのようにして鳥インフルエンザウィルスが人に感染するように変化するのかについて詳しい仕組みはまだほとんどわかっていません。現在唯一わかっているのは、鳥インフルエンザウィルスの表面のタンパク質HAは、鳥の気管支を覆うシアル酸と呼ばれる糖がα2-6結合したもの※2を識別し、それにくっつき鳥に感染することだけです。鳥インフルエンザは基本的には人間に感染しないとされているのは、人間の気管を覆うそのシアル酸はα2-3型結合だからです。鳥ウィルスがブタなどに感染して、次にヒトへ媒介されるのではないかといわれているのは、ブタの気管にはα2-6、α2-3結合の両方の型のシアル酸があり、ブタに感染したウィルスが体内で変異をして、α2-3型結合のシアル酸にもくっつくウィルスが誕生すると考えられているからです。

 しかし、糖鎖の結合の仕方は実に複雑ですから、鳥インフルエンザウィルスは糖鎖のもっと別の部分を識別している可能性があります。それを調べるにはたくさんの種類の糖鎖を用意して、HAとの結合を試してみることが必要です。

 鳥やブタに感染しているウィルスのHAがどのように変異しているかを監視できれば、人への感染の危険性を予知できるかもしれません。

 たくさんの種類の糖鎖を目的に応じて並べた糖鎖マイクロアレイがあれば、検査が簡単で、その結果も瞬時に知ることができます。とくに鳥インフルエンザが多発していて、しかも十分な検査設備のない東南アジアの国々にとっては、簡単に検査ができる糖鎖マイクロアレイは利用価値の高いものだと思います。また、日本国内においても、ウィルスの抗原性や遺伝子を解析できる施設は限られていますし、毒性が強いウイルスは、普通の研究施設ではなかなか扱えません。糖鎖マイクロアレイはウィルスHAタンパク質を遺伝子工学的に合成したものを用いて調べることもできますから、安全で手早い検査ができるのです。

ピロリ菌ももう恐くない?

 糖鎖マイクロアレイは、この他にも様々な可能性を広げてくれます。ピロリ菌の病原性の強弱検査もその一つです。一口にピロリ菌といっても胃潰瘍を起こすような病原性の高いものと、そうでないもの、抗生物質が効くものと効かないものなど、様々な種類があることが知られています。しかし、現在のピロリ菌の検査では、ただいるか、いないかだけしかわかりません※3

 そこで糖鎖マイクロアレイを使って、多くの人たちの胃に棲みついているピロリ菌がどの糖鎖に反応するかを調べ、結合する糖鎖の種類の違いによってピロリ菌の種類を区別しようと考えています。この研究は信州大学医学部と共同で計画しています。また信州大学医学部では胃の中でピロリ菌が棲みつけない場所があることを発見していて、そこにはある特殊な糖鎖が存在することがわかっています。この糖鎖の形を詳しく調べ、それを薬として胃全体に行きわたらせるようにできれば、本格的なピロリ菌治療への道も開けるかもしれません。

※1 検査プレートだと200pmol程度必要だが1pmolで済む。

※2 糖鎖の先端にあるシアル酸の、9個ある炭素のうちの2番目が、その手前のガラクトースの6個ある炭素のうちの6番目に結合した型(左ページ上イラスト参照)。

※3 現在のピロリ菌の検査は、尿素を飲み、胃の中でピロリ菌によってできたアンモニア(N15)がゲップに含まれているかどうかを調べる簡単なものが主流です。これはピロリ菌が尿素を分解する酵素を持っているのを利用しているわけですが、病原性を持っているかいないか、抗生物質が効くか効かないかなどについてはわかりません。

トピックス

ピロリ菌の秘密 - 胃潰瘍はピロリ菌が直接の原因ではない?

  ピロリ菌は’83年オーストラリアのバリー・マーシャルとロビン・ウォレンの2人の医者が自分たちの胃の中から発見した。それまでは胃酸で酸性の強い胃の中に菌が棲みつくなどと誰も考えもしなかった。ピロリ菌は実はウレアーゼという酵素を持っていて、尿素を取り込み、Co2とN15(アンモニア)に分解することで自分の周りを中性に保ち、強力な胃酸から身を守っていたのだ。まさに意外な裏技をもっていたわけだ。バリー・マーシャルとロビン・ウォレンはその成果がきっかけとなって’05年ノーベル生理学・医学賞を受賞した。

 意外な話はもう一つある。胃潰瘍がなぜできるかだ。これはピロリ菌が直接胃壁をただれさすからではない。ピロリ菌を見つけた好虫球(リンパ球の一種)は、それを取り込み、過酸化水素を出して自爆し、ピロリ菌を殺そうとする。その際、その過酸化水素が周りの細胞も殺してしまい、胃の粘膜が保護されなくなり、胃酸でただれることで胃潰瘍が起こるのだ。

クローズアップ

 これまでタンパク質の検出では知られていたNC。脂質でもNCの紙につくことを世界の誰一人として考えてもみなかったと思います。まさにチャンスは求めるものに訪れるのです。同時に、噴霧する機械が偶然あったことから分かるように、自分が身を置く環境や、場が大切であることも今回つくづく感じさせられました。

アドバイス

高校生へのメッセージ

 高校時代には生物と化学の両方を学んできてほしいと思います。とくに生物では、生き物や体の成り立ちに興味を持つことが大切。
 知識だけではダメです。興味を持って、自分から何でも調べてみようという態度が私たちの研究のベースになります。数学はできるにこしたことはありませんが、どうしてもということではありません。また将来への目標を持つことは大事ですが、与えられた環境の中で全力を尽くすという姿勢も欠かせないと思います。進学状況としては、研究職、技術職として就職するステップとして、約3分の1の学生が大学院へ進学しています。

工学部・生物工学科 福井 成行 教授

プロフィール

 愛知県の田舎の高校を出て、生化学を学ぶために神戸大学理学部へ。そして京都大学薬学部で生化学の研究を始めた。
 研究室で糖鎖の構造を研究していたのが今日の出発点だ。糖鎖研究で身を立てるしかないと思ったという通り「与えられた環境の中で自分の生きる道を見出すことが大事」がモットー。
 「若い頃はやりたいことがたくさんある。しかし、あまり高望みをしてかえって結果が出せないようではマイナス。自分が今やれることに最大限努力することが大切です」。こんな一見地味な姿勢が今回の成果を生んだともいえる。

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