“思っただけ”でアームが動く!?ーBMIと脳研究の世界ー

工学部・情報通信工学科 藤井 宏教授

 映画『マトリックス』に出てくるネオは、“自分の接触した人や物のコードを読むことができる超人として描かれていますが、これから紹介する“脳と機械をつなぐインターフェース”研究(英語のBrain-Machine-Interfaceを略してBMIと呼ばれています)の延長線上に、このような世界が見えていると言ってもいいかもしれません。実は、この“脳信号の解読”という理論的な問いこそ、理論脳科学の中心的な研究テーマなのです。

ロボットアームから医療現場へ

 最近、『 ロボットアーム−「意思」で操作』というタイトルで、“サルの脳とロボットアームを銅線でつなぎ、「意思」の力だけでアームを操る実験に米デューク大の研究チームが成功した”…と新聞紙上で報じられています。ニコレリス(Miguel Nicolelis)教授が中心になったこの実験では、2匹のアカゲザルを使っています。まずアームにつないだ操縦レバーを手で動かしてアームを自在に操作できるように訓練します。この間、サルの大脳皮質の96,320カ所に髪の毛よりも細い微小電極という導線を差し込み、脳からの信号を取り出します。コンピュータで脳のニューロン(神経細胞)からの信号パターンを「アームを伸ばす」、「物をつかむ」といった動作と対応させて解析し、それらにあわせてアームが動くよう設定しておくのです。サルがレバー操作に習熟した時点でレバーとアームを切り離し、代わりに脳からの信号を(コンピュータを経由して)直接アームに繋ぎます。すると、サルが操縦レバーを動かす(実はアームと連結されていないので、これは無意味な動作ですよね)と、ロボットアームもそれまで通りに動き、様々なものをつかむだけでなく、対象物の大きさや材質に合わせ、つかむ強さを加減することもできたというのです。このときおサルは“操縦レバーを動かさなくても“動かしたい”と思っただけでアームは動くぞ!”ということにすぐに気がついて、レバー操作なしでアームを動かすようになる、と会議の席でニコレリス教授が語ったのがとても印象的でした。このアームは本当に『意思の力で』操作されているのですね。
 この記事では、“この技術を発展させれば、脊髄損傷で手足がまひした人の生活の質の向上に役立つと期待されている”と紹介されています。実際、このような研究はニコレリス教授たちのグループに限らず、アメリカや世界中の脳研究者によって行われ始められているのです。ブラウン大学のドナヒュー教授(John Donoghue)は患者の大脳皮質の運動野に電極を埋め込み、動かそうと「思っただけ」でコンピュータのカーソルを動かせる実験や人工の義手を動かせる実験を、未だ初歩的な段階ですが成功させています。ドナヒュー教授は「脳の信号を手足の筋肉に伝えれば、四肢麻痺の患者が自分の手足を動かせるようになるかもしれない」と述べています。BMI研究の成果がいよいよ実際の医療現場に適用される段階に達しつつあることを示しています。(注1)

“思っただけ”でアームが動く −どうしたら、 そんなことができる?

 ニコレリス教授のおサルのように、ロボットアームを“思っただけで動く”ようにさせるには何が必要なのでしょうか?考えてみると、私たちの腕も“「意志」の力だけで操作”できますし、この命令は脳の第一次運動野から筋肉への指令として出ています。ですからこの信号を“解読”できれば、翻訳してロボットアームに送れば同じ動作ができるはずです。
 脳の中では、ニューロン(神経細胞)がお互いにつながって神経回路網(神経細胞のネットワーク)をつくっています。神経スパイクという電気のパルスで通信しているのです。この時使われるのは0と1からなる信号ですが、これはコンピュータのコードとは全く違った原理で書かれているので、本当はこのスパイク列の“解読”はまだよくわかっていないのです。
 おサルの実験では運動野からの指令を解析してロボットアームに送ると書きましたが、実は本当の意味で“解読”しているわけではありません。脳の学習機能を模倣した“神経回路網(ニューラル・ネットワーク)”という工学的なシステムをコンピュータの中に組み込んで、アームの動きと神経スパイク信号の対応を“学習して”模倣しているのです。ある意味では、脳とロボットアームの中間に、信号変換を専門にする小さな“人工脳”をはさんだのだと考えることもできます。もちろんこのような“学習するシステム”自身、とても面白い研究テーマです。

BMIと脳研究の未来

 BMI には今迄紹介してきた、外界への働きかけを補助する−運動系のBMI以外にも、外界からの情報の知覚機能を補う−視覚や聴覚のBMIも研究されています。どちらも“外界(機械)”と“脳”の間の“信号の変換”を補助するインターフェースといえるでしょう。また、広い意味のBMIにはもっと驚くような研究があります。これらについては、コラム−『音で見る』、『ロボねずみ』で紹介しましたから参照してください。
 映画『マトリックス』に出てくるネオは、“自分の接触した人や物のコードを読むことができる超人として描かれていますが、BMI研究の延長線上に見えているのは、このような人の内的な脳のコードを読むという世界。そして、この“脳の信号(コード)を読む”というテーマこそ、理論脳科学の中心的な研究課題なのです。しかし、外界とのインターフェースを超えた人の内的な世界、思考やひらめき、創造性を脳の神経回路網がどのようにして創りだすのか、といったことについては未だ殆ど謎といってもよいのです。(注2)
 将来、人の思考や心、行動の準備を脳の信号から直接「解読」することができれば、福祉や医療の面で大きな福音になることは確かです。同時に、状況によっては倫理的な問題など、いろいろ考えねばならない問題が生じてくることにも注意せねばなりません。そしてこのような研究は、人の知性(つまり我々自身)を知るとともに、ヒトのように考えたり、創造性をもったロボットを創るという研究にも道を拓くことになるでしょう。
注1:このような研究は脳神経系と直結して動かす補具(義手や義足)という意味で“ニューラル・プロシーセス”(神経補具(学)Neural Prothesis/Neural Prothetics)とも呼ばれます。
注2:このような高次の認知的な機能では、そのコードはスパイク間のシンクロニー(同期性)が重要な役割を果たすのではないかといわれています。

耳で見る 視聴覚障害者のための“音から誘導される心的イメージ”
(Sound-Induced Mental Imagery for the Blind)

“音から誘導される心的イメージ

 実はこれはオランダのフィリップス社からvOICeシステムとして市販されているものです。視覚に障害のある人のために、“耳で見る”ためのシステムで、ビデオカメラで撮った映像を1秒毎に、一定のやり方で音の信号に変換するのです。歩き回るときは背中のナップザックにラップトップ・コンピュータを入れ、サングラスにウェブ用に使うような小さなカメラをつけておかねばなりません。背中のコンピュータからはイヤホーンで耳に音声信号が入ります。この装置をはじめて使ったときはなんだかおかしな音がするだけですが、やがて“脳が勝手に学習をはじめて”、外の景色が“見えて”くるのです。  このように学習によって脳の回路網と機能が変化することを、専門の言葉で脳の可塑性といいます。とても興味深いのは、耳で見えてくると脳の(聴覚野でなく)“視覚野”が活性化するということです。このvOICeシステムも、脳自身をシステムの一部として機能させるという意味で広義のBMI といえます。
http://www.seeingwithsound.com/voice.htmで紹介されています。

ロボねずみ(Roborat)小さなねずみの脳に直接信号を入れてロボットのように意のままに操る

 実際にこんなことができれば狭い空間での遭難救助など、いろいろな作業をやらせることができるとタルワー(Sanjiv Talwar)たちは科学雑誌ネーチャー(2002)で言っています。
 ねずみにとってヒゲは大切なセンサーでとても敏感です。脳の体性感覚野には1本、1本のヒゲに対応して触られると反応する"樽"という小さな小領野があります。実験ではこの右側の樽と左側の樽に直接、電気信号を送れるように微小電極を埋め込んでおくのです。パソコンのキーボードと連動して、右のヒゲ、左のヒゲというように電波で信号を送ると、ネズミは左右のヒゲに触られた(これは仮想現実!なのですが)と感じるのです。そこでネズミが偶然、右に回ると今度は実験者は、MFB(medial forebrain bundle)という部分に予め埋め込んであった第3の電極から信号を送ります。すると、ネズミは極度の達成感を感じて、それからは触られたヒゲの方向に曲がるという行為を嬉々として行うようになります。
 こうした研究は映画『マトリックス』の世界に近づいたちょっと怖い世界というだけでなく、倫理的問題などいろいろと考えなければならないことを含んでいることに注意しなければなりません。実際、今アメリカでも大きな議論が繰り広げられています。

工学部・情報通信工学科 藤井 宏教授

プロフィール

 “脳信号を読む”ということを主な研究テーマにしています。力学系や、分岐理論といった自然界の非線形現象を解析する数学者として研究を出発したのですが、恩師である故・山口昌哉京都大学教授や友人たちの影響の下、脳研究の世界にごく自然に入っていきました。
 非線形数学は脳研究とどう関係があるの?とよく尋ねられますが、これは私たちの“脳”や、“記憶システム”を理解するためには、本当に重要な方法論なのです。君の頭の中では“思考”がどのようにして動き、アイデアがひらめくのだろうか?脳の“配線(=回路網)”を調べるだけでは答えは決して得られないのです。脳の回路網のダイナミクス- 神経スパイクという信号のやり取りが私たちの記憶やひらめきを形作っているのです。
 趣味:陶芸(丹波にある穴窯という薪の窯で、友人たちと100時間以上も寝ないで窯焚きをしなければなりません。結果はたいてい失望ですが…。)

 1963年京都大学理学部卒業。京都産業大学理学部数学科・計算機科学科で非線型力学系の数値解析、分岐理論の研究に従事。工学部情報通信工学科開設とともに現職。

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