村山談話国際セミナー

Murayama statement:its contemporary and future implication for the reconciliation in East Asia

開催場所 京都産業大学 第2研究室棟1階会議室
開催日時 2011年12月3日(土)9:30〜18:00

プログラム

9:30〜10:45
日本からの視点
東郷和彦(京都産業大学)「Contemporary and Future Implication of the Murayama Statement: Philosophizing it from Japan’s Perspective」
質疑応答
休憩(15分)
11:00〜12:15
中国からの視点
Daqing Yang(ジョージワシントン大学)「Wards, Actions, and Principles: Chinese Views of the Murayama Statement」
質疑応答
12:15〜13:15 昼食
13:15〜14:30
韓国からの視点
Youngshik Bong(アサン研究所)「Korea’s Perspectives on Murayama Statement」
質疑応答
休憩(15分)
14:45〜16:00
台湾からの視点
Rwei-Ren Wu(中央研究院)「Redeeming the Pariah, Redeeming the Past: Some Taiwanese Reflections on The Murayama Statement」
質疑応答
休憩(15分)
16:15〜17:30
欧州からの視点
Thomas Berger(ボストン大学)「Neither a Model not Irrelevant: Lessons for Asia from Europe’s Struggle with its Difficult Past」(当日欠席、ペーパーコメントによる参加)
質疑応答
17:30〜18:00 全体討論

セミナー概要

東郷氏の報告

Yang氏の報告

Bong氏の報告

Wu氏の報告

 本セミナーは東郷和彦所長による報告「Contemporary and Future Implication of the Murayama Statement: Philosophizing it from Japan’s Perspective」から開始された。「村山談話」が日本の植民地支配・侵略の責任主体をどう捉えているのかという問題が、ドイツ・ヴァイツゼッカー元大統領の演説内容と比較される中で論じられた。まず、「談話」においては「責任」の主体とされる「わが国」が具体的に何を指すのかが曖昧になっているのに対し、「演説」においては罪と責任が区別され、前者は「個人」に向かい後者は「後世のドイツ人全て」に関わるものとして位置付けられていることに焦点が置かれた。またカール・ヤスパースによる「罪」の四区分――刑事的罪、政治的罪、道徳的罪、形而上的罪――が参照され、ヴァイツゼッカーの「個人の罪」および「記憶にとどめる責任」が道徳的・形而上的罪の区分にうまく適合するのに対し、「談話」には両者が欠けていることが指摘された。最後に、日本国内における右派・左派からの「談話」批判が概観された。  続くDaqing Yang氏は「Wards, Actions, and Principles: Chinese Views of the Murayama Statement」と題し、村山談話以降における日本政府の言明と行為が一致しない問題点を軸に報告された。まず、村山談話が注目されるようになった要因として、歴史問題を軸に据える構造へとパラダイムシフトが起きた点が論じられた。その中で、中国政府(外交部)が談話に対する一定の評価を示しつつも、歴史問題に対して一貫性に欠ける日本政府の姿勢を問題視している点が触れられた。特に小泉元首相によるまたポスト小泉以降は新たなパラダイムシフトに向かう動きとなっている点が強調され、「ことば」に行動が伴うことが求められるようになると論じられた。

 第3報告のYoungshik Daniel Bong氏は「Korea’s Perspectives on Murayama Statement」と題し、日韓関係における歴史和解の可能性について論じた。まず日本の過去の植民地支配における具体的な責任問題を考察する上で重要な要素が多角的に議論された。次に、サンフランシスコ講和条約を発端とし、日本のロシア(当時はソ連)に対する和平政策と韓国・中国に対するそれとの間に矛盾が見られること、2007年の「従軍慰安婦裁判」(最高裁)において個人の権利が「すでに解決済み」とされたことにも二重性が見られることが浮き彫りにされた。同時に、「和解」には一方向ではなく双方向の働きかけが求められる点が強調され、韓国側も和解問題へと積極的に取り組む準備ができていない点に焦点が置かれた。特に、韓国の内政上の問題が解決されない限り国際的な和解問題へと精力的に取り組むことが困難であるという主張がなされた。最後に、民主主義が深まり多様な声が反映されるにつれ、歴史問題を一つの定義で捉えることができなくなりつつある点が確認された。

 第4報告者のRwei-Ren Wu氏は「Redeeming the Pariah, Redeeming the Past: Some Taiwanese Reflections on The Murayama Statement」と題し報告された。まず、日本の植民地支配が結果的に近代化や物質的発展をもたらしたことなどもあり、台湾では韓国とは異なって植民地支配を肯定的に受け止める傾向もあるという背景が説明された。次に、中国や韓国といった植民地主義政策の「犠牲者」からも排除されるという「パーリア」の位置に台湾を置き、村山談話の考察を進めた。特に談話に含まれている「独善的なナショナリズム」の否定や国際協調を通じた平和と民主主義の実現といった概念が普遍的であることが評価され、過去の植民地支配がナショナリズムや二国間の関係のみに還元されるのではなく「人間性に対する普遍的な悪」であると捉える視点が必要であることが論じられた。この視点に照らし、「被害者」の「独善的ナショナリズム」は自国の独自性に固執する傾向があるからこそ、過去の「加害国」と共に国際協調による平和や民主化を実現化させるプロセスに積極的に加わる必要があると強調された。

 最後の報告者であるThomas Berger氏は「Neither a Model not Irrelevant: Lessons for Asia from Europe’s Struggle with its Difficult Past」と題して報告する予定であったが急遽欠席となった。しかし事前に報告要旨が提出されていたため、それを中心としたディスカッションが行われた。まず、歴史和解においてヨーロッパ(特にドイツ)とアジアではそれぞれの歴史的・政治的文脈が非常に異なるため、安易に前者を後者のモデルとすることは避けるべきとの点が浮き彫りになった。同時に、政治的経済的相互依存の深化とそれに伴う地域主義という共通点が両者に共通していることも確認された。ヨーロッパにおける歴史問題の取り組みの歴史が概観され、そこから得られる「教訓」のうち、アジアに適応できる点が抽出された。特に、当該諸国の共通利益が存在すること、補償・共通の記念式典・教育など多層的なアプローチが必要であること、それらが持続的に追及されることなどの諸条件が確認された。

 それぞれの報告の後には5名の報告者およびフロアーから活発な質疑応答・議論が展開され、村山談話に関する共通認識や多様な見解が確認できた。同時に、各報告者が今後の研究において深めるべき諸論点も明らかになり、誠に有意義なセミナーとなった。

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