非侵襲性尿中揮発性バイオマーカーを利用した、うつ・不安症 診断技術の開発への試み

2022.10.28

京都産業大学生命科学部 加藤啓子教授らの研究グループは、「高齢者のうつ・不安症を検出する新規揮発性尿中バイオマーカー:パイロット研究」において、高齢者のうつ・不安症を評価するために有用なバイオマーカーを明らかにしました。
高齢化社会の日本では、高齢者のうつ・不安症は、特に注目すべき疾患であり、フレイル*1の進行に大きく影響します。今後、バイオマーカーを使った診断技術が確立されると、うつ・不安症*2の早期発見が実現し、フレイルから要介護への進行の防止に寄与することが期待されます。

リリース日:2022-10-27

本件のポイント

  • 高齢者のうつ・不安症を検出する尿中の新規バイオマーカーを発見した。
  • 高齢者の基礎疾患の受診の際に、尿検査などの非侵襲性の検査でうつ・不安症を判定することができれば、心療内科受診にスムーズにつなげることや早期発見による介入治療効果の改善が期待でき、高齢者の健康維持に大きく貢献する。
  • 尿中うつ・不安症バイオマーカー群は、ヒトとマウスで同じ代謝経路上にあり、モデルマウスを利用した食品の機能性評価や薬理試験の効果をヒトに外挿することが期待できる。

概要

京都産業大学生命科学部の藤田明子研究員、加藤啓子教授らの研究グループは、弘前大学の井原一成教授や、東京都健康長寿医療センターの河合恒研究員らと共に、高齢者のうつ・不安症を検出する新規揮発性尿中バイオマーカー*3を発見しました。非侵襲性の尿検査により検出できる3種の揮発物質からなるバイオマーカー群は、偽陰性がなく、既存のうつ病評価尺度(GRID-HAMD)*4との相関性が著しく高いことから、診断に十分利用できると期待されます。本研究は、英国ネイチャー・パブリッシング・グループの科学雑誌Discover Mental Healthオンライン版(2022年10月27日付)に掲載されました。

背景

高齢者は、うつ病や不安障害の罹患率が高く、フレイルの進行リスクを高めます。フレイルとは、健康と要介護の中間の状態を示しており、精神的フレイル(うつ・不安症)、身体的フレイル(サルコペニア*5)、社会的フレイル(ひきこもり)の3因子が挙げられます。 これら3つの因子を早期発見し、適切な介入を行うことで要介護状態への移行を阻止し、自立した健康な生活に戻すことができると期待されています。3つの因子の中で、精神的フレイルは特に診断が難しく、簡易的な診断方法が切望されていました。
本研究は、2015年度お達者検診*6にて、東京都板橋区内に在住の女性(374名)と男性(265名)を対象にコホート調査を実施(年齢66歳~88歳)した際に、いただいた尿を用いた研究です。本研究では、フレイルの進行には加齢に伴う代謝変化もリスクになると考え、最終代謝産物である尿に着目し、尿中揮発性有機化合物(VOCs)*4を解析した、パイロット研究です。精神科医が診断した9名の大うつ病および/または不安症罹患者と対象者の尿中揮発性有機化合物(VOCs)を、固相マイクロ抽出法*7とガスクロマトグラフ質量分析法*8を用いてプロファイリングしたところ、高齢者のうつ・不安症のバイオマーカーの発見に至りました(図1)。

研究成果

うつ・不安症と診断された高齢者の方と対照となる高齢者の方から、非侵襲的に採取できる尿をいただき、尿中の揮発性有機化合物を分析したところ、157種の揮発性有機化合物を検出し、その中から特に5種のうつ・不安症バイオマーカーを同定しました(表1)。受信者動作特性曲線(Receiver Operating Characteristic(ROC))*9を用いて解析した結果、5種全ての正確さが70%以上であり、感度も著しく高いものでした。
図2に示した図は、①〜③の結合インデックス(Combined index 3化合物、SPSSを用いた線形回帰解析*10により得た「標準化されていない予測値」)を横軸(独立変数)に、GRID ハミルトンうつ病評価尺度21項目(GRID-HAMD)を縦軸(従属変数)に、グラフを作成したものです。Pearson r値が0.84 (*p = 0.047)となり、高い相関を示しました。この高い相関性は、①〜③の揮発性バイオマーカーが、大うつ病の判定に有効であることを示します。
発表者らは、ヒトのVOCsに先駆け、うつ・不安症モデルマウス*11と側頭葉てんかんモデルマウス*11のバイオマーカー群を発見し、原著論文*12を報告しています。今回ご報告する高齢者の研究成果を、マウスモデルの結果と比較したところ、うつ・不安症バイオマーカーは、ヒトとマウスで類似の代謝経路を通り、尿における最終代謝産物となっていることがわかりました(図3)。このヒトとマウスの代謝経路の類似性は、これらのマウスモデルが、ヒト食品の機能性評価や薬理試験の評価試験に有用であることを示しています。

今後の展開

今回、高齢者のうつ・不安症を検出する新規揮発性尿中バイオマーカーを発見しました。今後は、非侵襲性の簡便な尿検査キットの開発を目指し、より多くの高齢者に試していただけるよう、工夫を進める必要があります。また、ヒトとマウスで類似の代謝経路を通り、尿中に排泄されるバイオマーカーの起源や体内動態、さらには、うつ・不安症の発症と関連する生理学的な意味の解明が、今後の課題であると考えています。
本研究では、揮発性尿中バイオマーカーを、検査の対象となった高齢者の食事への嗜好性との関連性も検討しています。油脂摂取頻度の高い高齢者は、①〜③の結合インデックスが低い傾向にありましたが、特に、緑黄色野菜や海藻の摂取頻度の高いうつ・不安症の高齢者は、①〜③の結合インデックスが高い傾向にありました。食事の嗜好性については、情動による影響と生理学的反応の両方向から考察する必要性があると考えられます。こう言った一連の課題を解決するために、高齢者の尿を対象としながら、マウスモデルを用いた実験系を併用することで、食品の機能性評価、創薬研究にも貢献できると考えています。

謝辞

本研究は、挑戦的研究(萌芽)「フレイル予防を目指した精神疾患の非侵襲性定量検査法の開発」(加藤)、水谷糖質科学振興財団「シアル酸転移酵素と代謝負荷に起因する精神神経疾患の発症」(加藤)、基盤(C)「高齢期うつ病の1次・2次予防に向けたBDNFのエピジェネティクス疫学の縦断的研究」(井原)、基盤(C)「超音波画像の空間的周波数分析を活用した加齢による筋質変化特性の究明」(河合、分担)、AMED「要介護高齢者等の口腔機能および口腔の健康状態の改善ならびに食生活の質の向上に関する研究」(平野)等の支援によって行われました。

参考図

図1.  揮発性尿中バイオマーカーの同定法
表1. バイオマーカー候補化合物ROC分析( 感度 = 1 とは、偽陰性がないことである
①〜⑤のマーカー化合物の感度は高く、特に②と④は偽陰性がないことがわかります。また、①と③は、側頭葉てんかんモデルマウスの揮発性尿中バイオマーカーと同様に硫黄系有機化合物であり、共に代謝経路が同じであることが図3からわかります。うつ・不安症モデルのマーカーであるbenzaldehydeは、isothiocyanateの代謝産物であることから、②の類似化合物であることがわかります。④と⑤は、ヒトとマウスで一致しました。
図2. VOCs結合インデックスとコホート調査との関連性評価
二次関数式で得られた曲線(青)と三次関数式で得られた曲線(緑)を表しています。大うつ病の方を黒丸で示しています。NO5の方は、空間恐怖(不安症の一種)を持っていますが、うつ病に罹患していないので、 GRID-HAMDの評価尺度が低いことがわかります(赤)。①〜③の結合インデックス(Combined index 3化合物)は、不安症の方も高いことがわかります。
図3. 高齢者うつ・不安症バイオマーカーがマウスモデルの糖・脂質・アミノ酸代謝経路に一致
側頭葉てんかんモデルマウス*12の揮発性尿中バイオマーカーの代謝経路(青字で表記)に、高齢者うつ・不安症バイオマーカーとマウスうつ・不安症バイオマーカーを赤字で記載しています。てんかんモデルは、情動中枢の扁桃体が発火点になるように、刺激を誘導しており、うつ・不安症モデルは、てんかんの原因タンパク質(シアル酸転移酵素St3gal4)を除いたマウスです。共に本能や感情を司る大脳辺縁系の機能に影響を受けるモデルであり、うつ・不安症が関わる代謝変化は、高齢者とマウスで類似していることが、尿の解析から明らかになりました。

用語・事項の解説

*1 フレイル

「加齢により心身が老い衰えた状態」のことをいい、高齢者のフレイルは、生活の質を落とすだけでなく、様々な合併症を引き起こします。フレイルの状態は、早く介入し、対策を行えば元の健康な状態に戻る可能性があります。

*2 うつ・不安症

うつ病は、一日中気分が落ち込んでいる、何をしても楽しめないといった精神症状とともに、眠れない、食欲がない、疲れやすいなどの身体症状が現れ、 日常生活に大きな支障が生じている場合に、うつ病の可能性があります。精神的ストレスや身体的ストレスなどを背景に、脳がうまく働かなくなっている状態です。一方で不安症は、心配や不安が過度になりすぎて、日常生活に支障が出る場合のことをいい、精神的な不安から、こころと体に様々な不快な変化が起きる状態です。

*3  揮発性尿中バイオマーカーもしくは、尿中揮発性有機化合物(VOCs)

揮発性有機化合物(Volatile organic compounds、 VOC)は、一般に、大気中で気体となる有機化合物の総称です。本研究の対象である尿は、体内の代謝産物の中でも、特に、排泄される最終代謝産物を含みます。この最終代謝産物の産生経路を遡って解析することで体内の代謝負荷を捉えることができると考えられます。うつ・不安症モデルマウスにおいて、脂肪酸鎖の異なる油脂餌が、うつ、不安症の程度に強く影響しましたが、油脂は、疾患のサインである匂いとも関連します。

*4 GRID ハミルトンうつ病評価尺度(GRID-HAMD)

現在広く使われているうつ病評価尺度で、症状の程度を「縦軸」において5段階で評価し、症状の頻度を「横軸」において4段階で評価するものです。GRIDハミルトンうつ病評価尺度は、うつ陽性の疑いのある人にのみ行われる検査です。

*5 サルコペニア

サルコペニアとは、加齢による筋肉量の減少および筋力の低下のことを指します。2016年10月、国際疾病分類に「サルコペニア」が登録され、現在では疾患に位置付けられています。

*6 お達者検診

地方独立行政法人東京都健康長寿医療センター・福祉と生活ケア研究チーム・大渕修一部長が実施している
「板橋お達者健診2011コホート調査」のことで、2011年から開始し、現在に至っています。地域高齢者の包括的生活機能調査「お達者健診」による老年症候群など健康アウトカムの評価および予測指標の開発のための長期縦断研究のことです。

*7 固相マイクロ抽出法

尿中の揮発性有機化合物を吸着する、ジビニルベンゼン、 Carboxen、 ポリジメチルシロキサンから成るファイバーのことを示します。液体試料、固体試料、大気試料から揮発(香気)成分(分子量40〜275)を吸着します。

*8 ガスクロマトグラフ質量分析法

ガスクロマトグラフィー質量分析装置(Gas chromatography mass spectrometer) 。質量分析器を検出器としたガスクロマトグラフ装置のことをGCMSと呼びます。ガス状の化合物または気化する化合物で、300℃程度で気化し、分解しない化合物を対象とします。一般に有機化合物を対象とします。

*9 受信者動作特性曲線(Receiver Operating Characteristic(ROC))

ROC曲線は、横軸に偽陽性率(1—特異度)、縦軸に感度をプロットし、折れ線で結んだものです。グラフの局面下の面積(Area Under Curve、 AUC)の値が大きいと、良い診断となります。表1は、ROC曲線を描くための情報を記した「ROCテーブル」です。感度は、正しい陽性者を陽性と判定する真陽性率を表し、感度1は偽陰性のないことを示します。

*10 線形回帰解析

変数間の相関を利用し、目的の変数の値を予測する分析のことです。図2の横軸は、①〜③の3つの化合物が持つそれぞれの値を1つの予測値に変換し、縦軸のGRID ハミルトンうつ病評価尺度の値との関連性をグラフにしました。

*11 うつ・不安症モデルマウスと側頭葉てんかんモデルマウス

情動中枢である扁桃体に負電極を挿入し、微弱な電流を1日1回約3週間与えることで側頭葉てんかんモデルマウスを作成します。この側頭葉てんかんモデルマウスを用いた研究から、てんかん発症原因物質がシアル酸転移酵素(St3gal4)であることを見出しました。この成果を基に開発したSt3gal4遺伝子欠損マウスが、当該うつ・不安症モデルマウスです。脂肪酸鎖の異なる油脂餌が、うつ、不安症の程度に強く影響することから、最終代謝産物の排出先として尿に注目し、バイオマーカーを検出しました(Urinary volatilome analysis in a mouse model of anxiety and depression、Fujita A、 Okuno T、 Oda M、Kato K. PLOS ONE 15:e0229269、 2020)。また、側頭葉てんかんモデルマウスの新規揮発性尿中バイオマーカーも同定し、バイオマーカーの代謝マップを作成しました(図2)(Urinary volatile metabolites of amygdala-kindled mice reveal novel biomarkers associated with temporal lobe epilepsy、Fujita A、 Ota M、 Kato K. Scientific Reports 9:10586、 2019)。

論文情報

タイトル 「A novel set of volatile urinary biomarkers for late-life major depressive and anxiety disorders upon the progression of frailty: a pilot study」
(フレイルの進行に伴う、高齢者のうつ・不安症を検出する新規揮発性尿中バイオマーカー:パイロット研究)
掲載誌 英国科学雑誌「Discover Mental Health」(オンライン版)
掲載日 2022年10月27日9:00 (日本時間)
著者 藤田 明子1a、井原 一成1b、河合 恒1c、大渕修一c、渡邉 裕d、平野 浩彦e、藤原 佳典f
武田 陽一g、田中 雅嗣h、加藤 啓子2a
(1筆頭著者、2責任著者)
(所属 : a京都産業大学 生命科学部、 b弘前大学 医学研究科、 c東京都健康長寿医療センター 福祉と生活ケア研究チーム、 d北海道大学 大学院歯学研究院、e東京都健康長寿医療センター 歯科口腔外科、f東京都健康長寿医療センター 社会参加と地域保健研究チーム、 g立命館大学 生命科学部、h順天堂大学 医学部)
DOI 10.1007/s44192-022-00023-0

お問い合わせ先
内容について:京都産業大学生命科学部 加藤 啓子 教授
603-8555 京都市北区上賀茂本山
E-Mail:kato@cc.kyoto-su.ac.jp


取材について:京都産業大学 広報部
Tel.075-705-1411
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