令和2年度 学校法人京都産業大学「サギタリウス基金」卒業生顕彰式を実施

2021.01.29

2020(令和2)年11月15日(日)キャンパスプラザ京都(京都市下京区)において、本学同窓会総会に併せて学校法人京都産業大学「サギタリウス基金」(※1)卒業生顕彰式を執り行いました。昨年度に引き続き、第2回目の挙行となります。今回は新型コロナウイルスの感染拡大を防止するため、衛生面には十分配慮したうえで実施しました。

まずは大城光正理事長より開会のあいさつがあり、顕彰者の名前が読み上げられました。
「本日、同窓会総会の場をお借りして顕彰式を挙行できますことは、理事長といたしましてもたいへん光栄に思っております。本日第2回の顕彰を行う運びになり、5名の方々を選ばせていただき、ここに謹んで『サギタリウス賞』を授与する次第です。本学OB・OGにはまだまだスポーツ、文化、芸術やそのほかの分野において、おおいに活躍されている方が大勢いらっしゃいます。来年度以降も引き続き顕彰してまいりたいと考えております。」

第2回目に顕彰者として選ばれたのは、次の5名の方々です。

氏名 卒業年・学部 分野 職業
山田 修平
(やまだ しゅうへい)
1969年経済学部卒
1977年経済学研究科
博士課程単位取得退学
全分野
(教育)
学校法人藤田学院 理事長
千代 正實
(ちしろ まさみ)
1970年経済学部卒 全分野
(メディア)
株式会社京都放送
代表取締役会長
白波瀬 誠
(しらはせ まこと)
1972年経済学部卒 全分野
(経済)
京都中央信用金庫 理事長
植田 喜裕
(うえだ よしひろ)
1972年経営学部卒 全分野
(地方自治)
元 京都府議会議員、
元 京都府議会議長
山中 健
(やまなか けん)
1973年経営学部卒 全分野
(地方自治)
前 兵庫県芦屋市長
左から大城理事長、千代 正實 氏、白波瀬 誠 氏、植田 喜裕 氏、
山中 健 氏

今回の式典では千代氏、白波瀬氏、植田氏、山中氏に、大城理事長より顕彰盾などが贈呈されました。
この顕彰盾は、本学文化学部教授であり漆芸家として著名な下出祐太郎氏の手になる作品で、本学職員で書道部OBである坂之上茂氏揮毫の文字と、本学の学旗がデザインされています。

山田 修平 氏

なお、当日ご出席いただくことがかなわなかった山田氏へは、新型コロナウイルス感染拡大予防のため対面でのお渡しは中止となり、ご本人のご了解のうえで送付させていただきました。

<注釈>
※1「サギタリウス基金」は、2012(平成24)年1月から2016(平成28)年3月にかけて募集した寄付をもとに設立した基金です。本学が創立50周年を迎えるにあたり、「建学の精神」を受け継ぎながら、今後とも世界に雄飛する人材を輩出することを目的としています。卒業生顕彰制度はこの基金の事業の一環であり、本学に所縁のある、「国の内外を問わず社会の諸分野において活躍し、社会的貢献を果たし、顕著な業績をあげ、本学の名声を高めた」方々を顕彰するものです。

卒業生顕彰者スペシャルインタビュー

今回顕彰を受けられた方々に、スペシャルインタビューを行いました。それぞれのおよろこびのコメントと、在学生へのメッセージをご紹介します。

2020(令和2)年 11月15日(日)卒業生顕彰式・顕彰者スペシャルインタビュー

千代 正實 氏

−−−顕彰を受けられた、およろこびの言葉をお願いします。
非常に多くの卒業生がいらっしゃるなかからこうして「サギタリウス賞」をいただくということになり、たいへん驚きました。恐縮すると同時に、重い責任も感じています。日本の男子の平均寿命までにはまだ時間がありますので、卒業生の範となるよう努めていくつもりです。
 

−−−お仕事には、どのような使命感をもっていらっしゃいますか?

まずは給料をいただいて生計を立てるということから始まると思いますが、やはり「社会に貢献できる」ということが、仕事をするうえでの使命感やよりどころになると思います。
私の場合は、大学時代にいろいろな先生に教えを請うたことや、学祖である荒木俊馬先生が何度も「日本だけでなく世界に雄飛しなさい」というお話をしてくださったことがずっと頭に残っており、人生を進めていくうえでたいへん大きな役割を果たしました。
就職するにあたり、生まれ育った滋賀県から出ることを決めたのも、ゼミで師事していた石田興平先生の影響です。もっとも身近な「外」である京都で働くなかで、自分の方向性が定められたように思います。

−−−本学の後輩へのメッセージをお願いします。 

「得意淡然、失意泰然。」成功したときにあまりはしゃがず、逆に失敗してもあまりくよくよせず。遠くに大きな目標を設定し、学生生活はもちろん卒業してからも、そうした気概をもって邁進していただきたいと思います。

 

白波瀬 誠 氏

−−−顕彰を受けられた、およろこびの言葉をお願いします。
たいへん名誉な賞をいただき、ありがとうございます。心から御礼申し上げます。
ただこの顕彰は、私にいただいたものではないだろうと思っております。京都中央信用金庫では、京都産業大学のOB・OGがグループ会社を含めて400名あまり働いており、地元の企業の成長・発展、ひいては地域の活性化のためにたいへんな努力をしながら仕事に取り組んでいます。そのことに対する評価から、この賞をいただけることになったのだと感じています。

−−−学生時代の思い出をお聞かせください。
入学するとき、「将来の社会を担って立つ人材の育成」「高い人格をもち、人倫の道をふみはずすことなく、社会的義務を立派に果たし得る人をつくる」という建学の精神に非常に共鳴したことを覚えています。この精神は、京都中央信用金庫の経営のなかにもずいぶん取り入れさせていただきました。

−−−京都中央信用金庫は今年で創設80周年を迎えられました。今、どのようなことを感じていらっしゃいますか?
我々の目標のひとつは、学生に「この企業で働きたい」と思ってもらえるような魅力のある企業を育成することです。京都は学生の街。その卒業生が地元の企業に身をおいて活躍してくだされば、これからさらに地域を活性化していけると考えています。

−−−後輩へのメッセージをお願いします。
社会人として信頼・尊敬される人格者でなければ、持続的に成長していくことはできません。人のためにしたことが、いずれは自分に返ってきますので、まずはどれだけ人の役に立てるかということを思い描きながら、社会のなかで精一杯がんばっていただきたいと思います。

植田 喜裕 氏

−−−顕彰を受けられた、およろこびの言葉をお願いします。
京都府議会議員を24年間務めてきた集大成として、今年の4月に旭日小綬章を受章いたしました。私にとりまして身に余る光栄であり大変ありがたいことでした。さらにこのたび京都産業大学から「サギタリウス賞」をいただけたことに、驚きとともに格別のうれしさを感じています。卒業後、様々な活動をしてきたことが少しはお役に立てたかなと思っています。

−−−学生時代から政治の世界を志していらっしゃったのですか?
もともと政治家を目指すという気はありませんでしたが、大学1年生の冬に父の紹介で選挙のお手伝いをいたしました。言われたことを一生懸命務めているうちに政治の面白さにはまり、気づけば政治の道を歩んでいました。ただゆくゆくの政治に結びつくような萌芽は、小学生のときからあったように思います。小学校のときは往復10kmの道のりを歩いて通い、中学生のときは府外で下宿をしていました。多くの友人を見ていると「なぜ僕だけが」「何とかならないか」といつしか思うようになっていました。今から思うとこれが政治の道に突き進む原点であったように思います。

−−−後輩へのメッセージをお願いします。
3つあります。ひとつは楽しく遊び、楽しく学んでほしいということ。2つめは、自分が何を望み、何をしようとしているのかよく考え、使命感を持って行動してほしいということ。
そして最後は、与えられたものになんでも挑戦し一生懸命取り組むということを大事にしていただきたいと思います。

山中 健 氏

−−−学生時代の思い出をお聞かせください。
入学のときに「1分1秒も無駄な時間を過ごさず、他の学校のどの学生にも負けない充実した学生生活を送ろう」と固く心に誓いました。その誓い通り、とても充実した学生生活を送れたと思います。ずっと背骨には「他の学校の者に負けたらあかん、勝つんや!」という思いがあり、それは今でも信念として持っています。おそらく京都産業大学の卒業生では政治家として第一号なのですが、40年間の政治生活ではずっと「先頭に立って後輩への道を切り開いていくんだ!」と、自分に言い聞かせ続けてきました。

−−−阪神大震災後の市長でしたが…25年目の節目に思うことは?
市長になったのは18年前で、震災の復興のために大きな借金をしており、このままでは芦屋市が立ち行かなくなるという状況だったので、思い切った行政改革に取り組むしかありませんでした。「一期で終わってもいい、将来、芦屋市が元気に残っていてくれれば」と腹をくくったのを覚えています。
おかげさまで財政も順調に再建してきましたし、四期の在任中は住環境に力を入れたこともあって、全国的に見ても住みたい街のひとつに数えられるようにもなりました。

−−−後輩へのメッセージをお願いします。
初めての市長選のときは私以外の2人の候補者が京都の他大学のOBだったので、「絶対に負けられない」という思いでがんばり、無事当選を果たすことができました。京都産業大学出身という肩書は、一生付いて回るもの。だからこそ「どこのご出身ですか?」と聞かれたときには、胸を張って「京都産業大学です」と言えるような学生生活を送ってください。

山田 修平 氏

山田修平氏には、後日に別途インタビューを実施しました。
柔道部一期生と山田氏(右下)

−−−顕彰を受けられた、およろこびの言葉をお願いします。
とてもありがたく、光栄に存じます。私は京都産業大学に育まれたと心底より思っています。在学当時、小野理事長、荒木総長をはじめとする教職員の皆様からは、心の籠ったご指導を受けました。また一期生の仲間たちや後輩たちと出会えたからこそ、紛れもない青春の日々を送ることができ、その後の人生につながったのだと思います。

−−−初代同窓会会長として、今どのような思いをお持ちですか?
同窓会は、母校に就職した一期生の仲間たちと大学院生であった私が中心となって、1969(昭和44)年12月に設立しました。「青春時代を共にした仲間たちと卒業後も関わりたい、そしてお世話になった母校へ何らかの恩返しをしたい」という趣旨で、名簿作成や総会開催、活動の拠点・支部づくりに着手。今では海外3支部を含めて41支部にまでなり、感無量です。母校の真の発展は、卒業生の社会における活躍次第だと考えています。

−−−学校法人の理事長として、大学にとって大切なことはどのようなことだとお考えですか?
学生がいてこその大学なので、一人として忘れられた学生のいない大学にしたいです。その延長上にいる卒業生がよく遊びに来てくれて、自分の子どもを入学させたいと思ってもらえるようにしていくことが大切だと思っています。

左から山田氏、ガストン・シグア教授、フランツ・マイケル教授(山田氏アメリカ留学中、シグア教授宅にて。撮影:若泉敬氏)

−−−後輩へのメッセージをお願いします。
今は先の見えない時代ですが、「未来の未来は現在である」という言葉があるように、不透明な状況であったとしても結局は現在にこそ未来の方向性があります。学生時代の過ごし方が、あなたと、あなたの生きる社会の未来を決めるでしょう。学びや読書、人との関わりなど、大切なことには主体的に取り組んでください。

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