改革から発展へ。「神山STYLE2030」の成果と展望を語る

2020.06.30

大城学長(左)と柿野理事長(右)

2016(平成28)年に始動した「神山STYLE2030」。京都産業大学が、2030(令和12)年までの15年を見据えて打ち出した中長期の事業計画です。
ちょうど5年目となった今、柿野 欽吾 理事長と大城 光正 学長はこのプランについてどのようにお考えなのでしょうか。これまでの教員としての経験も振り返りつつ、今後の展望を語っていただきました。

1.中期の事業計画「神山STYLE2030」とは?

——中期の事業計画である「神山STYLE2030」について、概要をご教示ください。

大城学長(以下、大城):
京都産業大学は2015(平成27)年に創立50周年を迎えました。そこから先の50年、つまり100周年に向けた最初の15年の事業計画をまとめたのが、「神山STYLE2030」です。
具体的には2016(平成28)年から2030(令和12)年までを、5年ごとに改革期・発展期・充実期の3つに区切ってプランを立てています。2020(令和2)年度は改革期の最終年となりました。これまで教育・学生支援、研究改革、社会貢献・地域連携・ステークホルダー連携、組織・人事戦略、財務戦略、広報戦略、キャンパス計画といった、あらゆる分野で改革を進めてきました。
計画の進捗状況は毎年検証しているのですが、今後は次の発展期に向けて、今一度詳細に振り返る予定です。
——柿野理事長は「神山STYLE2030」による改革を、どのように受け止めていらっしゃいますか?

柿野理事長(以下、柿野):学校法人京都産業大学には、京都産業大学、附属中学校・高等学校、すみれ幼稚園という3つの教育組織があります。「神山STYLE2030」は大学の事業計画で、大城学長のリーダーシップの下に推進され、着実に実行されているのですが、今のところ申し分がなく、安心して見守っています。

大城:ちょっと褒めすぎじゃないですか。(笑)
柿野:いや、数字にも表れていますよ。大城学長がこの数年掲げていらっしゃった「志願者数を7万人に増やす」という目標がありましたが、2019(令和元)年度は69,344名で、あと一歩届きませんでした。しかし2020(令和2)年度は71,262名となり、5年連続で志願者数が増える結果になりました。また、2019(令和元)年度には卒業生数も15万人を超えました。受験生・卒業生ともに大台に乗ったということで、本学にとって記念すべき年になったと思います。

——志願者数の増加にも、「神山STYLE2030」による改革が影響しているのでしょうか?

柿野:学部学科の新設・再編も行っていますから、このことも、受験生やその保護者から高い評価を受けたのだと、私は理解しています。

大城:本学では、社会で活躍する人材の育成を目的としています。社会が変われば、人材の育成も変化して当然。社会が本当に求める人材を育成するためには、学部・学科の改組・改編も積極的に行わなければなりません。そこで2015(平成27)年には文化学部に京都文化学科を、2016(平成28)年には理学部に宇宙物理・気象学科を設置しました。さらに、2017(平成29)年には現代社会学部を新設、2019(平成31)年には、経営学部の学科再編を行いマネジメント学科を設置。また、総合生命科学部を生命科学部に、外国語学部の国際関係学科を国際関係学部にそれぞれ再編しました。
こうした改編と同時に、入学定員も増やしています。2014(平成26)年10月、学長に就任した当時の入学定員2,830名から大幅に増やし、2020(令和2)年度で3,625名まで増えました。2021(令和3)年度の入学定員は3,730名になる予定で、編入学定員も合わせると、2024(令和6)年度の収容定員は15,010名になります。
——ワンキャンパスに15,000人というのはすごいですね!

大城:事業計画としては、2025(令和7)年度までに学生数15,000人を擁する大学になることを目標として掲げていました。それが1年前倒しで達成できそうなので、柿野理事長がおっしゃる通り、順調に進んでいると思います。

2.校舎の数が倍になり、学生の気質も変わってきた

——京都産業大学に赴任されてから今日に至るまで、どのような変化を感じていらっしゃいますか?

柿野:私は1984(昭和59)年に本学の経済学部に着任したのですが、当時は校舎が1号館から8号館までしかありませんでした。それが今は16号館と倍近くまで増えています。また、隣接した土地も購入して、校地自体も広がりました。
本学経済学部に着任した当時の柿野理事長
柿野:特に大城学長が就任してからは、学部・学科の改組・改編と定員増を進めていることもあり、ものすごいスピードで建物が増えていますね。また、創立から50年以上たち、経年劣化が目立つ建物の建て替えも進めています。今年の3月にも、第6研究室棟と真理館の竣工式を執り行いました。こうしたことだけを見ても、隔世の感があります。
また、教室のつくりも昔とは大きく変わってきています。黒板・教卓と座席だけの教室ではなく、壁面すべてがホワイトボードで、ICT機器を導入している小教室が増えています。

大城:近年は教員が前に立つ対面式の講義だけでなく、学生が少人数のグループに分かれて課題や討論を行い、それを発表するというアクティブラーニングが重視されるようになりました。そのなかで、雄飛館の「ラーニングコモンズ」などには、机を自由に移動したり、壁面のホワイトボードにパソコンで作成したデータをすぐ投影できる設備を導入してきました。
学生の主体的な学びを支援するための仕掛けづくりです。

——大城学長は、京都産業大学にどのような変化を感じていらっしゃいますか?

大城:私は柿野理事長の1年後、1985(昭和60)年に本学に着任したのですが、当時に比べると、最近は学生の気質が変わってきているような気がします。かつては「明るい・元気・やる気」がカラーだったのですが…。

柿野:並外れたやんちゃ坊主が多かったですね。そういう学生が、社会に出たらびっくりするほど立派に活躍しています。

本学外国語学部に着任した当時の大城学長
大城:当時、企業の就職説明会でも、質疑応答で最初に手を挙げるのはいつも本学の学生だと言われていました。次も、その次も本学の学生が挙手するので、とうとう最後には企業の担当者から「京都産業大学以外の方で、質問のある方はいらっしゃいませんか?」と言われるという。(笑)それほど、自ら前に出て自分をアピールする学生が多かった。
でも最近は少し変わってきていて、OB・OGの方から「少し元気が足りないのではないか」と叱られることもあります。

ただ、いい方向での変化もあって、教員からは、「非常に真面目で理解力の高い学生が年々増えている」という話を聞いています。先のことをよく考えて行動する学生が増えたのかもしれません。そこにもう少し積極性が加わると、より素晴らしいのではないかと。失敗を恐れずに挑戦する「おもろい学生」になってほしいですね。

3.ワンキャンパスで醸成される「神山スピリット」

——2019(令和元)年12月8日(日)に開催された京都産業大学同窓会設立50周年記念行事には、約1,300人の同窓生が集まりました。愛校心の強い同窓生が多いように感じるのですが、その理由はどういうところにあるのでしょうか?

大城:
一拠点の総合大学であるということが、その理由のひとつかもしれません。さまざまな専門性を持つ学生が集まって学ぶなかで、醸成される何かがあるのではないかと。柿野理事長、いかがですか?

柿野:神話になりますが、キャンパスから見える神山(こうやま)に、その名の通り「神が宿る山」としてのパワーがあるのではないかと私は感じています。すばらしい環境のキャンパスで学ぶことが、学生にとって大きな糧になるのではないでしょうか。
小坂田氏ならびに伊藤氏から本学へ寄贈されたオリンピック出場の記念品
たとえばスポーツでも、オリンピックでは、1984(昭和59)年ロサンゼルスオリンピックの柔道男子65kg級金メダリストの松岡 義之 氏、1996(平成8)年アトランタ大会・2000(平成12)年シドニー大会・2004(平成16)年アテネ大会に3大会連続して陸上男子1600mリレー、400mリレーに出場した小坂田 淳 氏。2016(平成28)年のリオデジャネイロ大会に出場した女子マラソンの伊藤 舞 氏。また、2019(令和元)年のラグビーワールドカップで活躍された田中 史朗 氏など、有名なアスリートを多数輩出しています。この方々以外にも、入学時には無名であったのに、大学生活4年間を通して世界に通用する選手に育って卒業していく学生も少なくありません。
なぜそれほど成長できるのか。そこには本人の才能と努力や、クラブの指導者の熱量はもちろんあるのでしょうが、このキャンパスには長年にわたり培われた校風やパワーもあるのではないかと思います。
これから入学される皆さんにも、ぜひ学内の高台に立ってキャンパス全体を眺めてみてほしいですね。この広がりを前にすると、気宇壮大の気持ちになって、勉学に励もうという思いが湧いてくるはずです。
本館前の建学の碑
大城:まさに「神山スピリット」ですね。最近は「神山STYLE」と呼んでいますが、「明朗公正で、やり始めたことは最後までやり抜く」、そんなメンタリティが本学にはあります。

柿野:
その「神山スピリット」の背景には、学祖である荒木俊馬総長が書かれた「建学の精神」と、学歌の存在があるとも思うんですよ。
学歌の作詞も荒木総長で、作曲は團伊玖磨先生ですけれども、本当にすばらしい曲です。これを歌うと、「私もやるぞ!」という気持ちが自然とこみ上げてくるんですよね。

4.各界で活躍する同窓会との絆を深めていく

——同窓生とは今後、どのように連携を深めていきたいとお考えですか?

大城:同窓生と大学とのつながりを強めていくために、同窓会の事務局を学内に設置する予定です。陶芸や盆栽、刀剣など、芸術方面で活躍されている方も多くいらっしゃるので、そういう方の作品などを展示することも考えています。

柿野:卒業生の方々の存在は、本当に心強い限りです。先日の同窓会設立50周年記念祝賀会でも、「京都産業大学の教育は間違いではなかった」と実感できる同窓生の方々に大勢お目に掛ることができました。会社を経営されている方や金融機関の理事長を務めていらっしゃる方、大学教員として他大学で教壇に立っていらっしゃる先生…大城学長もおっしゃったように、芸術方面で活躍されている方も多数いらっしゃいます。

大城:本学が設立されてまだ55年ですから、一期生もまだ70代。皆さんまだまだ、社会で元気に活躍されているんですね。その分、母校に対する愛も強いと感じます。その同窓生の皆さんと繋がり・絆を深めていくことも、「神山STYLE2030」で目指していることのひとつです。

5.これからの時代も「選ばれる大学」であり続けるために

——少子化が進み、これから大学経営はますます厳しくなるといわれています。こうした時代にあって、京都産業大学が社会に必要とされる大学であり続けるためには、どのような取り組みが必要なのでしょうか?

大城:
本学の新たな魅力を発信していくということに加え、今までつくりあげてきたものをさらに充実させ、学生の満足度を上げていくことが重要だと考えています。
そのためにはやはり、教員と職員が協力し、教育・研究の質を上げることが不可欠です。そしてそれを数値として示すこと。「京都産業大学に入学して良いんだ」と、受験生や保護者、そして社会の方々に信頼していただくためには、やはりエビデンスが欠かせません。客観的に判断できるデータを示すことは、我々として非常に大切なことだと思います。
開学2年目に導入された大型電子計算機「TOSBAC-3400」
先ほどもお話した志願者数の増加も、そうしたエビデンスのひとつ。5年連続で過去最多を更新し、それに伴って学生の学力レベルも向上してきました。また、卒業生の進路についても、その就職率・満足度が高いだけでなく、本学学生に対して企業様からも高い評価を得ています。こうした結果を見ても、「神山STYLE2030」の方向性は間違っていないと確信しています。

柿野:
本学が開学したのは1965(昭和40)年。その2年後に、荒木総長が大型電子計算機を導入されました。今でいうコンピュータですが、当時は非常に高価で、私立大学としては早期の導入だったのです。荒木総長はこれを「学生への贈り物」と表現されています。
2020(令和2)年3月に竣工した真理館にて
※壁面のレリーフは、学祖・荒木俊馬総長の縁の地である
 熊本県山鹿市鹿本町にある来民(くたみ)尋常諸学校の
 大イチョウの木をモチーフにしたアートワーク。
同じように、今後も時代を見通して、時にはリスクを冒してでも必要なものは導入し、変えるべきところは変えていかなければなりません。社会が何を求めているか、常に見極めて学部編成や教育内容で的確に対応していくことが肝要であり、その点で大城学長の目に狂いはないと信じています。
また、在校生や同窓生の方々に喜んでいただけるような計画も現在進行中です。
ぜひ今後も、「神山STYLE2030」の展開にご期待いただければと思います。


取材日/2020(令和2)年3月4日(水)

プロフィール

理事長/柿野 欽吾(かきの きんご)

1975(昭和50)年、同志社大学大学院経済学研究科経済政策専攻博士課程単位取得満期退学。
1984(昭和59)年、京都産業大学経済学部に奉職。その後、教務部長、経済学部長、大学院院長などを経て、2011(平成23)年4月、学校法人京都産業大学理事長に就任、現職。
2013(平成25)年京都産業大学名誉教授。研究分野は「現代西陣機業の構造と動向」。

学長/大城 光正(おおしろ てるまさ)

1978(昭和53)年、広島大学大学院文学研究科言語学専攻博士課程単位取得退学。博士(文学)。
1985(昭和60)年、京都産業大学外国語学部に奉職。その後、外国語学部長、学長補佐、副学長などを経て、2014(平成26)年10月、京都産業大学学長に就任、現職。
研究分野は「印欧比較言語学(アナトリア諸語の比較研究)」。
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