がん細胞はなぜ増え続けるのか?

分子細胞生物学レベルで解明する驚異のメカニズムとがん撲滅へのシナリオ

人類にとってまだまだ恐るべき敵であるがんは、自己の細胞の増殖プログラムを呼び起こすことで自己増殖します。
増殖プログラムの鍵を握るのは細胞増殖因子とよばれるタンパク質です。
細胞増殖因子は、細胞に増殖する指令(シグナル)を送ります。正常な体では、必要以上に細胞が増え続けないよう、細胞増殖因子の働きは、厳密にコントロールされています。
分子細胞生物学レベルで細胞増殖のメカニズムの解明に取り組む瀬尾美鈴先生に、これまでの成果と、そこから見えてきたがん撲滅のシナリオなど、応用研究の一端についてお聞きしました。
生命システム学科 瀬尾美鈴教授
生命システム学科
瀬尾 美鈴教授


“白い薬を頭の中で考えて作る”、そんなキレイな仕事に憧れて進んだのは医学部薬学科。しかし、ある医学の授業で、病気の原因がわからないと有効な薬は作れないことに気付いたのがきっかけで、卒業研究は生理化学教室へ進んだ。さらにハーバード大学附属の小児病院へ留学した際、分子細胞生物学の世界的権威、フォークマン博士に師事したことで本格的に分子細胞生物学の道へ。「これからは細胞増殖因子をコントロールすることで新しい薬を作る時代が来る」、当時の恩師の一言は、時代の先端を走る今の研究を予言していたようだ。広島市立舟入高校OG。

がんはなぜ恐ろしい

人類最大の敵の一つであるがん。その特徴の一つは、自己増殖し転移しやすいということです。通常の細胞はある程度成長すると分裂と移動を止めて、自分の置かれた場所でそれぞれの役割をするようになります(分化)。細胞に組み込まれた増殖プログラムがバランスよく機能し、増えすぎも減りすぎもせずに、万一、自分の居場所を離れれば死んでしまうのが一般的です。ところががん細胞は、成長した体内にあっても増殖し、血管などを通して軽々と移動することができ、新たな場所で増殖(転移)するのです。
薬に対する強い耐性も特徴です。がんは正常細胞が本来持っている増殖プログラムに異常や変異を持っているため、薬などを使って殺しても、少しでも生き残っていると、抗がん剤が効きにくく死なないように増殖のプログラムを変えてくるのです。

すべてを自分の味方につける、その巧妙な仕組み

上皮など体の表面にある細胞や骨髄で作り出される血液中の細胞を除いて、成長した体の細胞はほとんど増殖しません。増殖を止めるブレーキの役割をするタンパク質が働くからです。しかしがんは、正常細胞では必要なときに必要な量だけ作られる細胞増殖因子を多量に生産分泌して、自らの細胞の増殖プログラムを呼び醒まし、ブレーキを利かなくしてしまうのです。
細胞増殖因子の中で代表的なのが血管内皮細胞増殖因子(VEGF)で、周囲の血管、とくに毛細血管を作る血管内皮細胞に働きかけます。すると血管内皮細胞は急激に増殖を始めます(血管新生)。そしてがんは新しい血管を呼び込み、十分な酸素と栄養をもらい一気に大きくなります。しかもがん細胞は、血管に入り込み、他の組織へと移動することができるのです(図(1))。

増殖の驚異のメカニズム。増殖因子と受容体

細胞増殖因子は細胞表面にある細胞増殖因子受容体(レセプター)に取り付きます。レセプターは細胞の内側で酵素につながっていて、増殖因子を受け取ると向かい合っているもう一本のレセプターの根元にある酵素を呼び寄せ、レセプター同士を合体(カップリング)させます。それぞれの酵素は、お互いのタンパク質に働きかけ、触媒反応でそれをリン酸化(チロシンリン酸化)します。
すると、細胞内にあった様々なタンパク質が、それを目印に集まり、増殖因子による情報(シグナル)が次々とリレーされます。そして細胞の運命を決定する役割を持つRas(ラス)というタンパク質が活性化する(分子スイッチ)と、増殖プログラムを呼び覚ます情報が細胞膜から細胞内へと伝えられます。最終的には核の中にまで伝えられて、様々な遺伝子を発現させ、細胞が増殖します(図(2))。

※しかも、四肢の形成過程にみられるように、上皮細胞と間充織細胞とはお互いが作った増殖因子をキャッチボール(情報交換)して相手とは違う因子を作って分化し、新たに違う細胞を作るきっかけを作っていることがわかってきています。

見えてきた新しい治療法

がんの特徴である異常な増殖と転移、薬剤耐性の仕組みが明らかになれば、低用量の化学療法剤と併用して、効率的でより副作用が少ない治療が望めます。関与するタンパク質や酵素の一つ一つについての解明など課題は山積ですが、システムの全体像が見えてきた今、がん撲滅へのシナリオにも確かな手応えを感じています。たとえば、細胞増殖因子からのシグナル(情報)伝達に関与する分子に直接働きかけて、伝達を止められれば、がん細胞の増殖を直接止めることが可能です。あるいはがん細胞の栄養源となる血管新生を阻めば、がんを兵糧攻めにし、なおかつ転移も防ぐことができます(抗血管新生療法)。正常な血管内皮細胞は薬剤耐性を獲得しないことから、同じ薬を長期間使えます。この方法で現在、製薬ベンチャーとの共同研究を始めています。
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