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人権教育啓発講演会「日系人戦時強制収容所:トランスナショナルな視点から」

講演する野崎 京子
(Prof. Kyoko Norma Nozaki )教授
平成21年度後期人権教育啓発講演会「日系人戦時強制収容所:トランスナショナルな視点から」(人権委員会主催)は、12月2日(水)、京都産業大学文化学部教授・野崎 京子(のざき きょうこ)氏、(Prof. Kyoko Norma Nozaki)を講師に迎えて図書館ホールで開催され、約60人が参加した。
講演会では、日系三世である自らの経験をもとに『強制収容とアイデンティティ・シフト−日系二世・三世の「日本」と「アメリカ」』(2007.世界思想社)を執筆した野崎教授が、日系人戦時強制収容所の現地訪問や取材を受けた現地テレビ局の映像※、研究成果等を含めてパワー・ポイントを使い、スクリーンに映写して説明した。
日米開戦の影響で当時、在米日系人は「敵性アメリカ人」と言われ、ウエストコーストを中心に急造された10カ所の強制収容所に、約12万人近くが集団収容された。
強制収容所で半年以上過ぎた頃、17歳以上の日系人にアメリカに対する忠誠を問う質問書が送られてきた。中でも、質問27「アメリカ兵として戦闘する意思があるか」質問28「日本への忠誠を拒否するか」が収容者を悩ませた。
当局は「Yes, Yes」と答えれば、親米派として徴兵し、「No, No」と返答したものは敵国日本に肩入れする「親日派」として制裁する考えであった。一般的には「No, No」と答えた人は「ノー・ノー・ボーイ」として熱狂的な日本よりだと思われてきたが、野崎教授の研究によると「このような質問はキャンプに入れる前にすべき」だとして、アメリカ政府への抗議を込めて「No, No」と答えたある意味では「最もアメリカ的」日系人が多数いたことが分かってきた。
この戦時中のアメリカ政府による人権蹂躙をただし、当局の謝罪と賠償を要求した運動が「リドレス運動」である。この背景には収容所を出てから長い歴史があるが、60年代の公民権運動はその達成に大いに貢献した。すなわち、この時代に大学でアフリカン・アメリカンを中心としたブラックパワーの力を感じ、その一環としてアジア系の「イエローパワー」運動を組織実行した日系三世たちは、リドレス運動を結実するのにその経験とアジア系アメリカ人としての自覚が大いに役立ったのである。
1988年、レーガン大統領によって署名された議案は、1990年ブッシュ(父)大統領の謝罪の手紙と補償金各自2万ドルの支払いによって、一応解決を見た。この運動の過程を見ると、そこには日本人から日系人になっていった移民の文化変容のプロセスが分かる。一時的移住者として海を渡った一世は日本人として、その両親に日米両方の文化を受け継ぐ事を期待された二世は日系人として、そして三世は日系人であると同時にアジア系アメリカ人としての自覚を持っていったのである。
戦後の日系アメリカ人の特徴はグローバルに世界各国に居住する「Nikkei」(ニッケイ)と「Hybridity」(ハイブリッド) であろう。人口別統計で見ると2000年には1/3以上が混血、日系人4世になるともっと多くなり、トランスナショナルな視点を持つ人々が増えている。今後の問題として二重国籍の問題がある。「変わっていく世界の中で、これらの問題にどう対峙していくかということが大切」と述べた。
「アメリカでは大統領令が出された2月19日を「追憶の日」として、日系人集団強制収容の史実を忘れないだけでなく、多くの人々への差別を無くす警鐘として、心に留めようとする日になっています。 NYのグラウンド・ゼロにあるレリーフに「We never forget」(決して忘れない)と刻まれているように、「リメンバー9.11」の延長線上におくことで、全ての人たちの人権を考える日であるのです」。「私たちが何をすべきかというと、語り継いでいく事。私も自ら体験したこの歴史的事実を、次世代への遺産(ヘリテージheritage)として, 語り継いでいこうと思っています」としめくくった。