総合生命科学部 動物生命医科学科 齋藤 敏之 教授

ストレスと脳の関係を明らかに医学・獣医学臨床への橋渡しを担う

環境変化によって受けるストレス。近年の脳の研究で、ストレスが脳の機能障害を引き起こすことがわかってきました。私どもの研究室では動物などを使った実験で、ストレスが脳に影響を及ぼすプロセスと傷ついた脳の修復メカニズムを明らかにし、医学・獣医学臨床へ橋渡しとなる研究を進めています。

自律神経系や内分泌系をコントロールする「古い脳」、大脳辺縁系

 人も動物も環境が変化すると、身体の調子がおかしくなったり、時には病気になることがあります。その原因の一つが、ストレスによる脳神経機能の大きな変化です。
 大脳辺縁系は、海馬や扁桃体、視床・視床下部、帯状回などから構成され、「古い脳」とも呼ばれています。この「古い脳」は「新しい脳」である大脳皮質の内側にあります。大脳辺縁系は、ホルモンの分泌調節や自律神経機能の調節などの役割を担っており、血圧や心拍数変化、食欲や性欲、睡眠や覚醒などに深く関わっています。それだけでなく、記憶や、喜怒哀楽といった感情にも関わっているたいへん重要な部分です。
 ストレス反応というのは、簡単に言うと、環境変化に応じて、体の中で自律神経系や内分泌の活動が高まる反応です。本来、ちょっとした環境変化であれば、ヒトも動物もそれに適応してやり過ごすことができるのですが、ストレス反応が長期に持続したり、または過剰になったりすると、ストレス反応を調節する大脳辺縁系の神経機能が障害されることがあります。その結果、行動や精神にも悪い影響が出てくることがあります。

ストレスを受け続けると脳が萎縮する!?

 私たちは動物の脳を対象に、ストレスが脳の活動に障害をもたらすプロセス、またそれが修復されるプロセスを明らかにしようと考えています。
 ストレス因子には、気温や湿度の変化、強い光、怪我や痛みのような物理的なものもあれば、すごく気が滅入るような状況に自分が置かれるといった、精神的なものもあります。
 周囲の環境が変化するなどにより、ヒトや動物の体の中では交感神経系の活動が活発になり、副腎からはグルココルチコイド、カテコールアミン等のホルモンが分泌されます。ストレス反応自体は環境変化に体が対応するための反応ですが、長期にあるいは反復してこの反応が続くと、脳の扁桃体が大きくなる一方で、前頭前野や海馬が小さくなることが確認されています。
 これらの知見は、長期のあるいは反復したストレス反応が、体の機能調節の重要な司令塔である脳に障害を与える可能性を示しています。実際、米国の研究では、ベトナム戦争や湾岸戦争に従軍した兵士の脳を調べたところ、大脳辺縁系の一部が萎縮していることが報告されています。このような所見は強いストレス刺激が脳に影響を与えている典型的な例と言えます。また副腎皮質ホルモンは、記憶を司る海馬の機能にも深く関与しており、ストレスによるホルモン分泌異常が、認知症や健忘症の引き金になるのではないかとも考えられています。現在、ストレスホルモンが脳の神経細胞に傷害を与える初期のメカニズムを探索する研究を進めています。これらの研究で得られた成果をストレスで傷害を受けた脳神経の再生・修復法の開発につなげたいと考えています。

「光トポグラフィー」技術を改良し脳の精細マップを作成

 これまで述べたストレスと脳の研究とは別に、ブタの脳を対象とした研究を進めています。ブタはストレス感受性がとても高いのですが、一方で比較的大きな脳をもっています。そこで新たな脳機能測定技術の開発にブタの脳を利用できるのではないかと考えています。
 今年1月には、自治医科大学・中央大学との共同研究により、ミニブタの大脳皮質の表面に光を当てることで、ダイレクトに脳の血流反応を計測し、高精度の2次元マップに表現する手法を開発し、発表しました。
 この「光トポグラフィー」と呼ばれる手法は、近赤外線を対象にあて、スペクトルを分析することで体の組織を傷つけることなく血流変化や組織の活動変化を見ることができる技術です。すでに実用化されている技術ですが、現行の技術では空間の解像度が約2cm単位と粗く、脳以外の組織からのノイズを検出しやすい問題がありました。しかし私たちが開発に成功した手法では、脳の表面に複数の光源と5mm感覚でセンサーを配置することにより、約3mmの精度で脳の活動を見ることができるようになりました。
 今後はミニブタによる基礎実験を進め、やがてヒトの臨床へと応用できればと期待しています。より詳細に脳の機能を場所ごとに特定できれば、脳の手術などに際して、できるかぎり脳機能に影響を与えない範囲に細かくメスを入れることが可能になります。また、てんかんの発作を引き起こす焦点の部位を細かく特定するなどにも応用ができると考えています。

光トポグラフィーの計測イメージ

A.では光が脳表面に届くためにはプローブ間隔を広くする必要があり、頭皮や頭蓋骨の影響も受けます。B.では頭皮や頭蓋骨の影響を受けないため、プローブ間隔を狭くすることができます。

 ダイレクト光トポグラフィーと電気的神経活動計測による機能分布。麻酔したミニブタの 鼻に電気刺激を加えると、大脳皮質での電気生理的反応と血流反応が隣接した部位で観察されました(左)。また、刺激部位を変えると最も大きな活動が記録される部位も変化しました(右)。

生命科学の研究者に求められるのは生命に対する畏敬の念

 私はもともと一獣医として研究者の道をスタートしました。それもあって一緒に研究する学生には、「他の動物の生命を犠牲にして研究することの重みを考えて欲しい」と伝えています。生命科学の分野は非常に奥が深く、化学や生物学や物理学などの知識はもちろん、生命倫理といった分野にまで考えるべき範囲が及びます。知識を貪欲に取り入れ、研究を通じて得た知見を、広く社会に還元していくという姿勢が欠かせません。脳のストレス反応や神経疾患との関連については世界中の研究者がさまざまなアプローチをしていますが、わからないところが数多く残されています。学生の誰かがふと抱いた疑問が、大きな広がりを持つ研究の出発点になるかもしれません。幅広い視野を持ち、生命に対する謙虚な姿勢を持って、ぜひこの分野に飛び込んでほしいと願っています。

総合生命科学部 動物生命医科学科 齋藤 敏之 教授

1982年 北海道大学 獣医学部 助手
1992年 農林水産省畜産試験場飼養技術部 主任研究官
2000年 農林水産省畜産試験場生理部 研究室長
2001年 (独)農業生物資源研究所 生体機能研究グループ チーム長
2006年 (独)農業生物資源研究所  動物科学研究領域 主任研究員
2010年 京都産業大学総合生命科学部 教授
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