総合生命科学部 生命システム学科 八杉 貞雄 教授

1本の単純な「管」がいかにして複雑な消化器官に分化するのか
発生のメカニズムを追究する

 1個の細胞が分裂を繰り返すだけで複雑な生命体に育つ発生の神秘。
ニワトリの消化器官を主対象に分化のメカニズムを研究している八杉研究室では、再生医療への応用が期待される注目の研究が進められています。

総合生命科学部 生命システム学科 八杉 貞雄 教授

単純な1本の「管」が短時間で胃や腸に分化発生の“ミステリー”を解明する

ニワトリ胚消化器官の分化。
単純な管から食道、胃、腸などが形成される。

 私の研究室のテーマは「消化器官の形成機構を探る」こと。ニワトリを使って、胚消化器官形成の分子機構と、胚消化器官形成における幹細胞の動態と機能を研究しています。

 私が体の中のさまざまな器官の中で消化器に着目したのは、体の中心にあるため解析が進んでおらず、発生で最も未知の領域が多い器官だったからです。

 消化器官は動物が生命を維持するのに必須の器官で、口から肛門まで1つの「管」になっています。発生の最初の段階では単純な1本の管にすぎません。最大の学問的ミステリーは、これほど単純な管からわずか2〜3日の間に食道、胃などさまざまな器官が分化すること。肝臓や膵臓もその一つです。

 研究の出発点は「上皮細胞の分化が間充織の影響によって制御されている」のを発見したこと。基本的な学問的成果として高校の生物の教科書にも取り上げられています。

 発生初期の「管」では、穴の回りに上皮があり、その回りは間充織と呼ぶ組織で満たされています。上皮は緻密(ちみつ)に細胞が詰まっていますが、管充織はまばらな組織。上皮の一部が消化酵素を出す「腺」に変化して消化酵素ペプシンを出すようになったり、各器官に分化していったりすることに、間充織が影響を与えているという発見でした。

 ただ、こうした分化がすべて間充織の性質だけで決まるのか、上皮の性質で決まるのか。もしかしたら「管」が成立する前から決まっているのかもしれないなど、まだまだ解明すべきテーマがたくさんあります。

ニワトリを使って分化を誘導する因子を探索 胃の腺を作らせるBMP2など世界初の発見も

前胃と砂嚢の上皮の発生運命は
間充織によって決定される。
高等学校の教科書に掲載された図。

 実際の研究はほ乳類と近縁であるニワトリを使って進めています。ニワトリの胃は、前胃と砂嚢に分かれており、消化酵素のペプシンを分泌するのは前胃です。前胃と砂嚢の上皮と間充織をさまざまなに組み合わせで培養すると、上皮は間充織の性質に従って異なるものに分化します。間充織は上皮に対して何かある因子を提供し、それによって上皮細胞の分化の方向が決まると考えられます。

 そこでそのような因子を探索した結果、骨形成タンパク質(BMP)や繊維芽細胞成長因子(FGF)などの因子が重要であることを見いだしました。

 発生が進むと間充織は結合組織と平滑筋に分化します。平滑筋は必ず消化管の一番外側に形成されます。私はその仕組みも研究対象として、まず平滑筋を作るのに重要な遺伝子SMAPを世界で初めて同定し、それを用いて上皮細胞の分化に間充織が影響する研究に取り組み、その結果、平滑筋は上皮から放出される物質(Shh)によって上皮の近くでは分化できないことを明らかにしました。

 このように、消化器官の発生では、正しく機能する消化器官を作るのに、上皮と間充織との「相互作用」が不可欠であることが分かりました。

 最終的に正常な消化器官が形成されるには、多くの遺伝子が発生の正しい段階で働くことが必要です。それを次々と見つけて重要性を調べていくのが研究の中心で、その結果発見した因子が骨形成タンパク質(BMP)であり、繊維芽細胞成長因子(FGF)でした。とくにBMP2が胃腺形成に決定的な働きをすることを、世界で初めて発見しました。

 さらに、ある遺伝子Aが働くことによってBの遺伝子が働き、Bの遺伝子の働きによってCの遺伝子が働く…そうした遺伝子のネットワーク(カスケード)を調べ、できるだけ上流の遺伝子を特定することにも力を入れています。

 例えば、胃と腸の境目は早めに分化しますが、前の部分をそうたらしめている遺伝子はSox2、後ろの部分をそうたらしめているのはCdxAである可能性を世界で初めて指摘したのも、そうした研究の成果です。

間充織や幹細胞による再生医療への応用働いている遺伝子の特定にも独自技術

総合生命科学部 生命システム学科 八杉 貞雄 教授

 私の研究が将来的に貢献できる分野は再生医療の現場です。手術で胃を切り食道とつなぐと食道の一部が胃のようになりますが、腺まではできず、胃としての機能は不十分です。そこで、もともとその人が持っていた胃の間充織を上皮の下に入れると、上皮に腺ができて消化酵素を分泌する胃として働くようにできるかもしれません。また、食道が胃液で障害を受けたときの復活にも応用できるかもしれません。

 また、幹細胞の研究も進めており、これも再生医療に応用できます。幹細胞とは、それ自身特別な働きはせず、時々分裂するものの分化はしないが、ある頻度で「何か」に分化できる細胞のことです。胃や食道の幹細胞をたくさん集めておき、胃がんの摘出など胃に問題が起きた際の再生治療に使う方法が考えられます。もともと自分の胃なので、他人の臓器を使う移植のように拒否反応の心配がありません。

 幹細胞を使った再生医療の研究は、皮膚を筆頭に体中の臓器に関して進められていますが、消化器に関してはほとんどないのが実情です。実現すれば極めて需要の多い分野だけに、私もこの研究に力を入れたいと考えています。

私たちが明らかにした、
前胃の腺が形成されるときに働く遺伝子の相互関係。

 私の研究室ではニワトリを使った実験をしています。そこで得た知見がマウスでも有効か、そんな共同実験が可能な企業があればコラボレートしたいと思っています。また、細胞単位ではなく器官を丸ごと培養する「器官培養法」の技術があり、この手法を生かせる企業の研究開発のお手伝いも可能です。

 そのほか、私の研究室の得意分野は「働いている遺伝子」を検出する手法。研究室の石井泰雄助教が10年以上前に完成度を高めたテクニックで、働いている遺伝子が出すメッセンジャーRNAを確実にキャッチします。専用の機械を使わず手作業による手法ですが、現在でもこれを超える精度の検出法はなく、たくさんの研究機関で活用されています。このテクニックが生かせる分野でも共同研究が可能です。

 私の研究室の伝統は、まずは胃や腸ができてくる「正常発生」を徹底的に観察・理解することから始める点。顕微鏡で見るとか、遺伝子発現を徹底的に調べるとか、さまざまなレベルで理解し、その中からおのずから出てきた面白いと思うこと、知りたいと思うことを深めていくのが基本的な研究姿勢となります。カギは「好奇心」。「常に好奇心を持つこと」「自分で問題を見つけ、どうしたら解決できるかを自分で考える」が研究室のモットーです。これは学生諸君が社会に出てからもきわめて有用な資質だと思っています。

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