総合生命科学部 生命システム学科 吉田 賢右 教授

生物のエネルギー通貨・ATP、その細胞内製造工場の制御機構の解明は
「生命の仕組みの謎」に迫る重要な取り組み

地球のすべての生物がエネルギー通貨として使っているATP。
長年の研究によってその製造工程はわかってきた。
次なる課題は、その制御機構の解明である。

 総合生命科学部 生命システム学科 吉田 賢右 教授

 細菌から人間まで地球上のすべての生物のすべての細胞が、エネルギー通貨として使っているのがATP(アデノシン三リン酸)です。細胞内でその合成をしているATP合成酵素の機構解明は、「生命の仕組みの謎」に迫る重要分野のひとつで、これまでノーベル化学賞の受賞者を輩出してきました。私は30年以上にわたり研究を続け、この酵素の驚くべき正体を明らかにしてきました。昨年春、京都産業大学に赴任した後も研究を続けています。今すぐに何かの役に立つという研究ではありません。しかし、この理解がいずれ人類の福祉に役立つだろうと思います。

ATP合成酵素は世界最小のモーターだったのです。
初めて実写に成功、世界のバイオ研究者を驚かせました。

 ATPは分子量がたった500ほどの分子ですが、運動や生体分子の生合成、神経作用など生物のほとんどの活動でエネルギー源として使われています。ATP合成酵素は人間などの真核生物では、細胞内のエネルギー工場である小器官・ミトコンドリアの内膜に埋め込まれています。

 ATP合成酵素は、ミトコンドリアの外側にたまった水素イオンが内側に流れ込む際に生じるエネルギーを使って、ADP(アデノシン二リン酸)とリン酸からATPを合成します。水力発電所がダムから落下する水の力で発電するようなものです。ミトコンドリアの外側に水素イオンをくみ出して落差を作っているのは呼吸鎖で、食べたものを酸素で燃やしてそのエネルギーでくみ出しています。

 では、ATP合成酵素はどのような構造をしていて、どんな動きをしているのでしょうか。ATP合成酵素は膜に埋め込まれている部分(Fo)と内側に突き出ている部分(F1)からできています。F1を上の方から見るとちょうど、マツダのロータリーエンジンのような構造をしています。Fo部分を水素イオンが通るとまん中のシャフトが回転して、そのエネルギーがF1に伝わってATPを合成することが分かりました。世界最小のモーターで、水素イオンが10個通過するごとに1回転し、3分子のATPが合成されます。

 1997年、私たちは蛍光顕微鏡を使って、実際に回転するところを見て撮影するのに成功し、世界的にも大きな話題となりました。この発見によって、以前から回転を予言していたポール・ボイヤー(米国)は、ノーベル化学賞を受賞しました。このモーターは毎秒300〜500回というスピードで回転し、エネルギーの変換効率は100%近くになります。たいへんな高性能モーターというわけです。

ATP合成酵素はモーターなので、ブレーキがあるはず。
制御機構の解明が現在の主要な研究テーマです。

 では、ATP合成酵素は絶えず回転しているのでしょうか。たとえば人が食べるものがなくて飢えると、「呼吸」によって燃やすものが少なくなります。すると水素イオンの内外の落差がなくなってきます。するとATP合成酵素は逆反応、つまりATPの分解を始めてしまいます。それでは困るので、ATP合成酵素の回転を停止するしくみが必ずあるはずです。

 そこで3年前から科学技術振興機構(JST)の国際協同研究「ATP合成制御プロジェクト」(東京都江東区)を立ちあげて研究をしています。最近、ATP合成酵素はブレーキ役の部品をその内部に備えていることがわかってきました。この部品は通常は折りたたまれていますが、ATPの分解が進んで少なくなると伸びて、酵素の回転子と固定子のすきまに入りこんでブレーキをかけます。これが試験管内テストでわかったので、生きた細胞内でもその通りかどうかを、現在、調べています。

 ブレーキはまだ他にもあります。IF1というタンパク質で、ミトコンドリアの中にあります。ATPが少なくなるとATP合成酵素に結合し、モーターの回転を停止させるらしいのです。このタンパク質がないと、寝ている間にATPをむだに分解してしまうかもしれません。今、このタンパク質を作れないマウスを遺伝子操作で作り、調べ始めています。疲れやすいなどの症状が出てくるかもしれません。

タンパク質の鎖が何本も絡まって、
凝集してしまった不良品タンパク質をほどいてくれるタンパク質があるんです。

 もうひとつの研究テーマは、分子シャペロンという種類のタンパク質です。タンパク質は、遺伝子DNAをもとに生成されたひも状のタンパク質が折りたたまれて立体構造を形成して、初めて機能を発揮します。もし、正常に折りたたまれずひもが、からまって凝集してしまうと病気の原因になったりします。狂牛病、アルツハイマー病などのプリオン病、ハンチントン病、側策硬化症などの中枢神経の疾患などがそれです。分子シャペロンは凝集を防ぐことは知られていましたが、いったん凝集したらもう元へはもどせないと思われていました。しかし私たちは凝集タンパク質をほどく分子シャペロンClpBをバクテリアから発見しました。

 では、ClpBはどんなふうにして、凝集をほどくと思いますか? このタンパク質はリング状の部分を持っていて、凝集の表面からタンパク質を1本ずつ糸通しのようにまん中の穴に引きずり出すようです。人間も同様のタンパク質を持っているはずです。もし、これが見つかれば、病気の原因解明に役立つでしょう。

 ATP合成酵素の研究を始めて30数年、分子シャペロンは15年くらいになります。ものごとをよく理解したい、その衝動で研究してきました。今すぐに役に立つことはないが、いずれ役に立つと思います。19世紀、古典電磁気学を確立したJ・C・マックスウェルは「何の役にたつか」という大蔵大臣に答えて『1世紀たてば、政府は電気に対し税金を取れるようになるでしょう』と言いました。そして、その通りになった。科学とはそういったものだと思います。

  • ATP合成

    ■生物は呼吸や光合成でATPを合成し、細胞のさまざまな活動のエネルギー源として使う。生物が行う化学反応で一番多いのがATP合成で、ヒトは1日に体重と同じくらいのATPを合成している。そのほとんどを合成しているのがATP合成酵素である。

  • 水素イオンのエネルギーを利用して、ATP合成酵素がATPを作る。

    ■生き物は、呼吸や光のエネルギーで膜の内外に水素イオンの勾配を作る。この勾配を流れ落ちる水素イオンのエネルギーを利用して、ATP合成酵素がATPを作る。電気の回路と似ているが、細胞の中には電線に当たるものがないので、電子の代わりに、水の中を自由に伝導できる水素イオン(プロトン)を使うのである。

  • ATP合成酵素の構造とブレーキ。

    ■ATP合成酵素の構造とブレーキ。
    青色系統で示したのが固定子のタンパク質部品であり、緋色系統の回転子となるタンパク質部品がぐるぐると回転する。ふだんは順方向(上から見て時計回り)に回転してATPを合成しているが、栄養不足の時には逆回転してATPを無駄に分解する。これを防ぐために、ブレーキ役のタンパク質部品(ε)が伸び上がって逆回転を止める。

  • 上から見たATP合成酵素(F1)の構造。

    ■上から見たATP合成酵素(F1)の構造。
    真ん中のシャフト(青)が、6角形の固定子リングの中央で回転する。

ATP合成酵素は真ん中の回転子が120度きざみで回転する。

■ATP合成酵素は真ん中の回転子が120度きざみで回転する。
マツダのロータリーエンジンも120度きざみで回転する。どちらも3つの反応チャンバーがあって、位相を120度をずらして順次同じことを行う。

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