オーストラリア・タスマニア大学

文化学部国際文化学科 立石 雄一さん

留学種別:春季短期語学実習
留学先:オーストラリア・タスマニア大学
留学時の学年:1年次
留学期間:2005年2月〜3月
出身高校:大阪市立南高校

オーストラリア・タスマニア短期語学研修体験記 2006年2月19日〜3月18日

留学のきっかけ

 皆さん、初めまして。こんにちは。文化学部4回生の立石雄一です。今回は、私が1回生の時にオーストラリアのタスマニア島に滞在していた時の体験記を書かせて頂きます。ここでの体験、特に「失敗を恐れない」「チャレンジする」と言った経験が私の夢の実現に大きく役立つことになりました。そういう面で、僅か1ヶ月の滞在でしたが非常に濃密な1ヶ月でした。  私が今回のタスマニアの短期語学実習に参加したきっかけは、一番の理由としては、自分の英語力が現状でどのぐらいなのかを確かめに行ったと言うのが正直な所です。また、高校時代に1週間オーストラリアのメルボルンに滞在し、「もう一度、今度はもう少し長く滞在したい」と言う思いがあり、「オーストラリアでも格段に治安の良いタスマニアに行ける機会は、このチャンスを逃せばもうないだろう」と思ったので、トライすることにしました。当時の世界情勢はまだ安定しているとは言えなかったので、少しでも治安の良い所に行こうと言う観点でオーストラリア・タスマニアのプランに決定しました。

ホストファミリーとの対面

 今回のプランでは直前までホストファミリーが決まらず(ホストファミリーを知ったのはタスマニア大学に着いてから)、日本を旅立つ前にホストファミリーと連絡を取ることが出来ませんでした。一緒にオーストラリアに向かった他の21人とは違い、一人不安を抱えたままの出国になりました。関西国際空港から、ケアンズ、シドニーを経由してようやくタスマニアのホバート国際空港に到着。さらにバスでタスマニア大学に移動し、大学でようやくホストファミリーと対面。とは言っても、大学で実際に会ったのはホスト・ファザーだけで、ホスト・マザーはメルボルンで暮らしている娘さんの所に行っていて不在でしたので、二人一緒に対面したのは二日目の夕食の時間でした。家族は全員で5人でしたが、3人の子ども達はすでに独立していて、数年前から色々な国から来る留学生のホストファミリーを続けている家族でした。実際に、私がこの家に着いた時には1ヶ月前から韓国からも留学生が来ていました。過去に何人もの日本人の留学生も受け入れをしていたこともあってか、箸遣いは完璧でしたし、日本語もある程度は知っていたので驚きました。(最初に覚えた日本語が「ばか」らしいですが・・・)とても親日家の家族で打ち解けるまでに時間は掛かりませんでした。留学生が多く来ると言うことから、この家には「留学生専用ルール」がありました。例を挙げてみると、

・自分と同じ国出身の留学生が二人以上いる時、二人しかいない時でも絶対に母国語で会話してはいけない。
・食事を食べ始める時は、全員揃って(日本語で)「いただきます」を言う。
・歓迎の儀式で何故か牛のコスチュームを着なくてはいけない(苦笑)(写真参照)
・滞在期間中に、自分の国の料理を一人で作ってみんなに振舞う。

 などと言ったルールがありました。料理では、肉じゃがと味噌汁を振舞いました。1年に数回料理はするので、苦にはなりませんでしたが、食材の確保がなかなかうまく行かずに苦労しました。肉じゃがに適したバラ肉が無くて、ステーキ用の肉を細かく切って代替し、味付けは砂糖と醤油と日本から持って来ていた友達に借りたダシの素で調節して、なかなか完成度の高い肉じゃがを作ることが出来ました。みんなが満足してくれて、非常に良い思い出です。何か料理を作れると非常に良いと思います。私が滞在する最後の週には、タイと日本の北九州大学から留学生が来られて、家の中がかなりInternationalになりました。

タスマニアでの生活

 平日の午前中はタスマニア大学に行き授業を受けて、昼からは自由行動と言うのが基本パターンでした。授業の内容は、主にタスマニアを中心とした歴史や地理的な内容が多かったです。時には、午前中の授業時間を利用して、実際に史跡を歩き回ったりもしました。州都であるホバートは、オーストラリアでも2番目に古い街であり、記念碑なども多くて、随所に歴史的な背景を垣間見ることが出来ました。午後のフリーの時間は、一緒に行った仲間達とタスマニア大学の広大なグランドを利用してサッカーをしたり、皆で街の中心部に出掛けてショッピングをしたりと、言葉の通り自由に過ごしていました。時には、全員でオプショナルツアーに参加して、こちらのツアーでも色々な所に出掛けました。中でも一番印象に残っているのが、Bonorong Wildlife Parkに行ったツアーです。平たく言えば動物園になるのですが、動物達はみんな野性です。観光地になっている位ですから、ある程度人に懐いてくる動物もいました。ここでは、カンガルーやワラビー達にエサを与えることが出来て、普段日本でなかなか体験することは出来ないので楽しむことが出来ました。また普段は夜行性の「タスマニアンデビル」も見ることが出来て、とても嬉しかったです。見た目は可愛らしいデビルですが、肉食で性格はかなり獰猛な動物です。今回のオプショナルツアーでもう一つ印象に残っているのが「Port Arthur」です。ここは昔、オーストラリア国内最大の流刑植民地であった場所で、後には監獄として使われていた場所の遺跡です。中はだいぶ荒廃してはいましたが、当時の様子を察することが出来て、非常に厳かな雰囲気になる場所でした。また、3連休にはホストファミリーと一緒にShack(ビーチハウス)へと出掛けました。Possum Bayと呼ばれる多くのビーチハウスがある地域に出掛けて、釣りやダイビングを楽しみました。ちょうどその日はタスマニアにしては珍しく30℃を超えるくらい暑い日でしたから、海のレジャーを楽しむには最適な日でした。他にも、タスマニアは有名なワインの産地であり、多くのブドウ畑とワイン工場があったので、みんなでワイン工場に出掛けてそこでワインを試飲しながらピクニックを楽しんだり、また別のビーチでピクニックを楽しんだりと、ホストファミリーにも多くの場所に連れて行ってもらいました。中でも、一番下の写真のビーチは私の一番のお気に入りです。

帰国してから

 今回のこの短期語学実習から帰国して、私はますます色々なことに積極的にチャレンジするようになりましたし、この短期語学実習がきっかけでTOEICのスコアも大きく伸びました。1ヶ月とは言え、基本的に英語漬けで過ごす訳ですから、私の中では大きな成果があったと感じております。せっかく海を越えて勉強しに行っている訳ですから、ホストファミリーとはもちろんのこと、色んな人達と色んなことをいっぱい話さないと本当にもったいないと感じました。特に、文化の違いを話題にすれば、発見があり楽しいと感じました。実際に家の中で、日本・オーストラリア・韓国・タイの話を一度にした時は、みんなが驚きあいの連続でした。タスマニア島では、ほとんど日本人の姿を目撃しなかったので、日本語を耳にする機会もそう多くはないでしょうし、留学をするには最適な環境と言えるかもしれません。
 英語は使わないと本当にすぐに忘れてしまいます。ですから、大学内にいる外国人の先生に自分をアピールして仲良くなっておき、見付けたら自分から積極的に喋り掛けに行っておしゃべりするというのは良いアイデアだと思います。これは、実際に私が帰ってきてから身に着けた「習慣」ですね。この「失敗することを恐れない」と言う積極的な姿勢と努力が実って、私は長年の夢であった「教師になる」と言う夢を実現させました。来年からは、大阪市の中学校で英語を教えることになります。今回、この体験談を読んで下さった皆さんも、色んなことに積極的に取り組んで、失敗を恐れずにチャレンジしてもらい、いつか大きな夢を掴んで下さい!!

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