中国・蘇州大学(交換)

外国語学部 中国語学科 西村 康寛さん

留学年度:2006年2月〜2007年1月
留学時の学年:2回生、3、4セメスタ
留学の種類:交換留学
留学先:中国・蘇州大学
留学アドバイザー:中川千枝子教授
出身校:兵庫県立明石高等学校
現在の語学スコア:中国語検定2級

 私は大学時代絶対に留学をしたいと思い、留学に力を入れている京都産業大学に入学しました。1回生の夏から留学説明会に参加し、1回生の秋に留学選考会に参加しました。私が2回生の時留学をしたいと思ったきっかけは、1回生の時、中国人の友人がたくさんでき、彼らと中国についていろいろ話たりしているうちに、自分の目で中国という国を見てみたいと思ったことと、シラバスで3回生の授業に大変興味がある授業が多かったからです。

 私は高校で中国語を3年間学んでいたため、きっと現地にいっても不自由することなく生活できるだろうと安易な気持ちで中国へ行ったのですが、実際そんな簡単なものではありませんでした。中国へ着いたとき、現地の人が話している中国語をまったく聞き取ることができませんでした。その日から、中国語の猛勉強が始まりました。私はまず蘇州大学にある中国語サークルに参加しました。中国語サークルとは中国人学生で、中国語の先生を目指している学生と、留学生が中国語で会話をするための場です。私はその中国語サークルで中国語のレベルを上げる以外に、色んな国の友人を作ることが出来ました。またそのサークルが主催する、留学生文化祭にも参加しました。留学生文化祭とは、留学生が主体となり各国の伝統芸能などを披露します。私は日本人の友人と、当時中国で流行していたパラパラを踊りました。当日500人くらいの来場者が来ると聞いていたのですが、実際3000人もの方が見に来てくれ、そこでもたくさんの友人を作ることが出来ました。

 中国に来てから、半年後私は船に乗って一時帰国することにしました。蘇州から上海のタクシーに乗ると、なんとその運転手は私が留学に来たとき空港から、蘇州へ連れて行ってくれた運転手でした。私は彼と初めて話をした時、彼の言っていることがまったく聞き取れず、ずっと愛想笑をし、心の中では早く蘇州につかないかな、と思っていました。しかし、今回は彼の話していることをすべて聞き取ることができ、愛想笑ではなく心の底から笑うことができとても嬉しかったです。中国に来て、中国語のレベルが上がっていることに気づいた瞬間でした。

 日本からの一時帰国から帰ってきて、私は友人と二人で中国の雲南省へ旅行しました。上海から電車で50時間、バスに乗り換え11時間かけてようやく目的地、麗江へ着きました。私たちが麗江へ旅行する目的は、現存する唯一の象形文字を使っている、ナシ族に会いに行くためでした。私たちは着いて、宿を探していると、同い年くらいのナシ族の女の子が一緒に宿探しを手伝ってくれました。そして私たちはナシ族の経営する民宿に泊まることになりました。麗江には漢民族や香港の方たちが、至る所でホテルなどを経営しているため、なかなかナシ族の経営している宿に泊まることはできないと友人から伺っていたため、とても嬉しかったです。宿の女将さんは私たちに、ナシ族のこと、ナシ族の伝統衣装のことなどたくさんのことを教えてくれました。中国では1人子政策という政策があり子供を1人しか生むことができません。しかし少数民族は例外で2人子供を生むことができます。ある日、女将さんの娘と息子、私たちでご飯を食べているときのことでした。旅行に来た漢民族のひとが女将さんにこの子達はみんなあなたの子供ですか?と聞いてきました。すると女将さんは迷うことなく、「この子達はみんな私たちの子です。うちは大家族なんですよ」と答え返しました。私たちはこの言葉を聞いたとき、とても嬉しく思わずお母さんと呼んでしまいました。麗江から帰るとき、お母さんはバス停まで見送りに来てくれました。お母さんは私たちに「あなた達はわたしの初めての日本人の子供です。ここはもうあなた達のふるさとだからいつでも帰ってきなさい」と泣きながら言ってくれました。お互いが見えなくなるくらいまで手を振り続けました。こんな貴重な経験をできたのも中国語をしゃべれたお陰だと改めて実感しました。

 私は、留学中に語学だけでなく、日本で経験できないたくさんのことを学びました。私は就職するにあたり、どうしても中国語を活かせる仕事を探しました。なかなか内定が決まらず方向を変えようと少し考えた時もありました。しかし、私にこんなにもいろいろな経験をさせてくれた、中国と離れたくない、どうしても中国に関係ある仕事に就くんだ、とモチベーションを上げ、中国に関係ある企業から内定を頂きました。

 これから留学をしようと思っている方、また悩んでいる方、絶対に留学をしたほうがいいです。語学が上がることはもちろん、視野を広げることができ、本当に国際的な感覚、考え方を身につけることができます。そのきっかけを作れるのは自分自身のちょっとした勇気です。

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