重松 直志(2010卒業)

 こんにちは。2010年度京都産業大学外国語学部ドイツ語学科卒の重松直志と申します。
 今回私の恩師であります島憲男教授の依頼のもと、ドイツでの体験談やドイツでの大学に入るまでの道のり、勉強法、生活などドイツでの様々な事が少しでもみなさまのお役に、欧州生活のヒントになればと思い書かせて頂く事に成りました。

 そもそも僕がドイツに行こうと思ったきっかけを紹介しようと思います。
 高校三年生のとき、サッカーの和歌山県選抜の一員としてデンマーク遠征を経験したのがひとつの大きな要因です。当時まだヨーロッパという存在を全く意識していなかったのですが、初めてヨーロッパを体験したあの頃の衝撃を今も覚えています。街の美しさや、日本とは違った時間の流れ方、幸せそうに生活をする人々など全てが僕の理想と一致しました。

 またドイツのブンデスリーガというサッカーリーグが高校のときから好きだったというのも理由のひとつです。なぜかと言われれば、特別な理由はありませんが、好きなものに理由などは無いと言ったところでしょうか。

 そういった事が重なり、大学はドイツ語が勉強出来て、サッカーの強い大学を目指そうと思いました。そこで当てはまったのが京都産業大学でした。

京都産業大学ではドイツ行きを悩んでいた僕の背中を強く押して下さった島教授との出会いがありました。大学に入ってからの僕はドイツ語の勉強を疎かにし、サッカーに没頭する日々が続きました。そんな大学三回生の秋頃、ドイツに行くという目標が漠然とする中、就職活動をするかどうかの選択を迫られる時期となりました。そんな中相談に乗って頂いたのが島教授でした。何も考えずに行った僕を親切にサポートして頂き、後にドイツ生活の目標、ドイツに行くと決めるきっかけとなったケルン体育大学を紹介して頂きました。お忙しい中お時間を作って下さり、親身に相談に乗って頂いた事今でも感謝しています。

 そして大学を卒業し、まず始めた事はドイツ生活のお金を用意することでした。大学時代目一杯サッカーをしてきたので、卒業してからのこの一年をドイツにいくための語学力の向上であったり、貯金の良い機会として利用しようと考えました。

そして2011年の2月、色々な方の協力もあり晴れてドイツに旅経つことが出来ました。その当時の目標は出来る限りケルン体育大学で勉強すること、ドイツでサッカーの勉強、プレーをすることでした。

 ドイツ到着の初日からハプニングがありました。日本の空港で渡した荷物がドイツまで届いていないというハプニング。その時の空港は深夜で人影も少なく、どうする事も出来ませんでした。そんな立ち止まっていた僕に声をかけてくださったのは、同じく日本からドイツに旅行のため来ていて同じくロストバッゲージにあった日本人の女性の方でした。その方の助けのもと泊まる予定だったホテルの住所を記入し、後日なんとか荷物を受け取る事が出来ました。あの時のあの方!見ていないとは思いますがあのときはお世話になりました。本当に感謝しています。
 話は外れましたが、この時に感じたのは、海外では当たり前の事が当たり前に起こらないことは多々あるし、逆に日本では当たり前と感じる事がこっちでは些細な事でも幸せだと感じるな、ということでした。

 ドイツのデュッセルドルフにてホームステイ生活を始めた僕は、月曜日から金曜日まで語学学校という生活でした。毎日約5時間の授業を終え、夕方は個人でサッカーのトレーニングをするという日々でした。ケルン体育大学には語学コース(大学付属の語学学校)があり、その語学学校にはZDというドイツのB1という基準のテストを合格し、さらに約七割の点数をとって合格する必要があります。毎年4月と10月に入学のチャンスがあり、語学学校に入ると大学生と同じ権利(州内の公共の交通機関を半年間乗り放題のパス、学生寮への入居許可、各種学生対象の割引など)が得られます。半年間ドイツで生活していればおそらく合格するであろうテストだと思います。

 そして8月頃にはドイツのサッカーチームと契約を交わす事が出来、給料をもらいながらサッカーをするという最高の環境でサッカーをすることが出来るようになりました。

 そして2011年の10月から語学学校の授業がスタートしました。そこで気付いたのは、それまでやってきたことの積み重ねが如何に大事かという事でした。元々国語力が不足気味の僕はやはりドイツ語での文章読解など苦労する場面が多々ありました。それまで感覚でドイツ語をしていたこともあって基礎の積み重ねがいかに大事かということに気が付きました。

 しかしそれとは逆に、会話能力はもしかしたら優れているのではないかということにも気が付きました。ドイツ人だけのサッカーチームに入る事によって普段からドイツ人の会話を聞き、「あの様になりたいな。」と思い、発音や口の動きなどを真似することによって知らぬ間に発音能力が成長したのかなとも思います。そしてなにより最高のメンバーと知り合い、多くの会話をする機会に恵まれ、自分で言うのもなんですが、本当に大事にされたと思います。
 そういった出会いという財産を得た一方で、もちろんサッカーによってドイツ語を集中して勉強する時間は削られていきました。ただサッカーの無い生活は考えられなかったので、今でもこの時間を後悔したことはありません。

 ケルン体育大学に入学するにあたりもう一つ乗り越えなければいけない壁があります。それは体育実技試験です。これに関しては感覚的なものがあるので、何とも言えませんが、はっきり言って結構難関だと思います。ここでも語学学生であると体育大学内の施設が利用でき、本番と同じ施設でトレーニング出来るので、大きな長所と言えるかもしれません。
 体育テストについては毎回細かな変更がおこる可能性があるのでこちらのホームページで確認するのが良いかもしれません。ちなみにドイツ語で体育試験のことはSporteignungsprϋfungと言うので、そこからアクセスしてみて下さい。

 ドイツ語の勉強と体育テスト、そしてサッカーと毎日充実した日々を過ごす事が出来ましたが、その反面ドイツ語を勉強する時間が限られてしまったのも事実です。全て必要な事だったので、どれかを削るということは不可能でしたが、もっと計画的に行動すればもう少し速く目標が達成できたかもしれません。

語学学校での日々は本当に過酷でした。毎日の授業に加え、自分の能力以上の事を求められ、その上担任の先生は本当に厳しい方でした。今思えば優しさだったかなと思う事も出来ましたが…当時は本当に毎日が戦いでした。例えばドイツの新聞の記事を先生がコピーしてきてそれを要約、そして発表などその日の内に全て行ったり、何を書いているのか理解出来ない黒板の文字を必死に先生の口の動き、発音から読み取ったりと、全ての感覚を集中して授業を受けなければすぐに置いていかれてしまう毎日でした。そんな苦しい中でもやはり共に勉強した仲間に恵まれた僕は、休憩時間に愚痴を言い合ったり、お互いの国の話で盛り上がったりとなんとか毎日をみんなで乗り越えていきました。

 そういった日々が続く中、体育テストは二度目の挑戦で、語学テストは三度目の挑戦で合格しました。テストはDSHと言われる外国人が大学に入るために必要な資格です。体育テスト、DSH共に合格してから3年間有効でその間に行きたい大学をドイツ国内で選択する事が出来ます。正確にいうとDSHの中にも成績によって選択可能な大学が限られてきます。僕の場合は3セメスターも必要でしたが集中して勉強すれば間違いなく2セメスターで合格出来るテストだと思います。僕も最後は必死に図書館に通い勉強しましたが、他の国の、特に貧しい国から来ている学生などの必死さは目を見張るものがあります。もちろんアジア人であり、普段からアルファベットを使っていない僕たちにハンデはありますが、必ず勉強すれば合格するテストであることは間違いないと思います。

 ドイツに来て感じる事は、まず来て良かったなと率直に思います。もちろんお金も無ければ地位も名誉も今の僕には当然ありません。日本に帰ると少しはましな生活を送る事が出来るかもしれません。しかし今の僕はお金では買う事が出来ない経験や世界各国の友だち、そして世界にもう一つの自分の居場所見つける事が出来ました。この経験が将来何につながるかは今の僕には分かりません。しかし間違いなく自分にとってプラスな経験であると思います。はっきりと僕は今幸せだと言えます。

 大学時代の僕はサッカーにだけ集中し、夜は遊び明かしていたどうしようもない学生でした。そんな僕を根気強く指導して頂いた島教授に本当に感謝しています。あの頃と比べると少しは成長したかな…と思います。

 こういった機会を与えて頂いた島教授、日本で応援してくれる友だち、そしていつもポジティブに支えてくれる両親、家族に感謝しこれからもドイツと共に生きていこうと思います。

Ich wϋnsche euch einen schönen Tag und weiterhin viel Erfolg!

Mit freundlichen Grϋßen

Naoshi Shigematsu/重松 直志 >

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