外国語学部生 南太平洋、バヌアツでの国際ボランティアで活躍

 南太平洋の島嶼国 バヌアツ共和国、人口20万人弱の小さな国で、オーストラリアの国際ボランティア組織が主催した“小学校建設”の為のワークキャンプに、外国語学部生が参加し、活躍しました。 昨年は、ドイツ語学科の大島 龍さん、中井 孝一さん、英米語学科の吉住 建一郎さんと辻 真菜美さんの4名が参加し、今年は、英米語学科の加藤 和夏子さんと言語学科スペイン語専修の山本 藍さんの2名が、参加しました。
 彼ら彼女らは、電気や水道のない村にて、他の国のボランティアの人たちと村の人たちと共同で、校舎建設の基礎作りに汗を流しました。 ここに、昨年度のボランティア参加者からの報告と現地での写真を紹介します。

 昨年の夏休み、私たち玉木ゼミの4名は南太平洋に浮かぶ「バヌアツ共和国」に降り立った。今まで耳にしたこともなく、どのような国かもイメージできなかったこの国に、小学校建設のワークキャンプに参加するために訪れたのだ。
 9月2日から16日までの2週間、世界35カ国に支部を持つ国際平和運動団体・SCI(サービス・シビル・インターナショナル)が主催したこのワークキャンプは、私たち4人を含む6人の日本人と、オーストラリア人・ドイツ人・スイス人の計12人が参加した。参加者は、私たち学生から社会人・年輩の方まで、幅広い年齢層が集まった。
 小学校建設が行われたのは、バヌアツ共和国の首都・ポートビラがあるエファテ島北部のエパオ村で、約50世帯が暮らす集落である。発展途上国であるバヌアツ共和国は、首都から離れると未だ自給自足の生活を基本としている。そのため、今回訪れたエパオ村も電気もガスもなく、シャワーも水だけという今まで経験したことのない生活をすることになった。



 ポートビラを出発して、参加者と荷物を載せたトラックの荷台に揺られること約1時間30分、ようやく村へと到着した。荷物を下ろすと、早速村の歓迎式が行われた。歌を歌いながらの歓迎の行進と、村のチーフ(首長)の挨拶、私たちの自己紹介と続き、お互いの親睦を深めた。
 今回のワークキャンプでは、校舎の基礎となる鉄筋を入れる段階からスタートし、主にコンクリートを作るために海岸から珊瑚や砂を集たり、石と砂を選別する作業を行った。本来ならば、私たちが訪れた段階で既に校舎は完成しており、塗装作業をするはずだったのだが、資材の供給が大幅に遅れていたことと、村側のスローペースでの作業も影響し、建設当初の段階から携わることになったのである。
 到着してまず初めに行った作業は、コンクリートを作るために海岸から珊瑚と砂を集めてくることだった。海岸まではトラックの荷台に私たちボランティアと村の人々が一緒に乗って向かった。肉体労働に慣れていない私たちは、麻の袋に次々とスコップで入れられる珊瑚の重さですぐにヘトヘトになってしまった。しかしその姿を見て、気さくな彼らは笑顔で『One more, One more』と言いながら、私たちの袋に珊瑚を入れて喜んでいた。そんな彼らのおかげもあり、すぐに村の人々と仲良くなることができた。
 コンクリートを作る作業は、舟形に加工された丸太の中で、水と砂とセメントを手作業で混ぜるため、非常に大変な作業だった。混ぜる時には相当な力が必要で、すぐに私たちは交代を繰り返していたが、村の男たちは何事もないかのように簡単に混ぜてみせた。出来上がったコンクリートは、バケツリレーをしながら校舎の土台となる部分の溝に流し込み、徐々に埋まっていった。
 作業が終わった後は、村の子ども達と一緒にサッカーやバレーボールなどをした。村のすぐそばにはエメラルドグリーンのビーチもあり、本当に毎日いろいろなことをして遊ぶことができた。子ども達はとても純粋で人懐っこい。2〜3日経つと、子どもたちはもう私たちの名前を覚えてくれていた。私たちは覚えたてのビシュラマ語を使っていたが、それでもなんとか意志は通じていたようで、目をキラキラさせながらはしゃぐ姿がとても印象に残った。
 食事は私たち参加者で毎回当番を決め、自炊をするというスタイル。キャンプ開始前にポートビラで購入した野菜やパスタ、米などを使って、それぞれがメニューを考えて料理を作る。朝食は村のベーカリーでパンを購入するのだが、1斤が約100円ととても安く、その上おいしい。他にも、村の人々からラップラップ(マニョックという芋やバナナなどをすり潰し、ココナッツミルクをかけて葉に包み、蒸し焼きにしたもの)と呼ばれるバヌアツの代表的な料理や、新鮮なフルーツなどの差し入れもいただいた。冷蔵庫がないこともあり、常温で保存できない肉や魚などはほとんど食べることができなかったが、これらのおかげで、あまり食に関して苦労することはなかった。
 エパオ村には電気もガスもないため、夜になると屋内ではロウソクや懐中電灯で照らさなければ何もできない程暗くなる。しかし一歩外に出てみると、周囲に明かりがないため、月の光が驚くほど辺りを明るく照らしていた。また、星の輝きも想像以上に明るく、天の川はもちろん、オレンジ色の光を放つ人工衛星が動いている姿まではっきりと見ることができた。普段ほとんど見ることができないこの光景に、私たちは感動で言葉にならなかった。
 キャンプも1週間が経ち、日本と違う環境に慣れてきたころに、私たちに2つの変化が現れた。1つ目は、歩くスピードである。普段時間に追われて生活している日本人は、どうしてもせかせかと早く歩いてしまいがちである。しかし、バヌアツではそれぞれのペースに合わせた生活をしているため、「急ぐ」という概念はほとんどない。村人と一緒に作業をするのに慣れたこともあり、ふと気付いた時には日本で歩くスピードとは比べものにならないくらいゆっくり歩くようになっていた。
 2つ目は英語である。キャンプの参加者は色々な国から参加しているため、キャンプ中の共通語は英語となった。毎晩夕食の後に全員でキャンプについてのミーティングを開くのだが、始めのうちは聞き取るのも必死で、会話についていくことすら難しかった。しかし、時間が経つにつれて自然に聞き取れるようになっていくことを実感した。何より驚いたのは、生活の中でメンバーと会話する時に「英語を考えてから話す」のではなく、「話しながら考える」ことができるようになったことだ。毎日英語を話さなければならない状況で、ミーティング時には一人ひとりの意見が求められる。そんな生活のおかげで「英語を自然に話せる」ようになったことは、シャイだと言われる私たち日本人にとって、自分たちからメンバーに積極的に話し掛けるための大きな自信につながった。
 今回のキャンプでは小学校建設の他にも、村人の持つ農園で野菜の収穫の手伝いをしたり、温泉に入ったり、休みの日に1泊2日で近くの離島を訪れたりと、充実した2週間を過ごすことができた。
 キャンプ終了の前日には、村から『Farewell Party』を開いていただき、豪華な食事やダンスをしながら村の人々と楽しい最後の夜を過ごした。そして最終日、村の人々が一列になって、私たち一人ひとりに握手と別れの挨拶をしてくれた。2週間という短い間ではあったが、お世話になった村の人々との別れは寂しく、特に仲良くなった子どもたちとの別れは辛かった。トラックが動き出した後、見えなくなるまで手を振ってくれた子どもたちの姿は、今でも忘れられない思い出である。

 このようにして、あっという間に2週間が過ぎてしまったが、結局この期間中に小学校を完成させることはできなかった。しかし、私たちにとって今回のワークキャンプは様々なことを学ぶ素晴らしい機会だったと思う。
 言語・文化の違いだけでなく、水や電気の大切さ、人々の温かさ、近隣住民との助け合いなど、日本ではついつい忘れがちになりそうなことが、ここバヌアツではしっかりと習慣として根付いている。他にも、GDP水準では世界の中でも最貧国に分類されているにも関わらず、自給自足で欲のない生活を送っている彼らの生活を見ていると、貧しいという意識は全く感じられなかった。それよりも彼らは1日1日をどのように楽しく過ごしていくか、ということを大切にしているように思えた。そんな彼らを見ていると、文明が発達している先進国に住む人が幸せだという概念は自ずと崩れ、その国に住む人々がどのような意識を持って暮らしているのかが重要なのではないか、と考えるようになった。同時に、日本は先進国の1つであるが、私たちがバヌアツから見習わなければならないことがたくさんあるように感じた。
 「世界で一番幸せな国・バヌアツ」。このキャンプを通じて、昨年この小さな国が世界の中で一番に選ばれた気がした理由がわかる。
(英米語学科 吉住 建一郎)

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