アイスランド留学記

海外留学特別奨学金報告書

アイスランド大学。後ろが私が住んでいた寮です。
氏名 山村 りり子
学部学科 外国語学部英語学科イングリッシュキャリア専攻
渡航先 アイスランド大学(アイスランド)
渡航期間 2022年8月〜2023年5月

留学までの流れ

2019年4月  入学 
2021年10月 交換留学合格
2022年春学期 休学 
2022年6月  本奨学金合格 
2022年8月 アイスランド渡航 
2023年5月 日本帰国 
2023年9月 卒業 

留学実現までの長い道のり

私が2022年秋にアイスランドに渡航できるまでの道のりは、思っていた以上に長く険しいものでした。私は、幼少期から実家で海外からのホームステイを受け入れていたことや、同じく英語を勉強していた姉からの影響で、海外への憧れがありました。特に中学時代から、北欧諸国に強く関心持っており、充実した社会保障制度、日本とは対照的なのんびりとした学校教育、幸福度の高さなどを学びたいと思っていました。そのため、その頃から大学在学中に留学をすると決めており、フィンランドやアイスランドといった北欧諸国と交流協定を結んでいる本学に入学しました。2019年に入学し、2020年の秋(2年次生の秋学期)から一年間留学をするために、IELTSの受験や履修計画、留学後の計画などを立て、物事が順調に進んでいました。

しかしながら、2020年のコロナウイルスの影響でその計画が狂ってしまいました。「留学募集が〇〇か月後に延期になった」というだけなら、また計画を立て直して再出発できたかもしれません。しかし、この状況がいつ収まるのか、いつ国境が再び開かれるのかが誰も予想できないという状況が一番もどかしく頭を悩ませられましたし、卒業が迫ってしまう焦りなど様々なネガティブな感情に振り回されていました。その期間中は、必死になっていつかは来るであろうチャンスのためにIELTSを再受験したり、交換留学以外の選択肢を考えたり、オンライン留学をしたりしていました。そして、2年後にようやく渡航の夢が叶いました。留学先にはIELTSの必要スコアが最も高かったアイスランド大学を希望し、合格することができました。留学選考でも特別奨学金の選考でも、面接会場ではとても緊張しましたが、その場の中で自分が一番留学への気持ちが強く、留学が叶うまでの2年間でやれることはすべてやり切ったという自信がありました。ずっと足踏みをしているだけのように感じた長い期間でしたが、すべてがうまくつながって結果を出すことができたのだと気が付き、嬉しかったです。

40時間かけてたどり着いた離島「アイスランド」

2022年8月、3回の乗り換え、40時間を超える長い空の旅を終えて、ようやくアイスランドの地に上陸しました。着陸の瞬間を窓から録画しながら、「何もない・・・。」と一気に孤独感に襲われたのを鮮明に覚えています。空港からの道中は、行けども行けども視界は山や苔や岩でいっぱいで、大量のコンビニや自転車、電車、歩行者をわきに走っていく日本のバスとは程遠いものでした。

しかしながら、長い時間を過ごす中で、冷たく澄み渡った空気やごつごつした山や岩をふわふわと覆う緑の苔など、日本では経験できないアイスランド独特の自然を目にし、何度も心が洗われた気持ちになりました。特に、何にも遮られず壮大に広がる真っ青な空は何度見ても飽きず、一番大好きな景色でした。
ダウンタウンへの道中で、学校の隣の湖です。綺麗な空やオーロラが見れます。

アイスランドでの暮らし・日常

アイスランドで魅了されたのは、壮大な自然だけではありません。アイスランド人の国民性や文化に触れることができたことは私の留学生活の収穫です。というのも、治安の良さ、男女平等社会、幸福度の高さ、英語力の高さが評価されているアイスランド文化の秘訣を学び、それを実際に経験することができたからです。

アイスランドの人口は35万人ほどと日本人口の0.2%しかおらず、そのほとんどが首都レイキャビクに密集して暮らしています。治安の良さは、そもそも人口が少ないことが大きく関係していると思いますが、カフェやレストランの接客などから人当たりの良い温厚な性格な方が多いようにも感じました。人見知りで控えめなで寛容な国民性を感じながらも、自己の主張もしっかりと持っている印象でした。
アイスランドで暮らしていると、誰もが流暢な英語を話します。
英語が堪能な理由は、

①特有の天候や地形でインターネット(ゲームやアニメ、映画)での娯楽が非常に盛んなこと
②アイスランド語の翻訳技術が発展しておらず、コンテンツを英語で視聴すること


生まれながらにして英語とアイスランド語に触れながら育ったことがとても大きい要因であると感じました。また、アイスランドは意外にも多言語多文化国家で、アイスランド語や英語のほかに、ポーランド語・デンマーク語・フィリピン語などを話す人々が住んでいるため、他文化他民族に対しても関心を持っておりとても寛容でした。アニメや漫画などの日本文化も人気で、日本語や日本文化をよく知っている人がたくさんいました。私自身、そのような日本文化に触れることが少ないため、自分以上に日本文化を知っている人に多く出会いました。

滞在中に一番感じたカルチャーショックは、アイスランド人は性的なものに対して全く抵抗がないということです。アイスランド人の娯楽であるプールや温泉では、水着を着用して男女ともにぎゅうぎゅうになっておしゃべりを楽しみます。プールやジムの更衣室ではためらいなく裸でうろうろ歩き回り、学校内のサウナには男女共同の更衣室しかありませんでした。また、授業中にもかなりの高頻度で性的描写に遭遇しました。その中では、異性愛と同様に同性愛が描かれていました。一つ一つ単語の意味を調べながら読み進めていきながら理解をしていくリアリティーのある描写はとても新鮮でした。日本ではあんなにリアルに描かれるものはなく、ましてやそれを授業で扱ったものなら、バッシングを受けてニュースにでもなりそうです。
アイスランドで暮らしていく中で、日本での物事の正解不正解が違う文化や環境で生活することがとても幸せで、自由で、心地良ささえ感じました。

ハットルグリムス教会の上から見えるレイキャビクの街並み

完全個人裁量の授業と恐怖の時間

授業の約9割は言語習得や言語学について学び、週に6コマほど授業を受講していました。アイスランドでの授業は一言でいうと、とてもゆるかったです。まず1コマは40分+10分休憩+40分の計90分で構成されており、10分休憩に入ると教授や学生はコーヒーや軽食を求めて教室から出ていきます。基本的には時間いっぱい授業が行われますが、休憩を挟まない代わりに早めに授業を切り上げたり、人数が少ない場合も早めに終わらせたりすることがしばしばありました。日本では、ペーパーの提出などで出席確認をしますが、アイスランドでは出席確認はどの授業でも行われませんでした。もし授業に行けなくても、授業のレコーディング課題はインターネットで確認できます。そのため、授業を休むのも課題の提出も受講の仕方もすべて学生の自由でした。また、日本の大学より課題が少なく、休暇が多いため、アイスランド人ののんびりで自由な文化を感じていました。

しかしながら、授業中のディスカッションは一番ストレスを感じる瞬間でした。というのも、現地には留学生を含め、英語がペラペラな人しかいなかったからです。聞きなれていないアクセントの英語を聞き取って、理解し、即座に反応して自分の意見を言うということはとてもストレスを感じてしまう恐怖の時間でした。それでも目の前の会話はどんどんと進んでいくので、エネルギーを大量に消費していました。ただの世間話ではなく、専門的なことの話し合いをしながら学ぶということは、日本にいる時よりも何倍もハードルが高く、無謀だと思うこと、自信を失うことばかりでした。日本では英語ができる方だとしても、アイスランドでの自分の英語力は底辺だったからです。「あれだけ留学を夢みていたのに・・・」と自分に失望する気持ちがずっとありました。帰国した今、そのようなことが留学中にすべて綺麗に克服されたと美談にすることは決してできません。母語と同じように、難なくディスカッションをしたり、深い会話ができるようにしたりすることは、これから先もずっと、自分の英語学習の課題であると考えています。しかしながら、無謀さや劣等感を感じながらも、それらの物事から逃げることなく真正面から向き合うことができ、乗り越えられたことを自信にしたいと思います。

「英語が話せる」ということ

「英語が話せる」とは何なのでしょうか。IELTSの結果、語彙力、発音など様々なポイントで、「この人の英語はうまい」と感じると思います。私は留学以前から、自分の好きなタイプの英語を話す人を見つけてその英語をずっと聞き流し、その人が使う語彙の真似をしたりしていました。その結果、微々たるものではあると思いますが、自分の語彙力も広げることができたように感じていました。留学中も同様に、ネイティブの英語話者や現地で出会う人々に直接刺激を受け、語彙力をさらに伸ばしたいと考えていました。しかし、実際は周囲の語学力の高さに物怖じしてしまい、気が付けば自分の英語がコンプレックスにさえなってしまいました。そしてそう思えばそう思うほど、アウトプットが少なくなり、自分が今までどのように英語を話していたのか分からなくなりゲシュタルト崩壊のような現象が起きていました。

語彙力やIELTSなどの点数は自分と同じくらいの人でも、自分の語彙力を生かすことに長けていて、コミュニケーション能力が高かったからです。英語力の試験では測れない英語力を持っていました。国が違えば、違う特徴の英語を話します。それは、発音やイントネーション、語彙だけではなく、文法なども同じです。自分が中高生の時に習った英語に反する「間違った英語」を使っている人はたくさんいました。しかし、皆が英語に正解不正解を作らず、自分の英語に自信をもって話しており、私にはそれがとても眩しく映りました。そう思えば思うほど、劣等感を感じましたし、縮こまってしまいました。もちろん正確に英語を話せることに越したことはないですが、何か文法が間違っているからと言って、その人の英語は「上手ではない」という分類をされてはいけないように思います。留学生活を通して、結局のところ、英語がうまく話せるために大事なことは、正解不正解に関係なく自分の意思を使え、相手に自分の話に興味を持ってもらえることだという気付きを得ることができました。その気づきを自分の英語に反映させるのには時間がかかりそうですが、それを身に染みて感じられたことは、この先も長く続く英語学習において心強い考え方を身に着けることができたと思っています。

「好き」は強い

 義務教育から10年以上の英語学習のなかで、気が遠くなることは何度もありました。言語習得というものは、成長がすぐにすぐに目に見えるわけではなく、その上に終わりがなく放っておくとすぐに錆びてしまうものだからです。そして自分自身で適切な環境に放り込むことも勇気が必要なことです。それでも、娯楽として動画コンテンツを英語で視聴したり、お気に入りの英語話者を探したりすることなど、英語への熱が冷めなかったのは、英語が好きだからだと思います。コロナ禍で、留学するチャンスをうかがっているときにも、同じことを思いました。留学やこれまで述べてきた経験をすることができたのは、英語学習に対する熱意と留学に対するあきらめの悪さだと思います。「好きこそものの上手なれ」という言葉があるように、何かを好きであることのエネルギーはすごいなと思いました。英語以外のどんな好きなものでも、エネルギーの湧く方向に努力を重ねれば、その情熱で何かを偉大な成果や経験を手に入れることができるのではないかと思います。

帰国後

留学を終えて約9カ月ぶりに帰国し、おいしいごはんがあるということに一番ほっとしました。よく「留学はあっという間だった」という言葉を耳にしましたが、私はそのようには感じませんでした。言葉では語り切れない様々な出来事が頭に浮かんできます。帰国した今、留学前の気持ちを振り返って思うことは、私にとっての留学は一言で語れるものではなく、想像よりも何倍も大変で、何倍も自分の未熟さを痛感した、今後につながる大きな経験だったということです。

滞在そのものだけではなく、渡航前の準備から帰国するまでの様々な行政手続きや出費(資格受験費、現地の生活費、渡航費、保険費、寮のデポジットなど)は骨の折れるものでした。物価が高く日本から遠いアイスランドでは数十万単位の出費が何度もありました。しかしながら、外国留学支援金や当奨学金を受給させていただけたことによって、経済的負担をかなり軽減することができました。これらの奨学金なしでは、留学はかなわなかったかもしれません。そんな貴重な経験をさせていただけたことに感謝し、約一年間の留学中での経験や思い出たちを忘れずに過ごしていきたいと思います。
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