ドイツ ケルン大学(英語)

外国語学部 国際関係学科 大山 瑞貴さん

留学先 ドイツ ケルン大学(英語)
留学期間 2017年3月~2018年2月
留学アドバイザー 外国語学部 ストレフォード・パトリック・ウィリアム准教授
出身高校 京都府 京都府立鴨沂高等学校

留学のきっかけ

私は大学一年生まで、留学や海外旅行を一度も経験したことが無く、海外や異文化への興味はあまりありませんでした。ですが、大学1年の末に私の所属する外国語学部・国際関係学科の必修科目「海外フィールドリサーチ」でアメリカ・ポートランド州立大学に3週間留学したことで、海外・異文化への興味が湧き、留学について漠然と考え始めました。その後、大学生活を送っていく中で自分の元クラスメイトが留学に行くためIELTSを必死になって猛勉強している姿を見て感化され、IELTSの勉強を始めました。初めは、留学を意識して勉強していませんでしたが、勉強していくうちに「もしIELTSで留学に行けるほどのスコアを取れたら、留学しよう」という望みが生まれてきました。そうして初めて受けたIELTSで6.0のスコアを取ることが出来たので、留学先を探し始めました。

留学に向けて

高校時代、学校の先生に「大学の成績は生涯成績として一生残るので大学の授業は一生懸命頑張って取り組んだ方が良い」と言われたので、入学当初から必修のインテンシブ国際関係英語やその他授業に全力で取り組んでいました。また、授業以外でも参考書やTEDなどの動画サイトを使って自分なりに英語を勉強していました。大学一年の秋学期からは友人からの誘いで模擬国連(KSUMUN)という国際問題を英語でディスカッションするサークルに入り、そこにいる日本人や外国人留学生とともに英語のディスカッションをすることで、英語で物事を伝え、意見を発信する力をつけました。海外フィールドリサーチ後、IELTSの勉強を始め、ほぼ毎日3時間以上勉強していました。それに加えて、二年生の間、GJP科目の国際開発論Ⅰと国際開発学Ⅱを受講し、海外の授業で実際に行われているような英語のディスカッションやプレゼンテーションに取り組みました。それらの科目を担当している教授が後に、私の留学アドバイザーを担当してくれました。今思えば、それまでの勉強の積み重ねがあったからこそ留学を実現し、また海外留学特別奨学金も取得することが出来たのだと思います。
留学が決まってからは普段の英語の学習も続けていましたが、留学先がドイツなので現地の生活に対応するためドイツ語の勉強も独学で行い、またドイツの文化についても調べていました。

なぜドイツなのか

IELTSのスコアを取得した後、私は留学する国・大学を探し始めました。その時の私は英語を伸ばすことよりも英語を使って自分の専門分野である国際関係学、特に国際開発学をより深く学びたいと考えていたので、それを学ぶことが出来る大学を探しました。イギリス、アメリカ、オーストラリアなどの英語圏の国が初めに浮かびましたが、国際関係学の授業がない、授業があっても費用が高すぎる、政治的に不安定などの理由があり留学先選びに悩んでいました。そんな中、京都産業大学の新しい3つの協定校の中に、ケルン大学の英語留学プログラムがありました。ケルン大学の英語留学プログラム“Cologne Global Study Program(CGSP)”では様々な授業が英語で行われ、その中には自分の学びたい国際開発学の授業も含まれていました。CGSPは出来てまだ半年しか経っていないプログラムで、京都産業大学からCGSPへの留学生は初とのことで不安はいっぱいでした。ですがその不安よりも、国際関係学を学びたい、海外で生活してもっと異文化に触れてみたいという好奇心が勝っていたのでドイツ・ケルン大学への留学を決意しました。

ドイツ・ケルンでの生活

ドイツ第4の都市ケルン

私の留学したケルンという都市は、ベルリン、ハンブルク、ミュンヘンに次いでドイツで4番目に大きな都市です。ドイツで一番人口の多いノルトライン・ヴェストファーレン州に属し、ライン川に近いことから、古代ローマ時代より交通の要所、貿易の拠点として発展してきました。有名な建造物として、世界最大のゴシック様式建造物・ケルン大聖堂があります。また世界最古の香水であるオーデコロンが生まれた地でもあります。気温は夏と冬で差がありましたが、比較的過ごしやすかったです。ですが、夏になるとサマータイムで夜10時ぐらいまで日差しが出ており、冬は夕方4時になるとすぐ暗くなってしまうので、その日照時間のギャップに対応するのは辛かったです。ケルンは他のドイツの都市と比べ、オープンで国際色豊かな都市なので、移民や留学生がたくさんいました。
ケルン中央駅周辺
ケルン大聖堂

日常生活

留学中、私は大学の提供する学生寮で生活していました。私の暮らしていた学生寮はシェアハウス形式で入寮者それぞれに個室があり、キッチンやリビング、トイレやシャワーなどは共有していました。その学生寮で私はアルゼンチン人、中国人、イタリア人、コロンビア人、スペイン人の方々と共同生活しました。このような国際色豊かな寮で過ごすことが出来て本当に良かったと思います。ルームメイトとは基本的に英語で会話していたので、ドイツにいながら英語力を伸ばすことも出来ました。また、学生寮のある学生村では毎週木曜日にエフェリーノというパーティが開かれていたので、ストレス発散や友達作りをするために毎週積極的に参加していました。大学が始まり、州内の公共交通機関が無料で利用できる学生証を貰ってからは州内の他の町、ボンやデュッセルドルフ、アーヘンなどにも訪れました。ふと日本食が恋しくなった時は、すぐにヨーロッパ最大の日本人コミュニティがあるデュッセルドルフへ行き、ラーメンや定食などの日本食を食べていました。
ルームメイト達
デュッセルドルフで食べた日本食

大学では

私の留学したケルン大学はドイツで最大級の規模と学生数を誇る大学でした。また留学生も非常に多く、国際色豊かな大学でした。春学期が始まるまでは1か月間ドイツ語を基礎から学ぶ授業を取り、ドイツ語を学びました。その授業のおかげで、ドイツで暮らすために必要なドイツ語表現などを学ぶことが出来ました。一年を通して、私は様々な授業を受講しました。春学期では、CGSPで8つの授業(ドイツの歴史、EUと西バルカン諸国の課題、EUの経済発展、異文化問題、移民文学、言語学講義、ヨーロッパの言語学、国際開発学)を取り、哲学部からは英語を学ぶ授業を2つ取りました。また、ドイツ語の授業も1つ取っていたので合計で11個の授業を取っていました。秋学期では、CGSPで6つの授業(EUの社会保障政策、EUの行政組織、絵画や写真で学ぶヨーロッパ史、ヨーロッパの地域発展、健康保険制度の国際比較、異文化問題)、哲学部で英語を学ぶ授業を2つ、そしてドイツ語を学ぶ授業を3つ取り、計11個の授業を取りました。
それらの中で印象深い授業は “Introduction to European Development Policy, Discourse and Practice”という国際開発学を学ぶ授業と“European Regional Development”というヨーロッパの地域開発について学ぶ授業でした。国際開発学の授業では、毎週国際開発学に関するリーディング課題を読み、その課題に基づき授業内でディスカッションをするというものでした。授業後はその授業を振り返ってリフレクションペーパーを書かなければならず、課題が多くて大変でした。授業で学んだことは国際開発学の歴史や理論など、京都産業大学で取っていた国際開発論Ⅰや国際開発学Ⅱで学んだことと重なっている部分もありましたが、「EUやドイツが発展途上国でどのような政策を行っているのか」やマイクロファイナンスなど今まで学んだことがないようなことも学びました。また学期末には、授業内でボンにあるドイツ連邦経済開発協力省のオフィスと国連キャンパスに訪れ、実際に開発政策に携わる方々の講義を受け、国際開発学についてより理解を深めることが出来ました。
ヨーロッパの地域開発に関する授業では、「先進国の過疎化地域をどのように発展させるか」について学びました。今まで、発展途上国にばかり目を向けた国際開発学を学んできたため、このような先進国に関する開発学は非常に新鮮なものでした。学期の前半と後半では、ケルンの東側と西側の地域に実際に訪れ、それぞれの地域発展について学びました。
授業で意見を英語で伝えることが出来なかったり、ディスカッションについていけなかったりして落ち込むこともありましたが、これらの授業をやりきったおかげで語学力を伸ばすことも出来、なにより自信がついたと思います。
CGSPのクラスメイト達
ドイツ語授業のクラスメイト達
ケルン大学日本語学科

ドイツ語について

留学している国がドイツであるため、街で聞こえてくる言葉はほぼ全てドイツ語です。留学するまで、ドイツ語は第二言語の授業すら取ったことがなく、ほぼ独学だったので最初の方は苦労しました。スーパーで物を買うとき、レストランで料理を注文するときなど、日常生活でドイツ語を話さなくてはいけない場合が多々あります。初めの方はドイツ語が全く話せなかったので、英語かジェスチャーで意思疎通を図っていました。その時に培った「言葉ではなくジェスチャーで意思を伝える技術」は後の留学生活において大いに役に立ちました。非英語圏に留学するメリットは英語以外の言語を学べるだけでなく、こういった技術を学ぶことが出来るのもメリットではないでしょうか。大学でドイツ語を学ぶ授業を取っていたので帰国する頃には日常生活で困ることはあまりなかったです。

旅行

留学中、時間があるときに私は様々な国へ旅行しました。ヨーロッパは地続きの国が多かったので、バスや電車などで京都から東京に行くような感覚で簡単に他の国へ訪れることが出来ました。また、近頃はライアンエアーやユーロウィングスなどの格安航空会社も多いのでかなり安く旅行することが出来ました。オランダやベルギー、フランスなどのドイツ周辺国やチェコやハンガリーなどの東欧諸国、またイギリスにも旅行し、計14か国訪れました。そのおかげで様々な国の文化、価値観、国民性などを肌で感じ、異文化をより深く知ることが出来て良かったです。また、自分のヨーロッパに対するイメージも変わりました。
初めての国外旅行(フランス・パリ)
日本人の友達と旅行(スペイン・バルセロナ)
ミュンスターで友達と再会

最後に

約一年間のドイツ・ケルンでの留学は、私を色々な意味で成長させてくれました。初めての実家を離れての一人暮らし、初めてのヨーロッパ、初めての長期留学、など私にとって初めてだらけの留学生活でした。そこで出会った様々な人達と関わっていく中で、「自分とはどういう人間なのか」を見つめ直すことが出来、また将来、「自分が何をして、どのように生きたいのか」を知ることが出来ました。授業で英語が話せずクラスメイトに馬鹿にされ、落ち込んだこともありました。授業を取ることを諦めようかとも思いましたが、最後までやり続けました。だからこそ今の自分があるし、自信につながっているのだろうと思います。もし留学していなかったら、私は自分自身を客観視することはあまり出来なかっただろうし、「最後まであきらめずに努力する大切さ」を実感することは出来なかったと思います。またヨーロッパ14か国に訪れ、様々な文化、価値観、人を知ったことで視野が広がったことはこの留学の大きな成果の一つだと思います。
私はこの留学で学んだこと、経験したことを現在行っている就職活動、そして後の人生に活かしていきたいと考えております。最後になりますが、頼りない私を全力でサポートしてくださった垣内さんと国際交流センターの方々、留学アドバイザーのパトリック先生、そして留学中に私を支えてくれた友人達や先生方には本当に感謝しています。この留学は私一人の力では絶対に叶わないもので、皆様方のサポートがあったことで実現したことだと思います。。 また京都産業大学海外留学特別奨学生として私を採用してくださって本当にありがとうございました。今後は就職活動とともに、これから留学を考えている方々を全力でサポートしていきたいです。
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