経営学部 卒業生インタビュー
株式会社ECC 取締役副社長 花房 雅博さん(1977年卒)

株式会社ECCは、1962年創業で、ECC外語学院、ECCジュニアなどでよく知られているように、語学スクールや語学研修を始めとする教育事業を展開する大手企業です。本社は大阪市北区で、東京都新宿区にも本部があります。2016年5月末時点で、従業員数1,482名、講師3,595名で、生徒数は40万人以上です。

2017年6月27日のインタビュー当日、私達はECC本社ビルの前で待ち合せました。場所は、大阪の地下鉄谷町線南森町駅から歩いて5分ほどのところにあります。大阪駅から歩いても20分くらいで到着します。雨こそ降っていませんでしたが蒸し暑い中、インタビュアーの1人は実際に大阪駅から歩いてきました。このことからおわかりのように、南森町駅付近はオフィスや商業施設などが集まった都会的なところです。

ECC本社ビルは、玄関がガラス張りでエントランスの1階と2階部分が外から見え、床がピカピカに磨かれていて、おしゃれな階段がありました。清潔で開放的であるとともに、どこか遊び心を感じさせる素敵な場所だなあと感じました。一方で、ビルに入ったとたん、副社長にインタビューということで、緊張感は一気に高まりました。

受付に設置されてある電話で連絡すると、秘書の方が迎えに来てくださって、エレベーターで10階の役員会議室まで案内してくださいました。役員会議室は重厚感がありつつ明るい室内でした。

インタビュアー

経営学部 在間ゼミ:佐々木 良輔さん、全 将輝さん、後藤 稔貴さん

株式会社ECC取締役副社長
花房 雅博さん(1977年卒)

面白そうな大学!が決め手となった

花房 雅博さんは、京都産業大学の第9期生で、1973年(昭和48年)に経営学部に入学され、1977年に卒業されました。高校時代はラグビー部に所属し活躍されていたそうです。当時、行くことができる東京か京都の大学を探しておられたそうです。選んだ理由は、フォークグループ「アリス」の堀内孝雄さんや、お笑いの「あのねのね」の原田伸朗さんが通っていて、「面白そうだ」と思ったからだそうです。「原田さんとはここ10年くらいで仲良くなったんですよ。」と話しておられました。また、授業料が他の大学と比べて安かったことも決め手になったそうです。当時、他の私大の年間授業料が30~40万円で、産大は14万円くらいだったそうです。

渡辺利得先生のゼミで「立地と管理」を実践的に学べた!

花房さんは、「ゴルフ部の活動を一生懸命やりながら勉強も頑張り、単位を一つも落とさずに3年生で卒業単位をすべて修得し、文武両道を貫かれました」と本学のHPで紹介されていましたので、私達はその秘訣を尋ねてみました。
当時、花房さんのお父様は岡山で従業員数100名規模の会社を経営されていましたが、家業を継ぐよりも、「自分の力でいい会社に入りたい」という信念のもと、勉学に力を入れたそうです。当時、卒業要件は130単位でしたが、花房さんは3年で136単位を取得されました。ゴルフ部では平日は試合があり、休日も応援に行ったりと、活発に活動していて、関西の大学の1部リーグの3~5位という高成績でした。ゴルフ部の活動で出席できなかった授業、特に必修科目では、先生と相談して、補習や追試といった形で埋め合わせしてもらうというのも秘策の1つだったようです。
「大学ができて年数も浅く、やる気の出るようなユニークな先生がたくさんおられました。」とおっしゃいました。花房さんが所属したゼミの渡辺利得先生もそのお一人だったそうです。渡辺ゼミでは「立地と管理」をテーマに研究されました。河原町三条や四条にある商店街を実際に訪れ、「この店にはなぜ客が多く入っているのか、あるいは入っていないのか」を立地の観点から検証したそうです。「最終的には社会に出てからの方が学ぶことが多いですが、大学で経営学を学び、渡辺ゼミでの研究が、ECCの新たな学校を建てるときに生かされたと思います。店舗にとって立地は重要で、駅の裏と表、道の東西で違うのです。」と話されました。

単身で渡米し、死にもの狂いで勉強!

当時、大学3年生の11月1日が就職活動の解禁で、花房さんは大手百貨店と大手スポーツ用品メーカーから内定を得て、ゴルフ部門に携われるならということで、大手スポーツ用品メーカーに入社したかったそうです。しかし、お父様のご希望もあり、泣く泣く内定を断られ、実家に戻られました。それからしばらく後にお父様がお亡くなりになられ、独立心が強かった花房さんは、貿易業に就く夢を叶えるために、奥様と当時生まれたばかりのお子様を日本に残し単身で、アメリカのUCLA(University of California, Los Angeles、カリフォルニア大学ロサンゼルス校)に留学されました。
現在はECCの取締役副社長の立場に就いておられる花房さんですが、もともと英語が特にできたわけでもなく、授業がすべて英語なのに、初めの3ヶ月は聞き取りすらさっぱりだったそうです。変化が見えたのは留学して半年頃で、徐々に聞き取れるようになり、1年後には言っていることを理解できるまでになったそうです。アメリカの生活はそれほど優しいものではなく、勉学についても「死にもの狂いだった」と振り返られました。「日本人は文法通り話そうとするが、上手く話せないのが現実です。アメリカでは、型通りに話すのではなくBroken Englishでも会話は成り立つことを学び、英語を上手く話せるようになりました。」と話しておられました。

できたばかりのECCジュニア事業を発展させ、38歳の若さで役員に!

花房さんは、将来は奥様とお子様を呼び寄せて、アメリカで仕事をしようと思っておられたのですが、奥様は日本在住を希望されておられて、内緒でECCに応募されたそうです。「とにかく一度帰国して入社試験を受けて。」と奥様に説得され、ECCを受けると即採用でした。そこで、UCLAの留学生活に3年半で終止符を打ち、日本で仕事に就かれました。1983年(昭和53年)のことです。

入社後、先代社長が立ち上げられたECCジュニア事業を任されたそうです。当時は、「子供に英会話は早すぎる」というのが通念で、事業開始後3年目までは業績が今一つでした。そのような中、ご自身の留学体験から、いわば通念を逆手に取り、「将来会社が困りますよ。」ということを訴求されたそうです。当時、このような広告は、直属の上司から反対されたそうですが、「今やらないと!」という強い思いで、上司を飛び越えてECCジュニアの創設者の先代社長に直訴され、推し進めていかれました。その結果、4年目から業績は伸びていきました。この当時のことを「時流に乗ったのもある。」「自分のハチャメチャな性格に合っていた。」と振り返っておられました。ちょうど折しも児童への教育熱の高まる時期と相まって時流に乗れたということと、ご自身のパワフルさを活かせたことが功を奏したということでしょう。

ECCジュニアを発展させた実績を評価されて、入社後わずか9年と11か月、38歳という若さで、取締役部長に昇格されました。それまでECCはどちらかというと同族企業で、同族以外の方が役員に就くというのは珍しかったそうです。ただ、「出世をしたいと考えて仕事をしていたわけではない。」とおっしゃいます。出世は仕事の目的なのではなく、今やるべきことを見極め。果敢に突き進み業績に結びついた結果なのだと、私達は感じました。

組織を変革し、赤字事業を回復させる!

その後もECCジュニアの業績は伸びていきました。一方、主要事業の1つであるECC外語学院事業の業績は赤字続きでした。そこで花房さんに白羽の矢が立ち、「常務になり、外語学院の事業を立て直してくれないか。」とお願いされたそうですが、お願いされるたびに何度も断っておられました。その理由は、「自分が築いたといっても過言ではない、業績が良いECCジュニア事業から、なぜ、業績の悪い外語学院事業に移らないといけないのか?」という思いを抱いていたからです。 しかし、「ECCジュニアの業績がどれほど良くても、外語学院が赤字で足を引っ張っていれば、いずれはECCの会社そのものの存続すら怪しくなる。」と考え直し、外語学院事業の責任者となることを決断され、42,3歳の頃、常務への就任も承諾されました。
外語学院事業を任されて、まず、当時120校あった外語学院のスタッフ全員と懇談を持たれました。1回の懇談会で5、6人、1日に数回実施し、約2週間で全スタッフから気持ちを聞かれました。花房さんは、そこから見えた問題点と変革の方針をレポートにまとめあげ、役員会にあげて、「自分に任せられた以上、変革をやらせてほしい。」と訴えられました。

変革の第1は、スタッフと従業員の士気と団結力を高め、気持ちを一つにしていかれたことです。当時、語学事業に新規参入した企業が駅前の便利さと安さを売りにしたユニークな広告を大々的に打ち、ECCはじめ既存の英会話事業を展開する会社は、その顧客を奪われていました。ECC社内では、「うちもあのような面白い仕掛けをしたほうがいいんじゃないか。」という焦りの声が挙げられ、従業員やスタッフは意気消沈していました。それに対し、「力をつけて楽しんでもらえたら、生徒さんは辞めない。」「自分たちが今までやってきたことを、そのままやるだけだ。」「今は苦しくても自信を持て。」と従業員やスタッフを前向きに、ポジティブな気持ちになるまで励まし続けられました。この励ましの背景は実績に裏打ちされたものだという確信があったそうです。「ECCが築いてきた良質な教育に自信があったからです。教育のポリシーがしっかりしていて、生徒さんのことを考えて事業を行い、その結果コンシューマに満足していただいている。」と語られました。「ユニークな広告に頼るだけの企業は、4、5年は業績が良くても。長続きはしないだろう。」という予想も抱いていたそうです。
変革の第2は、経費の使い方を見直されたことです。それまでは、他社に対抗するために経費節減を進めており、外語学院事業でも、以前は複数で担っていたのに1人で任せている学校が多数ありました。「経費削減も大切だが、使わないといけないものには使う、使う必要がないものは使わない、ということこそ重要です。学校運営を1人でできるわけがない。1人での運営をやめてしまい、経費増やしてでも3人で運営する、ということを進めていきました。」と当時を振り返られました。

これらの変革の結果、就任されて3年目に外語学院事業は黒字になりました。外国語学院事業を任されたことで、「人を上手く動かせるようになり、自身の成長のきっかけになった」とのことです。また、「企業にとって人は石垣であり、人の気持ちがまとまらないと企業は伸びない。私の場合、スポーツをやっていて、根性があり、オレについてこい!と前向きにもっていったのです。」と語られました。この外語学院事業回復と成長の実績が評価されて、取締役専務に昇格されました。

取締役副社長として全事業を統括し、将来を見据えた事業展開を図る!

「もともと昇進は考えていなかった」とおっしゃられる花房さんですが、取締役部長、常務、専務、さらには、今から10年前に副社長に就任されました。
私達が「取締役副社長の仕事とは、どのようなものでしょうか? どのような点がそれまでとは違いますか?」と質問をすると、「副社長というと名誉職という感じがするでしょうが、実際には忙しいです。実は私にはもう1つの肩書があり、事業統括本部長という任務があるのです。」とおっしゃいました。それまではECCジュニア、外語学院と個別の事業のかじ取りをしてこらえましたが、全事業を見渡しかじ取りをする立場に就かれました。
日々、各事業部長から事業の相談に乗られたりされるとともに、5年後、10年後を見据えて、ECCの教育事業の展開を熟考し、かじ取りをされています。副社長として大阪本社を拠点にされていますが、社長は東京の本部を拠点としておられます。会社全体の大きな決断が必要な事項については相談して社長の決裁を仰がれるそうです。 最近はインターネットでの英会話も増えています。ECCもインターネット英会話の事業を展開しておられます。学校をセブに作り、フィリピン人の講師を200名も採用しています。日本の教育事業と同様に、ビルを管理し、講師への研修等により教育の質を確保しています。「ネット英会話専業の他社では、講師が自宅で行っており、その分料金が安くなりますが、教育の質までは保証していない。ECCでは、学校でネット英会話を行うとともに、生徒がいつでも留学できるようにしているのです。」とおっしゃられました。

ECCは、国内外の多くの大学や研究機関などと提携されています。国内の大学では語学教育をアウトソーシングされるケースも増えてきており、関西の大学にも、講師を派遣しておられるそうです。
さらに、最近は、教育産業以外の事業の展開にも取り組まれているそうです。今後のご活躍とECCの事業展開が楽しみだと感じました。


在学生へのメッセージ

私達は、インタビューの最後に、経営学部生に伝えたいことを伺いました。花房さんは次のようなメッセージをくださいました。
大教室での講義は真面目に聞かない学生が多い。しかしそのような授業でも真面目に受けるべきです。理工系の学生は座学も実験も学ぶことが多く鍛えられます。それに対し、文系の学部は学部で学ばない人も多く見受けられます。人間は、どうしても自分に甘くなってしまいます。勉強でも遊びでも、自らやるべきことと決めたことはやるべきなのです。経営学部であろうが経済学部であろうが、大教室の授業であろうと、これを勉強すると決めたことは真面目に学び、自分で役立てることが大切です。

インタビューを終えて

お会いするまでは、取締役副社長と重役のイメージから、気難しい方なのかなと思っていました。実際にお会いしたとき一瞬緊張は高まりましたが、インタビューを始めると、とてもおおらかで温かみがあり活気がみなぎる方であるとわかり、緊張は一気にほぐれました。花房さんは、とてもお話しやすく、私達の質問に真剣に答えてくださるだけではなく、お話中に冗談を挟まれるなどで、インタビューは面白く、あっという間に時間が経ってしまいました。
私達が面談時間までロビーで待機する間や廊下やエレベーターで出会ったとき、会社の皆様が挨拶してくださいました。また、お互いにも挨拶を交わしておられました。一人一人が意識して挨拶をしておられることで、明るい会社になっているように感じました。また、チラッと垣間見えた職場では、従業員の方々が生き生きと仕事をしておられて、楽しく明るい職場なのだと思いました。
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