株式会社ECC 取締役副社長 花房 雅博さん × 山田 幸代さん対談

※所属・肩書は取材時のものです。(2016年1月)
むすびわざStory第10回は、「株式会社ECC」の取締役副社長で本学卒業生の花房 雅博さんに話を伺いました。

花房先輩がおられた頃の京都産業大学は、どのような雰囲気でしたか。

私が入学した頃は、大学ができて間もないので勢いがありましたね。オープンマインドで非常に明るい雰囲気で、破天荒な人が多かった。当時は、鶴瓶さんや 『あのねのね』の原田さん、清水さんがテレビなどで活躍されていたので、世間から『お笑いの京産』と言われていた。京都にありながら大阪のお笑いの雰囲気 もあって、おもしろい学生が集まってる大学だった。学生もそれを自覚していましたね。

学生生活で強く印象に残っていることに、どのようなことがありますか。

印象深いのは『ゴルフ部』での経験ですね。中学では野球、高校ではラグビーをやってきて、大学では落研に入ってたんですけど、父親が「ゴルフをやらなかっ たら学費を出さない!」というので途中から入ったんです(笑)ゴルフ部は体育会なので、上下関係やトレーニングがとても厳しかった。ゴルフ部っていうと優 雅にコースを回ってというイメージがあるかもしれないですけど、僕らの時代は毎日走って、素振りして、体を鍛えていた。週に1回は鞍馬まで走りに行くんで すよ。厳しかったですけど、同期や先輩・後輩など仲間に恵まれて、その関係は今でも続いていますよ。

あとは、『就職活動』ですね。父親が事業をしていたんですけど、それを引き継ぐのが嫌で独立したいと思っていたので、クラブを一生懸命やりながら勉強も頑 張り、単位を一つも落とさずに3年生で卒業単位をすべて修得した。ゴルフ部はウィークデーに大会があることが多かったんですけど、授業にはできる限り出席 して、欠席するときは先生のところへ行って教えてもらうなど要領よく勉強していましたね。

文武両道に打ち込まれ、就職活動も頑張られたんですね。そして(株)ECCに入社されたんですか。

複数の企業から内定をもらってたんですけど、父親が事業を継いでくれというので、泣く泣く断って岡山に帰って仕事をしていました。でもどうしても貿 易関係の仕事がしたいという思いが強かったので、父親の会社があるし結婚もしていたので悩んだんですけど、アメリカに渡りUCLA(カリフォルニア大学ロ サンゼルス校)に行って経済学を学んだんですよ。

そのまま家族をアメリカに呼んで仕事をしようとしてたんですけど、女房がアメリカに来るのを嫌がったんですよ。それで、私の許可を得ずに勝手に㈱ECCに 履歴書を出して、面接に行って私をアピールしたんですよ。私自身は語学学校に勤める気はまったくなかったんですけど、とりあえず一回日本に帰ってきてく れ!っていうので帰国したら、その日に時差ぼけの中で試験に連れていかれたんですよ(笑)

凄くパワーがありますね!それがきっかけで(株)ECCに入社されて、ECCジュニアを育てられたんですよね。

入社した時はECCジュニアができたばかりだったんですけど、先代社長に任せてもらえた。それは、自分が破天荒な性格だからだと思うんですよね。ECC外 語学院はエリートで、できたばかりのECCジュニアは吹けば飛ぶようなところだったんですけど、「くそ負けるか!絶対会社の中で市民権を得てやる!」とい う気持ちが、独立志向の強い自分の性格やモチベーションと合ったんでしょうね。

京都産業大学の学生に向けてメッセージをお願いします。

大学生向けのセミナーで、私がいつも言っているのは「文武両道。将来の自分のために、スポーツをやりながら勉強もする。両方の仲間を作ることが一生 の宝になる」と。大学時代の仲間は『一生の親友』ですよ。この歳になっても立場など関係なしに昔と変わらず語り合える。これは財産ですよね。そして、自分 を戒めて自分のためにこれだけは勉強したと言えるものがあるといいですね。私はゼミ活動で立地管理論を一生懸命やりました。先生独特の理論があって、それ が今の学校作りなどに役立っていますね。

就職については、「自分の10年後、20年後の姿が、その会社で見えるかどうかが大切。自分の目で会社を見て、どのように活躍できるのかを考えて、やりがいを持てそうだと思うところに決めた方がいい」と人生の先輩としてアドバイスをしています。

最後に、学生のみなさんには常に素直な気持ちで自己アピールができる人間になってほしいと思います。たとえ不器用であろうと素直な人間は、社会に出てからも伸びると思いますね。

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