経営学部 卒業生インタビュー
RIDE DESIGN 代表 濱田 浩嗣さん(1983年卒)

RIDE DESIGNは、様々なプロダクトデザインやブランディングのノウハウなどを提供しているデザイン事務所です。濱田浩嗣さんは、その事務所の社長兼デザイナーとして活躍されています。一般にデザイナーというと、単に「絵を描いている人」というメージがあるかもしれませんが、実際の仕事はそれだけでなく、例えば、自動車をデザインする場合は、ハンドルの持ちやすさだとか、ボタンの押しやすさなどの機能面まで含めた仕事をされているそうです。

インタビュアー

経営学部 森永ゼミ:山崎 美香さん、大石 真梨さん、岡本 千香子さん

RIDE DESIGN 代表
濱田 浩嗣さん(1983年卒)

訪問時の印象について

インタビューは濱田さんが講師を勤めている専門学校 HAL大阪で行われました。専門学校の外観や内装は、デザイナーを育成・教育する機関だけあって、とても洗練されていました。机や椅子もオシャレで、私たちがイメージする教室とはかけ離れていました。

濱田さんにお会いするまでは、デザイナー=芸術家=とっつきにくい人というイメージを抱いていましたが、実際にお会いすると、そのイメージはいい意味で裏切られました。私たちの質問にもとても丁寧に答えてくださり、何より、濱田さんは今のお仕事がとても好きで、やりがいを感じていることが強く伝わってきました。
インタビューでは様々なお話を伺いましたが、ここでは、なぜ経営学部を卒業した濱田さんがデザイナーになったのかということと、デザイナーとして企業に就職してから独立するまで、独立してから現在までの道のりの3点を中心にまとめたいと思います。

デザイナーになるまで

濱田さんのキャリアは複雑です。学生時代は音楽とバイクにはまっていたといいます。特にバイクにはまったきっかけは、当時の大学へのアクセスの悪さにあったといいます。その頃の京都は地下鉄もなく、交通の便が悪かったこともあり、オートバイで通学するようになりました。そして、オートバイに乗っているうちにバイクレースにはまり、ロードレーサーをやり始めたそうです。大学の三回生くらいで本格的にレーサーの道を歩もうと思い、それ以来、速く走るために必要な空気抵抗の少ないボディ設計や、軽量化に有利な素材選びなど、様々なところにこだわるようになりました。
しかし、そうやってバイクを改良しているうちに、興味が段々と「乗る」ほうから「作る」ほうに変わっていったといいます。そして、ちょうどその頃、京都で日本初の自動車専門学校ができたことを知り、本格的にデザインを勉強するチャンスだと思い、レーサーを続けながらデザインの専門学校に通う生活を始めました。このように、大学卒業後もしばらくは二足のワラジをはいた生活を続けていましたが、レーサーだけで食べていくのは難しく、生活していくことを考えなければいけないと思い、ある時きっぱりとレーサーをやめ、デザイナーの道一本に絞ることにしました。

デザイナーとして企業に就職してから独立するまで

デザイナーとして生きていくことを決め、専門学校を卒業した濱田さんでしたが、当時はなかなか自動車関係の就職先がありませんでした。そんな中、医療系の製品を扱う会社から声をかけてもらい、その会社にデザイナーとして就職することになりました。そこでは、手術着や医療器具など、普段あまり目にすることのない専門的なモノをデザインすることが多かったといいます。就職する際、なぜプロダクトデザインをやっている自分が採用されたのか疑問に思った濱田さんは社長に尋ねたそうです。

「手術着をデザインするのだったら、プロダクトデザインをやっている私ではなく、ファッションデザインをやっている人の方がいいのではないですかと社長に聞いたら、手術着は華やかさではなく機能性を求めるものだから、プロダクトデザインをやっている人のほうが適しているんだと言われ、ハッとした。人間のパフォーマンスを上げるということで肉体の方にも非常に興味があったので、是非やってみようと思った。」

濱田さんはその会社で4、5年勤務し、そのあとスポーツメーカーのミズノへ転職しました。ミズノでは、ラケットやシューズ、ヘルメットなど様々なスポーツ用品をデザインしましたが、自身のデザイン案(アイデア)を上司や他部署の人にプレゼンする際にとても苦労したといいます。

「(デザイナーでない)一般の人に向けて、自身のデザイン案の良さを感覚的にではなく、論理的に説明する必要があった。いろんな価値観の人がいるから、論理的に説明する必要があると気付くようになるまでしばらく時間がかかった。それまでは苦労した。そのことが分かってからプレゼンがよくなったと思う。」

それ以外にも、企業内では誰も手取り足取り仕事のやり方を教えてくれないため、それまでに得た知識や経験を柔軟に組み合わせ、応用していく臨機応変さが必要だったといいます。

「仕事の引き継ぎはあるが、丁寧に引き継ぐ時間はないためとりあえずやり始めていた。実践していくうちに分かっていくことがあった。全くゼロから始めるわけではない。また、ジャンルが違えば活かせる部分があるから、いろんな製品のデザインに携わった方がアイデアは浮かびやすい。どこかで当たり前のことがどこかでは新鮮だったりする。」

独立してから

濱田さんはミズノに10年以上勤務しましたが、やりたいことをやるために思い切って独立を決めたそうです。ただ、実際に起業してみると、それは思っていたほど簡単なことではなく、現在に至るまでに何度も壁にぶち当たったといいます。起業してすぐの時代のことを濱田さんは次のように語ってくれました。

「まずはどこから仕事をとるか、そこからのスタートでした。簡単に仕事はとれなかった。そこで、まずは僕の存在を知ってもらい、実績をつくる必要があると思った。人が集まるところやプレゼンをする機会があればどんどん出て行き、とりあえず名刺ばらまくみたいな感じでした。」

現在のように、多くの仕事の依頼を受けるようになるまでは苦労が多かったようです。それでも、人との出会いや関わりを大切にしたこと、自分のことを多くの人に知ってもらおうと地道に努力したことなどが実を結んでいると話してくれました。また、今後の展望についても、次のように語ってくれました。

「食品関係、介護関係、いろいろしたい。ジャンルを問わず面白いこと、役に立つことをやりたいという気持ちが基本です。さらに伝統工芸や地域振興にも興味があり、デザインで地域活性に役立ちたいと考えている。そこでつながりを作り、また新たな仕事になるのが理想的です。」 


学生へのメッセージ:真実を見極めろ

濱田さんからは京都産業大学生に向けて、次のようなメッセージを頂きました。

「ブランディングを意識してほしい。たくさんブランドがあるが、実は中身にそれほど差はなく、どこの製品もほとんど壊れないから社風や製品名で選ぶ。企業は戦略として他社との違いをアピールすることに神経を注いでいる。就職活動でもブランドイメージを考えたり、自分で商品を買うときもブランドを意識したりすると、モノの見方が変わってくると思う。」

「僕らの時代は情報が少なく、いかに情報を集めるかが大切だった。しかし、現代はインターネットが普及し、どんどん情報が入ってくるようになった。でも、すべてが正確な情報とは限らない。ネットで大枠の情報を手に入れることは必要だが、それ以上に本物を知ることが重要。真実を確かめるために実物を見る、触る、体験することの意味合いが高まっている。真実を見極めることが今一番大切だと思う。」

濱田さんが繰り返しおっしゃっていた“真実を自分で確かめることが大事”というフレーズがとても印象に残りました。インターネットが普及して、情報があふれる世の中だからこそ、実際に現場へ足を運び、スマホやパソコンの画面上だけでは理解できないことを自分の五感で確かめることの重要性を教えていただきました。

全体を通じての感想

インタビューを行うにあたって、事前に相手のことをきちんと調べて準備しておくことが大切だと実感しました。また、相手に失礼のないような言葉遣いや態度にも気をつける必要があると感じました。予定では1時間のところを2時間以上もインタビューさせて頂き、貴重なお話をたくさん伺うことができました。濵田さんの複雑なキャリアの裏にある想いや苦労、そして現在の活動やこれからの目標など、様々なことを伺うことができ、とても勉強になりました。濵田さんへのインタビューを通じて学んだことを、これからの学生生活の中で活かしていきたいと思います。
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