経営学部 卒業生インタビュー
明石市役所 市民生活局産業振興室長 八田 博志さん(1980年卒)

八田さんご自身が開発に携わったJR明石駅前の商業ビルに伺いました。満面の笑みで我々を迎えていただき、差し出された名刺が入った年季の入った名刺入れには、なんとサギタリウスのマークが。当時の就職部から就職活動体験録の執筆の記念品として贈られた京都産業大学オリジナルの布製の名刺入れ。卒業後30年以上経ても大切に使い続けておられる八田さんから、母校を愛する気持ちが伝わってきました。初めてお目にかかる大先輩なのに、名刺入れのおかげで急に距離が縮まった感じがしました。そんな和やかな中でインタビューをさせていただきました。

インタビュアー

経営学部 中井ゼミ:海道 真実さん、中島 和彦さん

明石地域振興開発株式会社会議室にて
明石市役所 市民生活局産業振興室長
八田 博志さん(1980年卒)

最初に一番興味があるのは、大学生活をどんなふうに過ごされたのかお聞きしたいです。

昭和55年3月に経営学部を卒業しました。特にクラブ活動はやっていなくて、図書館によく行ってました。教養の図書館や専門の図書館。そこでよく時間を潰していました。あと、下宿が大学の近くということもあって友達と一緒にご飯を食べに帰って、食後に大学に戻るなんてこともありましたね。お風呂が下宿になかったため、友達と一緒に柊の湯での一番風呂を狙っていました。あの銭湯は自分のパワースポットだった気がします。近くの郵便局でのバイトも、楽しかったですね。

将来について考え始めましたのはいつごろですか。

当時の就職活動は今よりも遅く、4回生の10月ごろから本格的な会社訪問などの就職活動が始まりました。私は友人の誘いがきっかけで、7月ごろから先輩の会社を訪問したりしていました。どこに行きたいかとかはまだ絞り込んでなくて漠然としていたのですが、チャレンジ精神だけは旺盛で大手企業に挑戦したりしていました。地元が淡路島ということと長男ということもあり、いずれ地元へ帰らなければならないという意味では、公務員の仕事も視野に入れていました。

現在勤務されておられる明石市役所では、主にどのようなお仕事をされておられるのですか。

市民生活局産業振興室というところで働いています。産業政策と言えば、市の農水産業や工業、そして商業の振興を考える。商店街をどう繫栄させていくか、守っていくかとか、工業をどう振興していくかとかですね。
明石には川崎重工業や三菱重工業のような大きな会社の生産拠点もありますが、市役所が関わるのは中小企業です。中小企業の融資や専門家を派遣してその課題を聞いてそれの解決策を検討する。商工会議所や産業振興財団を通して、サポートしていく。そういう仕事が明石市の産業政策で、今はそのような業務をしています。
明石はこれだけ海に接しているから、漁業も非常に有名なんですよ。明石のブランドは非常に良いものがある。海苔といったら明石海苔。有明海苔と匹敵するぐらいの有名なもの。タコでも、明石のタコは有名です。潮の流れが激しく、足が短く身が締まっていて本当においしいんですよ。このインタビューが終わったら食べに行きましょう(笑)。

明石市では平成26年から「明石半夏生タコ祭り」を行っている。中心市街地の活性化策や商店街の賑わい創出事業を推進する中で、八田さんが初代責任者として立ち上げた。現在では、後輩である大久利さん(なんと、大久利さんも京都産業大学の卒業生!)が引き継いでいる。こうして様々な産業政策に関わってこられたが、中でも代表的な取り組みは、駅前商業施設「アスピア明石」のオープンとそれ以降の中心市街地再開発事業である。そんな八田さんの、まずは明石市に対する想いから話してもらった。

明石市の人口は2013年まで減少基調にありました。人口減少に歯止めをかけるべく、明石市を挙げて色々な取り組みをしてきましたが、その結果、2017年現在では過去最多の29万5557人に回復しており、30万人越えも目前です。
ありがたい傾向ですが、やっぱり、市民の人が「明石っていいなあ」って思える、満足度の高い街になったらいいなと思っています。例えば、施設やサービスもそうだし、商店街を歩いていて賑やかだなと感じるのもいいし、明石ってどこででも楽しめるんだなとか、おいしいもんあるなあとか、住んでいる人だけでなく、観光客も満足してくれる。もっと明石に住みたいなぁと思える街になったらいいなと思っています。

そんな中で八田さんが取り組んでこられたのが産業政策。特に、中心市街地活性化事業ですね。その取り組みを聞かせてください。

私がかつて所属したセクションは、JR明石駅前の商業施設立ち上げと、明石市全体の街の活性化のために事業を進めていく部署でした。その中で重要になってくるのが明石地域振興開発株式会社(=第3セクター)とTMO(Town Management Organization)を連携させてかかわりを持たせること。平成13年に明石駅前の商業施設「アスピア明石」の建設とオープンに関わりました。駅前にきれいなビルができるのです。消費者にとってはうれしいことかもしれませんが、その結果お客さんが「アスピア明石」だけに集まって一人勝ちして、他の商店街がガラガラになってしまったのでは明石市全体の活性化につながったとは言えないのです。そんなことが懸念される中で、商店街も一緒に活性化する街づくりのあり方を考えていきました。その結果、第3セクターをTMOとして機能させることで全体が活性化する街づくりを推進してきました。TMOの「M」が示す通りの、街をどのように作り上げていくのか、そのためにどんなマネジメントをしていくのかを常に意識しています。その意味では、経営学部で学んだことが役に立っているかもしれません。具体的にどんな事がって聞かれても困りますが(笑)。

アスピア明石を皮切りに、パピオス明石、ピオレと新しい商業施設ができ、南口のバスターミナルも整備されました。すごくきれいな街だなって印象を受けました。

ありがとうございます。建物や施設の整備、充実だけでなく、地域に密着した特産物を使って明石のブランド品を作り上げることや明石ならではイベントを企画するなど、様々な取り組みを行ってきました。その結果、明石市全体の連帯感が深まり、地域活性化に繋がっているのではないかと思います。
このように、世の中の流れに応じて変化させながら、市民の気持ちに行政の立場から協力して取り組む。私たちの仕事は市民の皆様にお会いする機会が圧倒的に多いから、その分人からもらう意見や感想などが多い。だから怒られることもありますが、褒められることもあります。そんな市民の皆様に「ありがとう!」とか「頑張ってね。」と言っていただけることが、やりがいとなり原動力になっているのだと感じます。
 市役所の仕事と言えば、戸籍や住民票のような公の手続きのようなことを思い浮かぶと思いますが、逆にこのような中心市街化や街づくりという仕事ができて、幸せだなと思いますし、自分の仕事に誇りを持っています。

後輩の印象とメッセージ

後輩である現在の京都産業大学の学生についてどんな印象をお持ちですか。そして最後に、学生に対してメッセージをお願いします。

京今の学生は昔に比べておとなしくなった(上品になった?)気がします。当時の京都産業大学には元気とか成長力とか推進力とか、前に出たり、湧き出てくるものが何かしらありましたね。当時は、野球部が強くて、私たちは応援などに行った時代で、また、視聴者参加型のテレビ番組に学生が頻繁に出たり、芸能人なども輩出していくなど、面白みもあった気がします。そのため、受験者数も結構多くて、私自身「京産大に行けば自分のためになる、何かがある」と惹かれて受験しました。そういった魅力に惹かれて入学した京都産業大学で、いろんな面白い人との出会いがありました。そこに京都産業大学のDNAがあった気がします。今の学生諸君にそういったDNAがないと言っているのではありません。むしろ、今の学生にこそ、産大魂を積極的に受け継いでいってほしいし、内に秘めるだけでなく表に出していってほしいと思いますね。もっと自分を信じて挑戦していってほしいです。自分が好奇心持ったことをとことんやる。社会に出てからも絶対に結果的にそれが繋がっていくと思いますよ。
「念ずれば通ずる」という言葉が好きでよく使います。諦めず常に高い目標を持って、挑戦していく。産大魂を持って、元気に社会に適応していってほしいですね。
皆さんに伝えたいのは、ご自身の将来設計を持つこと。22歳で就職して、25歳で、30歳で、と自分の未来予想図を持っておいた方がいい。自分の人生の中で仕事は大きなウエイトを占めるから、仕事における目標設定は非常に重要です。
そしてコミュニケーション能力。誰とでも話せるだけでなく、相手を本当の意味で理解して、気づかいしながらお互いに心地よい関係を築いていく能力のことだと思うのですが、この能力を高めてほしい。それは社会人になる前に、様々な価値観に触れることで作られていくものです。だから、学生時代にいろんなことを経験し、多様な価値観に触れてください。
卒業後30年以上経ても大切に使い続けておられる就職活動体験録の執筆の記念品として贈られた京都産業大学オリジナルの布製の名刺入れ

インタビューを終えて

八田さんをインタビューして感じたことは、とても温厚な人柄でありながら打たれ強い精神力があり、周りからの人望が非常に厚い方だということ。ご自身は、仲間に恵まれてラッキーだったとこれまでのキャリアを振り返っておられたが、八田さんのお人柄ゆえ、周りに人が集まり、多くの人と協力しながら困難を克服されてこられたのだと思う。
八田さんが関わってこられた明石駅前の再開発事業。インタビュー終了後、きれいに整備された商業ビル内にあるお店で玉子焼き(明石名物の蛸を使った、出汁につけるたこ焼き)をご馳走になった。お店の人は皆さん八田さんのことはご存じで、八田さんが駅前商業活性化の担い手として多くの人から好かれ、慕われ、感謝されていることの一端を垣間見ることができたような気がした。八田先輩、ありがとうございました。そして、ごちそうさまでした!
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