経営学部 卒業生インタビュー
種田養蜂場 種田 敏徳さん(1985年卒)

中野ゼミでは、今年度、ハチミツを使った商品の開発に取り組んでいます。
今回、ゼミ生5名が、日本の養蜂発祥の地である岐阜県で養蜂場を営んでいる種田敏徳さんを訪問しました。地元の大垣で「れんげ」「くろがねもち」「菜の花」、高山で「とち」、北海道で「アカシヤ」「そば」「白花豆」のハチミツを採蜜しています。6tトラックに200箱の蜂箱を積んで、転地養蜂(蜜源植物の開花時期に合わせて、日本各地を移動しながら採蜜する方法)で岐阜から北海道へ移動する直前の5月に、養蜂場の見学とインタビューを実施しました。
 

インタビュアー

経営学部 中野ゼミ:安田 貴哉さん、西村 拓真さん、佐々布 崇さん、佐野 志朗さん、山田 英幸さん

左から 西村 拓真さん、佐野 志朗さん、佐々布 崇さん、種田 敏徳さん、安田 貴哉さん、山田 英幸さん
種田養蜂場
種田 敏徳さん(1985年卒)

養蜂家になった「きっかけ」は何ですか?

家業で父親が養蜂場(創業1948年)を営んでいました。経営学部の学生の頃から、帰省時には仕事を手伝っていたのですが、当時は自分が家業を継ぐとは思いもしませんでした。京産大での思い出といえば、ウィンドサーフィンでよく琵琶湖へ行ったことです。養蜂の方は家業のため、母親が手伝っていたのですが、在学中に亡くなり、人手が足りなくなってしまいました。それがきっかけで、卒業後、すぐに養蜂家になりました。20代後半は、日本がバブルの時期で、華やかな世界と大きく違う自分の仕事に疑問を抱いたこともありました。しかし、28歳の頃、仕事への自信が芽生え始め、30代に入ると、「これで生きていく」という覚悟が決まりました。結婚したのもその頃です。

養蜂家として、「大切にしていること」は何ですか?

「採れたまま」のハチミツを食べていただくことを大切にしています。「おいしいものを自然のままにお届けしたい」という想いにつきます。ミツバチが懸命に集めた栄養豊富なハチミツにいっさい手を加えず、「採れたそのまんま」を届けたいと考えています。
「本物をわかってもらう」ために、地元の小学生に採蜜体験をしてもらっています。自分で採ったハチミツを小さな瓶に入れて持ち帰り、食卓で家族に体験の話をしてくれているのか、お母さんやおばあちゃんが、お店にハチミツを買いに来てくれることもあります。

最近、「取り組んでいること」は何ですか?

30代から40代半ばまでは養蜂の実務が中心でしたが、その後は視野を広げた活動に取り組んでいます。養蜂家にとっての大きな問題は、ミツバチが原因不明で突然いなくなる、蜂群崩壊症候群(CCD: Colony Collapse Disorder)と言われる現象です。その影響からか、ミツバチの飼育が難しくなってきており、以前の倍ぐらいの手間がかかるようになっています。CCDの要因は複合的で、ひとつの要因である農薬を減らすといっても、簡単なことではありません。養蜂家同士が連携し、関係各所に働きかけて、少しずつ対策を進めているところです。
養蜂業の後継者問題もよく言われており、業界に新しい世代が入ってくるように啓蒙する必要があります。しかし、養蜂家だけ増えても蜂箱を置けるスペースに限りがあり、蜜の取り合いになるだけで解決になりません。現在は、東海3県(愛知、岐阜、三重)に静岡、長野、山梨を含めた6県の養蜂家と情報交換したり、県の補助も受けながら、耕作放棄地への密源植物の植樹に取り組んでいます。鳥獣被害の対策も、今後は大きな課題となります。

養蜂家としての「やりがい」は何ですか?

養蜂業でしか得られない喜びがあり、自然の中で仕事をすることに大きな魅力を感じます。例えば、新緑の芽吹く美しさやウグイスの鳴き声を見聞きすると同時に、自然を相手にしているがゆえに、人間にはどうしようもない部分も出てきます。特に、ミツバチとふれあい、対峙していると、「自然の中で仕事をさせてもらっている」という実感が常に湧いてきます。
ですので、養蜂はもちろん“食っていくため”の仕事であることが第一ですが、生きがいや楽しみ、趣味でもあります。年を重ねるにつれて、後者のウェートが高くなってきていますね。

在校生へのメッセージをお願いします。

養蜂業に限らず、1次産業への就職にも目を向けてほしいです。やり方によっては、とても魅力的な産業です。京産大生は“元気”なイメージがあるので、その強みを社会で活かしてください。今は、自分が将来就く仕事に関係のないことでも、アルバイトでもなんでも精一杯やっておくと、将来必ず役に立つと思います。

※インタビューは、種田さんの実家で、種田養蜂場のれんげのハチミツを使った洋菓子店のロールケーキをいただきながら進めました。ありがとうございました。※

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