経営学部 卒業生インタビュー
トータルフードHEROESグループ代表 上林 大基さん(2008年中退)

今回インタビューさせていただいたのは、トータルフードHEROESグループ「舞鶴港 漁師小屋」「幸福亭」を経営する上林大基さんです。京都産業大学へはAO入試で入学され、その後、ジュニアマネジメント研究会メンバーとしてAO入試説明会やインターンの活動を行っておられました。アルバイトや友人と将来の夢を語るうちに、「何か自分でしたい」と漠然と思うようになり、大学中退を決断し、現在は舞鶴地域で多くの飲食店を経営しておられます。緊張していた私たちに、時折笑顔を交えながら1つ1つの質問に対し丁寧に答えて下さいました。今回のインタビューでは、京都産業大学を中退し、起業を決心した当時の気持ちや、これからの将来について等、多くの質問をさせていただきました。

インタビュアー

経営学部 佐々木ゼミ:入谷 賢太さん・宇野 諒さん・奥田 侑華さん・加賀田 南美さん・中山 裕太さん・森 志織さん

研究室にて:左から宇野 諒さん・森 志織さん・上林大基さん・入谷 賢太さん・奥田 侑華さん・加賀田 南美さん
トータルフードHEROESグループ 代表
上林 大基さん(2008年中退)

大学中退という決断と挫折

中退することに不安はありましたか?

不安はありませんでした。しかし、少し後悔をしています。若いうちから始めたことは良かったかもしれませんが、サラリーマンが羨ましく思う時があります。私には、同期や先輩と呼べる人がいません。それに、何か仕事をやり遂げた時に褒められることが滅多にないです。そういった会社勤めの人ならでは喜びが羨ましいです。今となっては、サラリーマン後の独立でも良かったのではないかと思うこともあります。当時、中退を決めるまで、2~3か月迷いました。当然、両親は大反対で、最後の1か月は毎週のように説得に来ていましたね。しかし、そんな両親の説得を振り切ったという事は原動力になりました。


挫折を経験したことはありますか?

大学をやめてから、店を始め軌道にのるまでの4、5年が非常にもどかしかったです。やる気はあり、夢を語るけれど、「ほんとにやるの?」「できるの?」といった周りの反応が寂しく感じました。こういう状態だったので、早く形になるものを作りたかったです。とにかく認めてもらえるものが欲しかったです。

起業のきっかけや支援

なぜ起業しようと思ったのですか?

私は、西舞鶴出身で、小中高と顔見知りの友人と過ごしてきました。その後大学に入学し、様々な考えを持つ人々と出会い、将来の話をしていく中で「何か自分でしたい」と漠然と思うようになりました。大学入学後2年間はアルバイトをして、最低月30万ほど稼いでいました。また地元のアルバイトをしていた頃の付き合いのある友人と、協力して事業しようとなり、その友人の資金と合わせ、ほぼすべて自己資金で起業しました。
場所は、最初は京都市内でお店を開こうと考えていました。しかし、1年ほど日本一周の旅に出かけた時、トラックのわき見運転が原因で事故に遭ってしまい、後遺症の心配があると言われ、地元に強制的に帰らされたのです。その後、地元で働くうちに、どんどん地元が好きになっていきました。もともと田舎に帰るつもりはありませんでした。こういう境遇にあったからこそ、舞鶴という田舎でしかできない何かをやろうと考えるようになったのかもしれません。
知識については、アルバイトをしていた頃にやりながら知識を覚えました。また私は、漁業関係の家庭で育ったため、幼いころから魚料理は身近でした。魚を扱うお店では、そこで身に着けた魚料理に関する知識が非常に役立っていますね。また、あえて難しい料理はしていません。他府県のお客様はシンプルな料理を好む傾向があるため、あえてシンプルな煮つけやお造りを提供しています。

お店を経営する中で、やりがいを感じることは何ですか?

やりがいは二つあります。1つはお客さんがお店に来てくれることです。2つ目は創業から働く社員やアルバイトの成長を感じることができた時です。社員の成長として、自分の会社が大事にしている事(自分の精神)に対して、年々社員の理解が深まり、アルバイトの子に伝えてくれている点や、従業員が、自分の指示を待つのではなく、自ら動く(事後報告)ようになった事は、非常に嬉しいですね。そういった時にやりがいを感じます。

どのようにして人を集めたのですか。またどのように人材を育てていますか?

知り合いやまたその友人など、直接会って探しました。今いるメンバーは、元々の仕事より給料が下がるのに来てくれました。本当に多種多様な企業から来てもらいました。「僕にかけてくれ!」という思いでしたね。仕事は経験がなくても作業を覚えたらできることばかりです。また、私が共に働きたいと思う人は、自分の将来や先のことをしっかりと考え、自分のことを大切にしている人です。誘った以上、私には責任があるので、そういった従業員のみんながいつまでも付いて来てくれる自分であり続けることが、一番難しくやりがいのあることです。
また人材育成については、怒らないといけない場面以外はあまり怒らないようにしています。作業するにあたり、「なぜこうするのか?」など一つ一つの工程をしっかり丁寧に説明し、社員に覚えていただく努力を忘れないようにしています。また、自分が分かっていないと相手にうまく説明することができないため、自分のトレーニングとしても「なぜをセットで伝える」ということを心がけています。さらに、アルバイトとして同じ年代(高校生)の子が繰り返し入ってくるため、自分がその年齢の時なにが分からなかったのか、その時の気持ちを思い出しながら説明するようにしています。

長期的に持続可能な店舗運営

店を経営する上で、大切にしていることは何ですか。また働きやすい場を作るために努力していることはありますか?

ちょっとした判断を迫られた時に、一旦立ち止まって、お店を長く続けるためにはどの選択肢が良いかを常に考えることです。一瞬の儲けや楽を選ぶのではなく、面倒であってもお店を続けていくために最善の判断を選ぶべきであると思います。例えば、料理の出来栄えに納得いかず、作り直すかそれともそのまま提供するのかという判断を迫られた時、作り直すという選択をとることです。より満足して帰ってもらうことで、また来たいと思うようなお店でありたいですね。
職場づくりについては、学生時代アルバイトをしていた際に、社員のやり取りや職場に理不尽なことや、やりにくそうだと思うことがあったため、「働きやすい環境づくり」には特に力を入れています。その一つに、毎日現場に立って、スタッフと顔を合わせることで親近感をつくることです。また、仕事場以外での交流(BBQや食事会など)を通して、距離を縮めて意見しやすい関係を築いています。
PRについては、舞鶴は年配が多いためSNSなどの宣伝が難しいです。そこで、三重県尾張市でやっている「尾張まるごとやーや便」をもとにして新しい取り組みをしようと考えています。「尾張まるごとやーや便」とは尾張の名物を一つの便にまとめて年に4回送るという活動で、いろんな業者看板商品を詰め合わせて送るのが好評となっています。これと同じようなことを独自でやりたいと思っています。大規模になると、業者間のやり取りや小回りが利かないため、なるべく小規模で活動することを考えています。例えば、エクスプレス便のようにその日に競ったものを新鮮な状態でその日にお届けするなどです。
大切にしているのは、お客様とのコミュニケーションです。従業員やアルバイトの方にも、お客様とコミュニケーションをとるように指導しています。その一つとして、お客様がお帰りの際に誰か一人でも、玄関までお見送りをし、最後に一言言葉を交わすようにしています。また、ヤフーと楽天でネット販売をしており、購入してくださったお客様には、小まめにメッセージを送るようにしています。最近では、SNSでの宣伝活動を始めました。フェイスブックやインスタグラムで、投稿を見てくださったお客様に割引サービスを行う活動なども行っています。

取引先・仕入先との関係や強み

取引先や仕入れ先とはどのように繋がっているのですか。また他社に負けない強みは何ですか?

肉メインの幸福亭では、お肉を仕入れる際に北海道から順に電話をかけていきました。そして、淡路島の「とうげ」というお店に電話をかけた時、お店の方と波長が合ったため直接淡路島まで行き、加工場などの見学をさせてもらいました。一件だけではキープしきれない部分があるので淡路島のお店を軸にしてほかのお店も増やしていきました。
魚は直接競りで買う権利を取り、競って仕入れています。野菜や調味料は、八百屋や業務用の食材を専門的に扱う業者の中から、どのくらい小まめに配達してくれるか、急遽の時でも来てくれるか、などお店側の対応の仕方で決めています。
舞鶴は居酒屋の価格で魚をメインに扱うお店がなかったので、一人当たり四千~五千で食べて飲んで帰れるお店がないのか?と思いお店を始めました。舞鶴の場合その時点で差別化になるのでこれが強みだと思います。しかし、すべて手作りのため時間がかかり、出来上がりにもムラができてしまいがちなため、どれだけ高いレベルで料理を維持できるのかが課題となっています。
また、大きな資本を持った企業が新たに参入することで、お客をとられるのではないか、という思いもありました。しかし、西舞鶴では起業する場合、人集めが困難です。従業員やバイトもなかなか集められないため、忙しくなった場合に十分なサービスを提供できなくなってしまいます。
私は、飲食関係に関わりのない人たちを様々な場所から集めました。そうでもしない限り人が集まらないのです。その点私の店では、従業員の数も多く、仕事ができる人たちが集まっているため、そこが参入障壁となっています。流行ったときに、サービスの質を落とさずに続けていくことが大切なのです。それを可能にするのは、サービスを提供できる人材が揃っているかどうかなのです。

10年後の姿

今後、10年先どうなっていたいですか?

現時点では想像できません。ただ最終目標として、舞鶴に一万人規模の大学を作ることに関わりたいです。田舎の人は、自分の地元に対し買い物できる場所や、ご飯に行く場所がないなどの不満を持っている人が多いです。これらの不満を根本的に解決するには、一万人規模の大学を建てて、若者を呼び込むことが一番だと思うのです。いろんなお店やサービスは、若い人がいるからこそあり、さらにそこで若者が働くからこそ成り立つと考えます。「若い人が強制的に集まる施設=大学」で、それは専門的になるほど人が集まるのです。

後輩に向けてのメッセージ

私が実際に行ったことですが、まず紙に自分がこれまでに「楽しかった!」「面白かった!」と感じた出来事を書き出してみて下さい。そして次に、それのどこが楽しかったかを考えます。私の場合は、運動が好きだったので「体育祭」を挙げました。すると体育祭の、みんなで計画して、その中で次第に絆が出来ていき、成功して、最後は打ち上げで盛り上がって…というその過程が自分は好きなのだと気が付いたのです。その感情を大人のステージで感じられる仕事は何だと考えた時に、自分で店を開けばいいのだと思いました。そうすれば0から計画し、次第に仲間が増え、次第に絆が出来る喜びを感じられるのではないかと思いました。ただ単に好きという気持ちが大事だと思います。
私は、大学生が人生の中で一番、環境に左右されず、自分の将来について考えられる時間だと思っています。将来、この大学時代を振り返った時に、その四年間が自分に勇気を与えてくれたと感じられるような四年間にして欲しいです。そのために、学生がしっかりと自分の将来と向き合える機会や場所を提供する等、学生を支援し続ける大学であったら素敵だと思います。

インタビューを終えて

上林さんは自分で何かやりたいと将来のことを漠然と考えていたが、その後大学を中退し起業されました。まず、その行動力が私達では考えられないことだったのでとても驚きました。一人一人の目を見てお話されていて、真剣に質問に答えてくださっていたのが印象的でした。
インタビューの中で一番心に響いたのは「夢があるので来てください」という言葉です。今の社員の方を誘われたときに直接言われたそうです。現在の従業員の方々は、元の仕事よりも給料が下がってしまうのに、仕事を辞めて上林さんについて行かれました。その言葉を言われたときにどう思ったのか社員の方に実際に聞いてみたいと思いましたが、真剣な気持ちは言葉にして、真剣に伝えれば、相手に伝わり理解してもらえるものだと強く感じました。そして、インタビューを通して、上林さんは人を惹き付け、「ついて行きたい!」と思わせるような魅力を持っている方だと思いました。常に先のことを考え、どう選択すればお店にとって有益なのかを考えることは、決して簡単ではないことではないと思います。上林さんは、地道に一歩ずつ努力を重ね、不安を強みに変えてこられたからこそ、夢を叶え成功されたのだと思います。
インタビューの最後に、自分がどうしたいのかが重要だと仰いました。大学生は将来について考える時間と環境が整っているから、ただ漠然と大学生活を過ごしてしまいがちです。しかし、少しずつでも自分がどうしたいのかを考え、しっかりと自分の将来と向き合う事が大切であると、このインタビューを通して学ぶことが出来ました。
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