経営学部 卒業生インタビュー
ミズノ(株)コンペティションスポーツ事業部 玉山 茂幸さん(1993年卒)

玉山茂幸さんは、大学卒業後1993 年にミズノ株式会社に入社後、10 年はゴルフ営業をされていました。しかし2003年から卓球担当になり、福原愛選手デビューの2003 年からサポートを続けています。これまでの経緯は、テレビ東京『ガイヤの夜明け』でも2回放映されています。1回目が「メダルを支えた…スポーツメーカーの闘い」(2012年8月14日)2回目が「メダルを支えた男たち!~選手を支えた男たち~」(2016年8月30日)です。

インタビュアー

経営学部 佐々木ゼミ:足立 紗弥さん・内田 さくらさん・重實 夢輝さん・中谷 優斗さん・錦部 清織さん・馬明 梨子さん

研究室にて:前列左から重實 夢輝さん・中谷 優斗さん/後列左から馬明 梨子さん・内田 さくらさん・足立 紗弥さん・玉山 茂幸さん・錦部 清織さん
ミズノ(株) コンペティションスポーツ事業部
玉山 茂幸さん(1993年卒)

入社後の苦労

社会人1年目で一番苦労したことは何ですか?

何の知識もないゴルフ事業部に配属されたこと。スポーツ全般が好きで、オリンピックに関わりのあることがしたいという思いがあり、ミズノに入社しました。しかし、最初に配属されたのが、全く経験のないゴルフ事業部で、研修の時に初めて、ミズノがゴルフ事業もやっていると知ったくらい関心のなかった事業でした。ゴルフは覚えることが数多くあり、入社1年目から大学受験の方が楽だった、と思うほどの猛勉強をしましたが、カタログ商品など、ゴルフ経験のない人にはなかなか覚えられませんでした。
しかし、覚えられないからといって営業の仕事をしないわけにはいきません。営業にはノルマがありましたが、当然最初のうちはうまくいかず、その不足分のノルマは、チームの誰かがカバーしなければならないので、他の人から「なんだあいつ!」と言われているような気がして精神的に辛かったです。1年目は、ゴルフがやりたいわけじゃないと思いながら仕事をしていましたが、今になってみれば未経験の競技を担当して会話や知識の幅が広がり良い経験になっています。
私たちも、今後やりたくないことをやらなくてはいけないことが出てくると思います。そこで逃げるのではなく玉山さんの話を思い出し、将来の経験のために頑張っていこうと思いました。
 

大学時代の思い出

大学の間にしておいた方が良かったことや後悔はありますか?

大学生は時間がたくさんあったから、もっと勉強すればよかったと思います。具体的には語学をもっと重点的にすればよかったと後悔しています。オリンピックなどで海外へ行った時に、英語ができないと不便。自分以外の周りの人が英語で会話しているのに、自分だけ理解できていない状況がよくあります。もし語学ができたら、海外でもどのようにして行動すればよいかの判断をするための自己解決能力が上がる。この自己解決能力は、仕事でも重要な能力であるので、語学を勉強することは大切です。
それに加えて、アルバイト経験ももっとしておけば良かったと思います。アルバイトは年代の違う人が集まる場です。だから、そういった場面でどのような振る舞いが必要かをわきまえる力が身につくし、アルバイトだから率先してするべきことがわかるようになる。体育会系の部活であれば、そのような場面が多くあり、このような社会に携わる経験がよりできると思います。
あとは、もう少し旅行に行っておけば良かったと思います。特に海外へ行っておいた方がよかったです。もし今学生なら、語学を勉強しながらアルバイトをして、長期休みに海外旅行へ行っていたでしょう。会社で仕事が活きる人はアルバイト経験の多い人であることがよくあり、そういう人は海外の人と多く接していたり、考え方がフレキシブルな人が多い。しかし、語学ができるからといって仕事ができるというわけではないので、語学はあくまでも手段であるということを知っておく必要があります。

福原愛選手との出会い

ユニフォームを作る時、長く関わってきた人と最近関わった人で対応の差はありますか?

選手対応で気を付けていたことは全員に平等に接するということですね。ヒアリングする時などは一人一人丁寧にできるだけ同じ時間話すように心がけていました。選手の性格は違うから、対応も一人一人全然違います。自社の選手を使用している選手はみんな大事な選手であり、これから使用するであろう選手もしかり。どんな選手、チームにも誠意を持って対応することを心掛けていました。こちらが一生懸命やらないと命がけでやってる選手に失礼ですから。
また、選手には好みがあり、ユニフォームなどは同じ色しか着ないことが多くあります。しかし選手の好みに合わせていたら、同じデザインや色に偏ってしまい、製品が売れず会社としては良くない。そのような場合、いつもとは違った新しい服を着用してもらうために、ストーリーを組み立て、説明して着用に挑戦してもらえるようにします。その変化で、見ている人の目に止まり、その服が売れることが多いのです。
私の仕事はこの製品がどういった商品なのか、どこが選手のニーズにこたえているのか、どんな想いで作っているのかそれを誠心誠意選手に伝えることが一番大事であり、そのために心配りを忘れないようにしていました。またそういった思いの詰まってできた商品はユーザーに響いて売れることが多かったです。

福原愛選手との出会いのきっかけは何ですか?

最初はゴルフ事業部にいましたが、福原選手が日本代表に選ばれるという時に、ユニフォームや靴などを調整・作成することになりました。しかし、それらは競技をするうえで動きに関わる重要な事柄であるため、ケアする時に卓球経験者が担当するのが望ましいだろうということになりました。そこで、卓球経験者の玉山さんが抜擢され、「やります」ということになりました。
福原選手が日本代表になった14歳の時(2002年)から、卓球の仕事をはじめ、福原選手が引退と同時に、玉山さんも選手販促担当から外れた形になった為、選手担当した15年間最初から最後まで引退せず関わってきたのは福原選手ただ一人です。玉山さんは、福原選手をずっと近くから見守ってきました。天才といわれてきた福原選手だが、すごく努力をしてきたからであり、オリンピックに出場している選手はみんなそうです。そういう人生をかけて卓球をしている人を間近で見ていると、自分はまだまだだと感じます。
だから生ぬるい気持ちで接してはいけない、自分も本気で取り組もうというように刺激を与えられました。特に、福原選手は小さい時から、オリンピックでメダルを逃した時も、ロンドン・リオでメダルを取った時も、成長の過程を目にしてきたので、それをともに歩んでこれたというのは人生の財産だと思います。
やはり日本代表になる選手・なれない選手、オリンピックでメダルを取る選手・取れない選手というのは何かが違います。練習態度やあいさつ、普段の対応などが違うと感じます。周りにすごく感謝していて、この人がいるからこういうことができる、ということが言わなくても態度に出ています。
それを肌で感じるから、自分も頑張らないといけないと周りの人をやる気にさせます。選手は、これだけ頑張ってくれているから、この人たちを裏切ってはいけない、結果を出さなければいけないという気持ちになります。それがパワーになり、どれだけの人が心から応援してくれているのかという想いが、メダルへのあと一押しになり、最後に気持ちを押す支えになります。4回ほどオリンピックに行かせてもらってそう思いました。
 

ロンドンオリンピック

2012年、ロンドンで夏季五輪が開催されました。このオリンピックで玉山さんは、卓球女子日本代表チームの福原愛選手・石川佳純選手・平野早矢香選手のサポートをしていました。玉山さんは、選手1人ごとに合うシューズを作るために1ミリ単位の調整をしました。卓球は、反射神経とフットワークが大切なスポーツであり、チャンスボールが来たら素早く体重移動して攻撃に切り替えます。だから、選手が足回りを気にするということは、玉山さん本人も卓球をしていたからこそ分かることです。しかし、シューズの1ミリ単位での調整は多くの時間と手間を要することでした。さらに、福原選手は機能だけではなくデザインも高いレベルのモノを求めており、それを叶えてあげたいという強い思いもありました。これは、15年間サポートしてきてもらった玉山さんにしかできないようなお願いであったと思います。
ロンドンオリンピックでは、ミズノが提供したシューズを履き、日本女子卓球界史上初となる団体戦でのメダル獲得となりました。玉山さんも現地で実際に試合を観戦しており、最後のポイントを取りメダルが確定したとき、目に涙が浮かびました。長年サポートしてきて選手の苦労を知っていたからこその涙でした。

これまでの仕事経験を振り返って

会社の配属に関して、配属先は希望通りにいきますか?

もちろん会社によって違いますが、ミズノの場合、配属は希望通りに行く人もいればいかない人もいます。また希望通りにいった人でも何年かたって変わる場合もあります。玉山さんは希望通りいかず、卓球を経験したことがあったにもかかわらず、最初の配属はゴルフ事業でした。今年入ってきた新入社員も、野球をやっていたのに、他の事業配属という人もいるようです。
それに対して、若かった為全く知識がないため仕事が嫌になったり、文句ばかり言いたくなったときもあったそうです。しかし、自分が経験したことのあるスポーツではない事に携わる事に、希望とは違う仕事に配属されることによって、可能性を広げ、人間関係の輪も広げることができます。若い時にたくさん経験をしておくことで、その後に自分が経験したことのあるスポーツに携わる時にもっと活躍できます。そして、若い時にそのような場を経験する事によって、経験値が上がるため、どこに行っても活躍する場が多くなります。
自分が就職して配属先が希望通りにならない場合、これからしっかりやっていけるか不安になると思いますが、玉山さんの話を聞いて、自分のできることを増やすための修行の場だから頑張ろうと思えるようないい機会になりました。

ミズノで仕事をしてきた事によって、どんな力がつきましたか?

今回のインタビューも含め、質問に対して答えることができる力がつきました。例えば、仕事柄、ミズノの製品を利用する選手に対する契約交渉があり、「このシューズを○○円で買いませんか?」「いや、この値段なら」という契約交渉に対して、その場で臨機応変に対応し、自分の頭の引き出しから新しい策を出せるようになりました。逆に、今もプレゼンが苦手で克服しないといけないと思っています。
講演会のように、一人で一方的に話すことが苦手で、それを克服するためにプレゼン力をつけたいと話しておられました。この質問をして感じたことは、台本がなくても臨機応変に相手との交渉を成立させたり、インタビューにどんどんと答えることができたりするのはすごいなと思った。そしてインタビューをしている時に、すごく丁寧に答えてくださっているのに、まだ課題もあることに驚きを感じました。インタビューとプレゼンは似ていると思っていましたが、実は全然違って、私たちに対して的確な返答をして、丁寧に答えてくださっている玉山さんでも、プレゼンは苦手とおっしゃっていたことにすごく驚きました。

仕事をするにあたっての心構えやプライドとは?

やっぱり若いころと今では、心の持ちようは全然違う。若い時は命令されるばかりで、なぜこんなことをしないといけないのかという気持ちもありました。しかし、それが活きてくる時がありました。当然お金をもらうことは楽ではありません。ノルマを与えられたり、しんどい時も働かないといけない。そのようなときに、給料をもらうことに対して、こんなことを達成したから給料がもらえたという考えになったときに結構楽になりました。
しかし、今はそんなことはありません。若いころは、あいつが悪い、こいつが悪い、景気が悪いからだなど、とにかく他責にしていました。でも今はそんなことを全然考えず、自分の今の環境に対して何ができるかということを考えるようになりました。だからできるだけポジティブに、他責にしないようにというのが仕事に対する気持ちです。このように考えられるようになってから仕事にだいぶ向き合えるようになったと思います。しんどいことは当たり前。働けない人もいるし、病気で倒れる人もいます。
自分は卓球をしていて、ただでオリンピックに行けて、ずっと支えていた選手が目の前でメダルをとる瞬間を見ることができ、お金を出しても経験できないことを経験させてもらっています。そういう意味で恵まれていると思っています。本当に最近こう思えるになりました。やっぱり家族をもっていろいろな心の持ちようも変わります。一人のときは、うまくいかないときはいつでも辞めていいと思っていましたが、家族もできて、子供もできて守らないといけないものができて、私が辞めたらこの子たちはどうなるのかということになるかを考えました。今の与えられた環境でどうにかするしかなく、苦しくても誰も助けてくれないし、もがいてもダメな時もあります。全然ダメな時も、それを立て直すのは自分だから、気持ちの持ちようでいつかよくなるだろうとか、次はこういうことがあるんじゃないかとかいった感じで、あまり引きずらないようにしています。全ては自分の気持ちの持ちようだと。
昔は本当に素直なタイプではなく、なんか言えば口が先に出るタイプで本当に自分自身が嫌な奴だったと思います。しかし、いろいろ苦労はしていました。阪神淡路大震災で、家の下敷きになって死にかけたこともあります。また、翌年に家がつぶれ、家を建て直しましたが、その間に父親が病気で亡くなりました。それがきっかけで、少しずつ自分を見直すことができつつありました。昔は口だけで自分は動かないタイプでしたが、それでは社会では通じないことを知り、また仕事をするうえでいろんな人に恵まれたことで、いろんな人にそういったことを気づかされたと思います。自分の悪いとこを言ってくれる人もいたし、それではだめだと、たたきのめされたこともありました。今は若いころに比べると自分自身本当に変わったと思います。いつ変わったのかはわかりませんが、周りの人が素晴らしかったので、恵まれていました。いろんな言葉に気づかされ、人の関わりが良かったのだと感じています。

仕事ができる人とは?

玉山さんが考える仕事のできる人は、時間をコントロールできる人。どういうことかというと、何かをするため、また目的を遂行するために、何かをしていけば達成できると考えるのではなく、達成するためには何をしなくてはならないかを整理し、目標達成までの絵を描ける人のことです。また、その描いた絵に問題が発生した場合に、次に何をすれば良いのかを考えられる人、瞬時にリカバリー案を考え新たな絵を描ける人が、仕事ができる人だと言っておられました。
この玉山さんの話を聞き、今まで自分が目標達成のためにどのようにしていたかを考えました。今までは玉山さんがおっしゃっていた仕事ができる人とは違い、これをやれば目標達成できるだろうと考えていました。例えば、試験勉強でとりあえず最初から最後までやっていればいいと考え、どこにどれだけの時間がかかるかも考えずにやった結果、最後の方で時間が足りなくなることがありました。範囲のどこにどれだけの時間をかけ、どれだけの時間が必要かと考えていれば、最後の方で時間が足りなくなり疎かになることはなかったと思います。時間をコントロールするということは、仕事だけではなく私生活全てに応用できる考え方だと思うので、これから生かしていきたいです。

将来どのようになっていきたいですか?

卓球との出逢いは中学1年の時でした。1つ年上の兄が卓球をしていたこともあり卓球を始めることになり、部活であったため、最初の半年間はボール拾いばかりで、まともにラケットを握らせてもらうこともできませんでした。その後卓球に熱心に打ち込み、中学3年の最後の大会では、近畿大会でベスト8に入り全国大会に出場しました。この頃が卓球人生のピークだと思っています。兄も中学から卓球を始めて、全国3位になりました。
しかし、良い練習環境に恵まれていたわけではありません。また、良い指導者に指導してもらったわけでもありません。諦めずひたむきに練習に取り組んだ成果であり、また一緒に頑張ってくれたいい仲間と巡り合えことも大きいと思っています。このような経験をしてきたこともあり、将来は地域の子供たちにボランティアで卓球の指導をしていきたいと思っています。そして、私もいつかはシニアの部の大会にも出たい。15年以上ミズノで卓球に関わってきて、卓球が生活の一部であり、これからも仕事とは別でも人生の中で卓球には携わっていきたいと考えています。
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