経営学部 卒業生インタビュー
オゼキ紙商事(株)代表取締役 尾関 好一さん(1996年卒)
1949年創業のオゼキ商事(株)は、岐阜県岐阜市に本社があり社員数26名の中小企業です。業務内容は、印刷用紙などの卸販売、シールなどの加工品販売、オンデマンド印刷、販促品のプランニング、そしてノベルティーの紹介など幅広く行っています。今回、経営学部卒業生インタビューとして創業者である父の後を継ぎ、代表取締役として活躍している佐々木ゼミ第15期生尾関好一さんにお会いしました。幼少より父の働く姿を見て育ち、大学にも進学させてもらい、学生時代は一年間アメリカへの留学経験をさせてくれたことに対する親孝行と考え、東京の王子製紙関連企業に6年間勤務した後、本格的に父の後を継ぎ始めました。
インタビュアー
経営学部 佐々木ゼミ:安達 芙美さん・高柳 壱成さん・谷川 奈都子さん・西谷 絢加さん・藤原 幸平さん


理想は「共育」によって社員全員の力を引き出すこと
会社を経営していく中で大切にしていることは何ですか?
「会社は人に始まり人に終わる」という考えを大切にしています。若くして後継者になった当初は、社員に対して指示ばかり出していたことから関係はうまくいきませんでした。さらに東京勤務時代に学んだ知識ノウハウを受け入れない社員に対して、「田舎者!」という考えを抱いていました。しかし社長ができることは、せいぜい顧客との関係づくりとモノを売り込むことくらいです。紙を運ぶトラックの運転にしろ、拘りの紙の断裁でさえ一人で行うこともできません。社長一人でできることは限られており、社員全員の力が必要であるという当たり前のことに気づきました。携わる社員の力や協力が会社を経営していく上で大切だということに気づきました。
ここから尾関さんは、社員全員に納得してもらって動ける会社にしようと考えました。すぐにこの理想に近づくことはできませんが、経営者と社員が一緒になって育つ「共育」の考え方を実践しています。「共育」を基本理念に、経営者も社員も同じ立場で意見を言い合い、お互い上手にキャッチボールできている関係づくりを目指しています。
人をマネジメントしていくうえで大切なことは何ですか?
尾関さんが社長になって大きく変わったことの一つは、異業種の情報がどんどん入ってくるようになったことだそうです。同業種の世界では、「こうでないといけない」というしがらみが多くあります。しかし異業種と関わることで、自分たちが行ってきた当り前のことが異業種では当り前でないことに気づくことがよくあります。異業種での生産活動や販売活動を自社に持ち帰ると「すごい」と驚かれることもあります。社員の多くは、1日中会社の中で生産活動を行っているのに対して、社長は会社の外に出て異業種と関わることもできます。社長は、あらゆるところで得た知見を分かりやすい言葉で社員に伝えていくことが大切です。会社には根っからの職人さんもいることから、「経営」を「運営」という言葉で言い換えたりなど、常に分かりやすく伝えていくということを意識しているそうです。
「人」による差別化を通じたブルーオーシャン戦略
他社に負けない強み、他社との差別化は何ですか?
ここで尾関さんが大切だと考えているのが「人」による差別化です。例えば、オゼキ紙商事と同業他社であるB社が同じ商品を売っていたとしても、顧客がオゼキ紙商事で買いたいと思えるような「人」との関係性を創ることを基本としています。もちろん顧客との信頼関係は大切ですが、それは目に見えるわけではなく、数値化されるものでもありません。人との深い関係性を築くには時間もかかります。オゼキ紙商事では、他社との差別化をどうしていくかも社員と相談しながら決めています。ここでも社員との信頼関係を基盤に、他社とは違う組織の団結力こそが差別化に繋がっていくのだと考えました。
中小企業にとってのCSRとは
CSRを行うことは、中小企業にとってどのような影響がありますか?
紙を売るという業務以外に、CSRに絡んだことをすると様々な書類申請が入ってくるため社員の仕事が大変になります。それで倍の利益が獲得できるかというと、普通に製品を売る場合と変わらないこともあります。普通に紙を売る仕事のほうが楽なのに、そこに大きな矛盾を感じていますし、そのことを社員に納得してもらうことが最も大切です。
社長として常に考えているのは、「正々堂々と儲ける」ことです。どんな綺麗事を言っても、決算でその期が赤字だった場合は何か原因があり、そこを見ていないということです。極端にいえば、税金を納められないことや赤字をだすことは社会に迷惑をかけていることです。それが一期ならまだしも、二期、三期、四期と続く場合、綺麗事を言う前にその会社のどこかに問題があるということです。儲けることは悪ではないのです。しっかり正々堂々と儲けて、納税をすればそれが住んでいる地域に使われます。役に立ちたい、社会にとって必要な存在でありたい、地元で生活したいと思うなら、まずは正々堂々と儲けることが大事です。
私が社長になったのは2008年10月のリーマンショックの時で、銀行員からも「なぜこの時期?」と驚かれたのを覚えています(笑)。実は夏ごろ父親から「10月には交替して欲しい」と言われていたからなのですが。決算とは会社の通知表のようなものです。黒字の時は社員のお陰。赤字の時は経営者の責任。これくらいの矜持がないと全うできないと思っています。
今までで一番苦労したことは何ですか?
もう一つ一番苦労しているのは「ヒト」です。会社は法人といわれますが、法「人」ということは「ヒト」だということです。そして「ヒト」としての会社は、会社の品格をあらわします。また「ヒト」であることから血液に当たるお金が重要な役割をはたしますが、お金の流れを理解しないことが自分自身の弱い部分です。
「ヒト」でいうと、この5年間で5人退職4人入社という人の出入りがありました。特に4月は新入社員を受け入れる時期でもありますが共育ができず、十分に伝えられないこともありやめていかれる方もいました。この頃は「一体何があかんかったんやろ?」と今でも振り返り、考えることも多いです。 最近の中小零細企業は採用難が続いています。以前は募集をするとすぐに応募がありましたが現在はなかなか反応がありません。「ヒト」については今でも手探りの状態で運営しています。

大学生活をどう過ごされていましたか?
家内も同じゼミ生で、現在は人生や生活のベースを支えてもらっています。この大学に来たおかげで今の奥さんと巡り合えたし、ゼミの先生の包容力があったことで好きなことをさせていただき素敵な大学生活を送ることができました。
ゼミのメンバーとは、在学中一緒にいる頻度が多いと思いますが、これから社会人になると1年に1回会うか会わないかになってきます。仲良しのつもりでも疎遠になる場合があります。一度ご縁が切れることになりますが、誰かの結婚式に呼ばれたり何かのイベントでみんな集まったりすると、またそこで縁を感じます。頻繁に会わなくなってきた今だからこそ、結束力を試されるというのが不思議でした。東京勤務時代に、みんなが忙しくて会えなかったゼミ同期生もいたことが心残りです。自分の大学生活を総括すると、後半は自分なりに勉強したかなと思いますし、良い友に恵まれて、その中の一人は今自分のそばで嫁になってくれているので、悪くなかった大学生活でした。
後輩に向けてのメッセージ
私も社会人でありますが、社会人との接点を作ることが大切です。私は社会人と接点を持たないまま社会に出て行ってしまいました。今は大学教育も変わってきているのでインターンシップなども有効に使ってほしいです。大学という囲まれた安全地帯からなるべく出ていき、そこできれいごとではない社会のドロドロした部分を自分の中でしっかり体験することが大切です。それを持ち帰ると、今自分がやりたいことの方向性が変わってきます。すると残りの学生生活の時間の使い方が変わってきます。そこを知らないと目的のない勉強になってしまいます。なるべく大学外の人と接点を持つ努力をしてほしいです。一番近い社会人は親です。実家に戻った際にでも身近な父や母、いとこ、おじさん、おばさんなどにも仕事について働きがいはあるかなど聞いてみてほしいです。