経営学部 卒業生インタビュー
株式会社音通 代表取締役社長 岡村 邦彦さん(1978年卒)

インタビューに応じてくださったのは、株式会社音通の代表取締役社長である岡村邦彦さん。岡村さんは、京都産業大学時代の友人である仲川さんと1981年に音通を立ち上げました。最初は、レコードのレンタル事業から始められたそうです。その後、音通は事業の拡大や多角化を通じて、現在は東京証券取引所2部上場の企業に成長しています。
このようなキャリアから、訪問前は厳しいお人柄をみんなで勝手に想像して、非常に緊張していました。ですが、実際にお会いしてみると、穏やかで優しい語り口調で、われわれの質問に対して親切に話してくださいました。岡村さんには、京都産業大学経営学部を卒業し、どのような道をたどって起業し、会社を成長させていったのかを中心に話をお聞きしました。

インタビュアー

経営学部 久保ゼミ:坂本 明穂さん、真鍋 隆史さん、吉田 和泰さん

左から坂本 明穂さん、真鍋 隆史さん、吉田 和泰さん、岡村 邦彦社長
株式会社音通 代表取締役社長
岡村 邦彦さん(1978年卒)

株式会社音通とは?

現在、音通は「カラオケ関係事業」「食料品・生活雑貨小売事業(100円ショップ)」「スポーツクラブ事業」「不動産・店舗設備事業(コインパーキング含)」の4つの事業をメインに事業活動を行っています。

各々の事業について、第1にカラオケ関係事業は、業務用カラオケメーカー2社から商品の提供を受け、カラオケ機器の提供だけでなく、出店候補物件の紹介や内装提案までを手がけています。

第2に、食料品・生活雑貨小売事業は、100円ショップの形態を中心にして、直営店123店舗・フランチャイズで6店舗を展開しています。

第3に、スポーツクラブ事業は、株式会社オカモトグループが展開するJOYFITのフランチャイジーとして運営し、内訳は、スポーツクラブ・24時間スポーツジムで8店舗。他には、ヨガスタジオ1店舗を設置しています。

最後の不動産・店舗設備事業は、店舗や住宅の賃貸だけでなく、コインパーキングのビジネスを行っています。

こうして、個々の事業を眺めてみると、授業で習ったシナジー効果(相乗効果)が事業間であるのかどうか疑問を感じて、次の質問をぶつけてみました。


何らかのシナジー効果を複数の事業間で考えられることはありますか?

岡村さんは、以下のように答えてくれました。

「1つの事業がうまくいくと、将来を考えてリスクヘッジをしようということで、いくつかの事業を立ち上げたいという思いが強かったです。新たな事業展開のきっかけは、シナジー効果というよりも、人とのつながりによるものが大きかったです。事業は、生活とレジャーという私達に密着した世界を通じて、新しい文化創造の提案をすることを使命としています。」

「よく企業の寿命って30年って言いますけど、企業自体の寿命が30年ではないのでは。それよりも、ひとつのビジネスモデルが、今でしたら20~30年くらいの寿命だと思います。1つの事業がほんとに儲かる期間って5年くらいで、あと10年くらいが横ばいで、そこから先は右肩下がりになり、最後は残存者利益になるっていうことなんだろうなと。ですからレコードレンタルもいっぱいあって、当時6000軒くらいあったかな。それがもうどんどん減っていって今はもう2社、TSUTAYAとゲオさんしか残らない状態。通信カラオケも11社メーカーがあって、今は2社しか残ってないです。わが社がやっているカラオケ機器のディーラーのビジネスも、M&Aを20社くらいやりましたけれども、おそらく同じように収斂していくでしょう。どのビジネスもおんなじ道を辿っていくんですね。そのビジネスがなくなるか、というとそんな簡単にはなくならないんだけども、生き残れる人はごくわずか。そこに生き残れる人になるかならないかが大事なのでは。」

われわれにとって、ビジネスの寿命というのは非常に興味深い話でした。現在の音通の事業構成では、創業時の事業であるレコードレンタル(CDレンタル含)は含まれておらず、上の考えをもとに売却されたのだそうです。では、岡村さんはどのような道をたどってここまで音通を成長させることができたのか。京都産業大学経営学部時代からお話を伺うことにしましょう。


京産大時代から友人と決めていた“社会に出てから3年後に起業する”

「正直言うと、学生時代には、そんなに勉強していませんでした。ただ、学生の時に、将来起業するというのはすでに決めていました。中学、大学が一緒の仲川と起業したんですけれども、彼と当時から起業するという話はしていました。」

なぜ、学生時代から起業されることを決めておられたのですか?

「元々、何かビジネスをやってみたかったのです。でも、その当時に具体的な内容は決まっていなかったですし、明確なイメージがあって決めたわけではないです。そんなに難しくは考えず、やってみたいという軽いノリから起業しようと。ただスケジュールはしっかりと決めていまして、卒業してから3年後には独立しようと決めていました。そして、3年間で300万円を貯めるということも決めていました。その目標は、2人とも達成して、2年11カ月で会社を辞めました。そして、残りの1ヶ月で様々な準備をして起業しました。」

岡村さんと仲川さんは、中学、大学が同じで、非常に仲の良い友達だったそうです。起業するにあたっての役割分担はどうだったのでしょう。

「私が営業で外回りをして人間関係を築き、仲川が新しいビジネスを見つけてきたり会計を担当したりと、お互いがお互いを補完していて、尊重しあえる関係だ。」と語ってくれました。

レンタルレコード事業のアイデアは、どこから生まれたのですか?

「仲川と3ヶ月に1回はビジネスの話をしていました。そんな中、起業する1年前にどのようなビジネスをするのか決まらないな、と話している時に、当時流行っていたレコードに注目しました。当時、高校生のお小遣いが2000円から3000円くらいだったので、学生にとってレコードは高価なものでした。そこでレコードの貸し借りをビジネスにできないかと。それはおもしろいということになり、色々と調べていると、東京の方で黎紅堂(れいこうどう)という会社が先にやっている、ということが分かって、実際に見に行きました。店舗に学生がゾロゾロと入っていく所を見て、これだなと思いました。それから本格的に取り組もうとしましたね。」

レンタル事業が成長した後、1990年にカラオケ機器を売る事業に参入されました。

「当時、レンタル業界は著作権の権利関係でもめていて、洋楽が一時的に貸し出せなくなった。レンタルの内訳として、35%が洋楽で65%が邦楽だったので、35%の売り上げがなくなれば会社としてビジネスが成立しなくなる。大変だということで、それに代わる35%の落ち込みをカバーしようとカラオケのビジネスを始めた。当時CDを貸していて粗利が16%、カラオケボックスにカラオケ用レーザーディスクを販売すれば粗利が30%あり、ビジネスとしていけると音楽つながりで考えた。」
「レーザーディスクのオートチェンジャーの容量が満杯になれば、2年後に買い増し需要が発生する。そういった需要予測を行っていた。自分たちのなかでは、ランニングビジネスになって基礎の収入が得られるということと、将来にうまく拡大するという予測があった。その後、レーザーカラオケから通信カラオケに技術革新が起こったが、そこもうまく乗り切ることができた。」

100円ショップの食料品・生活雑貨小売事業はどうだったんですか?

「上場した後、会社の経理チェックを行う監査法人の先生が、100円ショップの株式会社ワッツ(Watts)も同時に担当されていた。その先生が、こういう会社があると紹介をしてくれ、100円ショップに興味を抱いてやろうと思った。他社と同じことをやっても意味がないので、当時雑貨が中心であった100円ショップを食品中心の形態でオープンさせた。」 「レンタルレコードも一緒だったんですけど、店開けて、来たお客さんが、「うわあ。こんな店待ってたんや、うれしいわあ。」って喜ばれたんですね。その100円ショップの1号店の時も全く一緒で、「うわ、こんなものが100円で買えるの!」って。当時、ペットボトルとか、カップラーメンとかは、コンビニでだいたい130円とか150円のものが、100円で売ってるわけですから。もうお客さんの絶賛の声だったんですね。だからものすごく忙しかったんですけれども、食品の利益率が非常に低い。雑貨は利益率が高いんですけど、食品は利益率が低いんですよ。ですから、売れども売れども儲かったか儲かってないか初めの数店舗はよくわからなかったですね(笑)」

スポーツクラブ事業の方はどうでしたか?

「人間関係のつながりで始めました。今やってるジョイフィットというスポーツ事業は、北海道のTSUTAYAさんのフランチャイジーであるオカモトグループがはじめられた事業なんです。われわれは、オカモトが取引先であったということから、フランチャイジーで始めました。ヨガスタジオに関しては、昔あった漫画喫茶のゲラゲラとのつながりから、手がけるようになりました。だから人のつながりというのはものすごく大事ですし、それをどう活かしていくかですね。」

学生時代から社会人、そして起業してからもずっと“人との縁”を大切にしてきた岡村社長。「サラリーマン時代に築いた先輩や取引先との人間関係は、今のビジネスにも繋がっている。」と深い人間関係を築く大切さを教えていただきました。
さらに、100円ショップの食料品・生活雑貨小売事業を手がけるきっかけは、監査をしている公認会計士の先生からの紹介であったり、子会社の社長の意見を取り入れスポーツ事業を始めたりというように、現在の「音通」を形作っているのは“人との縁”が重要な要素だと言われているのが印象的でした。


学生へのメッセージ:人との繋がりを大切に

学生へのメッセージとして、岡村さんはこう語ってくれました。
「起業するのは、全員が成功するとは限らないし難しいんですけれども、一回はチャレンジしてほしいなって思います。失敗しても命まで取られるわけではないので。人を騙すようなことさえしなければ復活できますから。」
「あとはやっぱり、人っていうのは物凄く大事なんですね。私自身、ここまでこれた最大の要因は、人に恵まれた、出会いに恵まれたからです。色々な人が様々な事を紹介してくれたり、色々な人が応援してくれたからです。私ももちろん人を陥れるようなことはしていないですし、騙すようなこともしてないですし、逆にそういう目にも合わなかったです。比較的ハッピーにやってこれたかな。」

そして、次のような質問にも答えてくださいました。

最近の学生さんをご覧になって、どう思われますか?

「学生って言っても、自分の身近にいるのは息子なんでね。自分も昔はそうだったかもしれないんですけど、やっぱり頼りなく見えますね。最近思うのは、女性のほうが活発のように思います。男性頑張れって言いたいです(笑)。女性って非常にまじめだし、能力高いので。今の若い人を有能には思っているので、やはり何かチャレンジしてみてほしいなって思いますね。」

なるほど。では、当時の自分に対して言ってあげられることは何かありますか?

「友達はたくさん作れ。友達だけではなくて人とのネットワーク、これが私の中での全ての財産でした。学生時代に勉強することは悪いことではないんですけど、色々な友達と色々な遊びをすることも大切ですね。」
「大学の4年間はあっとういう間に過ぎます。人生は一度きりです。価値ある4年間にするためにも、様々なことを経験してください。」

色々な友人、色々な遊びっていうところがポイントかもしれないな、と感じました。

大阪証券取引所(現在は東京証券取引所と統合)からの上場記念品と一緒に写真を撮ってくださいました。写真では分かりにくいのですが、岡村さんは京都産業大学ネクタイを着用して、お話に来てくださいました!
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