安心・安全時代の不安感:最新の犯罪予防からマスク警察、自粛警察 まで

はじめに

海外ではコロナ禍において犯罪件数の増加が報告されていますが、日本では、2021年に警察が認知した犯罪件数が戦後最低を更新するなど、統計上は安心・安全な社会です。(1)
これに反し、児童虐待、DV(配偶者などからの肉体的・精神的暴力)やデートDV(彼氏・彼女などからの肉体的・精神的暴力、自分の意志に逆らう行為の強制など)、ストーカー事件などの人を対象とした犯罪は大きな減少がみられません。
巧妙化するサイバー犯罪、身近な場所での盗撮、わいせつ事件、いわゆる「京王線ジョーカー事件」のような無差別殺人が相次ぎ、いつ、どこでも自分たちが被害者になるかもしれないという恐怖、不安感により、私たちの「体感治安不安」は高いままです。

刑法犯の認知件数推
配偶者からの暴力相談件数推移

さらにコロナ禍により、私たちの生活は大きく変わりました。感染者が急速に拡大し、それに伴う医療機関の混乱、救急活動の低下、ワクチン接種を巡る一連の騒動が起こりました。また、感染の拡大を防ぐため、人や経済活動が制限され、飲食店の営業制限や、教育の現場ではオンライン講義、部活動の制限が行われました。そして生活では、手消毒、三密を避ける、マスクの着用などが推奨されました。
コロナ禍による社会変化により、今まで隠れていた社会的格差が顕在化したり、マスク、自粛警察と呼ばれる、個人や集団がその正義感から他者に自分の考えを強いたりすることなどが問題になりました。私の学生でも、昼間に自宅近くの公園にいると、知らないおじさんが近づいてきて「コロナ禍なのに外に出て、ウィルスを拡散してはいけない」と言われ、いわゆる自粛警察を体験したそうです。
このNews解説では、安心・安全な生活の実現のため、今、警察がどのような対策をしているか、そして、いわゆるマスク、自粛警察の正体を分析し、社会を覆う不安感の存在について考えたいと思います。

1. 新しい科学技術と犯罪予防

犯罪の事前予防:京都府警の試み

近年の防犯活動は、今までの事後的な犯罪抑止から、事前に犯罪を抑止する方向にシフトしました。それは、調査研究、科学技術の進展により、特定の犯罪を予防・予測したり、犯罪企図者(犯罪を行おうとする者)に直接アプローチしたりすることが可能になったからです。「犯罪が起こりやすい場所、日時」、「犯罪者の心理」の研究が盛ん行われ、犯罪が起こりにくい(犯罪を起させない)環境を整備することで、犯罪を事前に抑止することが実際なされています。
京都府警では以下、事前の犯罪予防を行っています。

①「予測型犯罪防御システムの導入」

過去の警察データなどを基に独自のアルゴリズムを用いて「予測型犯罪防御システム」を開発し、いつ、どこで、どのような種類の犯罪が発生するかを予測し、その地点に警察官による重点的なパトロールを実施し、犯罪企図者に対して先制的な犯罪予防を実施する。

②「犯罪・交通事故マップ」による可視化

京都府警本部のホームページに「犯罪・交通事故マップ」を掲載して、犯罪が発生した場所、日時、罪種を公表し、マッピングすることで、犯罪状況を視覚化し府民にも情報を提供して、警戒を呼び掛ける。

③「環境犯罪学の理論を応用した対策」

盗撮などが多い駅構内のエスカレーターでは、ピクトグラムを使い、犯罪企図者に対する威嚇、潜在的被害者に対する警戒呼びかけ、通行人など第三者に対する注意喚起を呼び掛け、盗撮者に対する監視者としての役割を演じるよう目指す。そして、一人暮らしの女性が犯罪に遭わないように防犯カメラ、照明設備など防犯設備を強化したマンションを「京都府防犯モデル賃貸マンション」に認定して、犯罪企図者に犯行を踏みとどまらせる仕組みを整え、事前に犯罪を抑止しようとしています。

そして、一人暮らしの女性が犯罪に遭わないように防犯カメラ、照明設備など防犯設備を強化したマンションを「京都府防犯モデル賃貸マンション」に認定して、犯罪企図者に犯行を踏みとどまらせる仕組みを整え、事前に犯罪を抑止しようとしています。

一歩進んだ犯罪予防:防犯カメラと顔認証システム

海外では盛んに顔認証システムと防犯カメラ、それにAIやビックデータ解析を組み合わせた犯罪予測、犯罪捜査が行われています。日本でも、昨年開催された東京オリンピック・パラリンピックにおいて、不正入場やテロ対策として、施設への入場に顔認証システムが利用されました 。 (2)

反対の声があったので実現はしませんでしたが、2021年、JR東日本では駅構内、車両内での犯罪防止のため、予め入力した刑務所出所者などの情報を顔認証システムで探知する計画がありました。 この様に、AI技術、ビックデータ解析、防犯カメラなど最新技術組み合わせた犯罪の事前抑止は、今後、個人情報とのリンク、顔認証システムを公共空間で活用することに対する議論はありますが、実現されれば、「事前に犯罪を予防してくれる」、「被害者にならない」という、一定の安心感を私たちに提供し、体感治安不安の改善に役に立つでしょう。

犯罪の事前防止の限界:人による介入の重要性

しかし、コロナ禍で増加した犯罪である児童虐待、DVなどは、加害者の多くが「家族」や「顔見知り」であり、最新技術や防犯カメラを駆使しても予防が困難です。リスクがあると予測される家庭やカップルをAIやアルゴリズムを使いピックアップし注意を喚起できますが、あくまで「推測」される状態です。 家庭内にカメラを設置することで、カメラ撮影している場所での虐待や暴行予防、万が一犯行が行われた場合にはその証拠にはなるでしょう。 しかし、カメラがない場所での犯行は防げませんし、犯罪が行われたということは被害者の存在を意味し、肉体的、精神的、経済的なダメージを負ったことになります。 これでは犯罪者を捕まえても意味がありません。特に心に負った傷は癒えないのです。
結局は警察官、児童相談所職員などの専門的知識を有した人による判断、介入が必要です。対面による面接、交番・駐在所の警察官の日常の活動による地域の実態把握を行い基礎的な情報を収集し、いざ、事件性が高まれば、生活安全、刑事部門などの専門性の高い警察部門との連携が必要となります。

2.「マスク警察」、「自粛警察」のメカニズム

コロナ対策と警察

最大のコロナ対策は「人と人の接触を避ける」ことです。日本では大型集客施設、飲食店に対する営業時間制限、通勤・通学の人混みを避けるため、会社ではテレワーク、大学ではオンライン講義が進みました。

海外では人の流れ、経済を完全に止める「ロックダウン」という都市閉鎖や夜間外出禁止令の発令、日本とは異なりマスク着用やワクチン接種が一部義務化される等、警察官がコロナ対策に積極的に参加しました。
マスク未着用者に対する罰金の徴収、ロックダウン時にはきちんと飲食店や店舗が閉店しているかの確認、ワクチンパス制度が導入されると、偽ワクチン接種証の取締りが仕事内容に加わりました。
このように警察がコロナ対策で決められた規則を、市民が順守しているか確かめ、コロナウィルスの感染拡大を防ぐ、公衆衛生分野において警察が活動しました。

日本ではコロナ対策分野において、強い権限を警察官に直接与える法律が存在しません。このため、緊急事態宣言時などにおいては、警察官が自治体の職員と共に注意喚起のため飲食店を回ったり、通常のパトロールの一環で繁華街において、帰宅を勧めたりするぐらいの活動しかできませんでした。こうしたコロナ対策において警察官の役割があいまいな中、登場したのがマスク、自粛警察でした。一般人がマスクを着用していない人物に対し着用を求めたり、外出している人に帰宅するように促したりする現象です。
時には他人に行動を強制し、罵詈雑言を浴びせかけるケースもあったようで、社会問題化しました 。(3)
一体、この現象は何なのでしょうか?

社会統制論から見たマスク、自粛警察

マスク、自粛警察に関し、心理的な面から分析したものがありますが、本解説では、社会統制論という理論を利用し説明します。社会統制論とは社会や集団の秩序を維持するために、個人の行動を規制し、同調圧力などにより規則を順守させることです。
そして、この規則を順守しないことを「逸脱」と捉え、逸脱者に制裁(賞罰)を加えて、規則を守らせます。この社会統制には内部的、外部的社会統制の2類型が存在します。
内部的社会統制は個人が自身のモラル、道徳により社会や集団の規則を順守することであり、外部的社会統制は外部の制度、組織が個人に圧力をかけて社会や集団の規則を守らせることです。
外部的社会統制はさらに非制度的、制度的に分類されます。非制度的外部社会統制は、地縁団体(町内会)など、公式制度ではない集団が、自発的、直接的な圧力、私刑などで、個人に社会やその個人が属する集団の規則を守らせるように作用します。
例えば地域でごみの出し方を守らない人物(逸脱者)がいると「村八分」などにより、近所づきあいを絶つ(無視、ごみ捨て場を利用させないなど)という制裁を加え、ごみ出しルールを順守するように直接圧力をかけます。
一方、制度的外部社会統制は法律などに基づいた公式な制度で、裁判所や警察がこれに該当します。裁判所は裁判官がその良心に従い、憲法、法律に基づき裁判を行い、判決が下されると、その判決には従わなければならないという強制力が生じます。

警察は法律で決められた範囲において活動を行い、犯罪予防、各種法令に違反した人物を捜索したり、証拠を収集したりして、犯人を逮捕、拘束して、人の自由を奪うことができ、場合によっては拳銃の使用も認められています。 では、マスク、自粛警察は社会統制のどの類型に該当するのでしょうか?義務ではないが、ルールとなったマスク着用や行動の自粛を促し、個人の利益でなく、コロナウィルスの感染を防ぐという、社会全体の利益を確保する側面が存在し、「マスク着用、行動制限は義務ではないが、大多数が賛成している」ということを背景に、他者にルールへの同調を求める「同調圧力」を利用した非制度的外部社会統制に該当するように見受けられます。

そして、コロナ対策の分野において、制度的外部社会統制(公式な統制)である警察に(マスク着用の取締りなど)権限がなかったので、それを補うためこの非制度的外部社会統制(非公式な統制)の役割が高まったのです。
日本の場合、マスク着用や飲食店の営業自粛・利用は、基本的に各個人の判断に任されました 。(4)

着用や自粛は、個人の意思や他人に迷惑をかけてはいけないという私たちのモラルに訴えるという、内部的社会統制にも重点が置かれました。
何故なら、「人に迷惑をかけてはいけない」という考えにより、着用や自粛に関して人々の間に「内面化」という現象が進んでいたからです。

「内面化」とは個人が社会や団体の価値観や規則を自分のものとして受け入れることです。既にインフルエンザや花粉症対策で、特にマスク着用が多くの人に内面化されていて、習慣となっていました。このため他人から命令や圧力をかけるというやり方のマスク、自粛警察に対する反感が生まれました。
加えてマスク、自粛警察は、あくまで個人の判断であり、その基準が不透明な点も、私たちに懐疑心を抱かせました。これらがマスク、自粛警察に対するモヤモヤ感の原因です。

海外におけるマスク、自粛警察

では、法律によりマスク着用義務化、外出制限を実施した海外では、マスク、自粛警察は発生しなかったのでしょうか。

最初に、なぜ海外ではマスクの義務化、厳格な外出制限を実施したのかを考えましょう。それは、日本と異なり、個人の内部的社会統制に訴えることが難しく、欧米諸国では一般的に個人の権利意識が強く、政府が「要請」(お願い)しても、素直に受け入れてもらうことが難しいからです。
特に、マスクに関しては、欧米諸国ではマスクをする習慣がない、つまり内面化されていなかった。さらに「マスクにコロナ防止の効果はない」、「義務化は政府の陰謀で、個人をコントロールする手段だ」などという否定的な考えやデマが根強く、マスク着用に対する憎悪さえ存在します。これでは個人のモラルに訴える内部統制に頼ることができません。
そこで市民が守るべき義務や外出制限という規則を公式に整え、制度的外部社会統制(警察)の役割を強化し、これに違反する人物を逸脱者として、正式に処罰する仕組みを整えたわけです。

海外では法律で違反者を正式に処罰することができるので、「通報」(密告)するという形態で、マスク、自粛警察が現れました。
フランスではコロナ禍の一時期、警察への電話通報のほとんどが「近所の何某さんが外出禁止を順守していない」で占められた時期がありました。
イギリスでは外出制限中に外出している女性の車に、ある日、手紙が置かれました。内容は「私はあなたを監視している、外出制限中にあなたは、頻繁に外出していて、通報済みである」という趣旨が書かれ、彼女は隣人に監視されている、通報されたことにショックを受けました。
何故なら、彼女は看護師で、外出制限中でも外出活動が許され、コロナ感染のリスクのある現場で人命救助に奔走している人物でした。(5)
この「通報」(密告)制度は政府により奨励されたものではありませんが、非制度的外部社会統制として、マスク着用や外出制限を個人に順守させる役割(通報される恐怖や罰金を支払わないといけないという威嚇)を一部担う場合があります。
しかし、前述のとおり、通報者が「こいつが違反者(逸脱者)」だと思っても、実際はそうでないという間違いが発生すること、監視されているという恐怖感、隣人との人間関係や信頼関係に大きなダメージを与えるという大きな欠点が存在します。
だから、裁判所、警察といった制度的外部社会統制機関(公式な統制)が独占的に捜査、監視、逮捕、裁判という行為を、公平、平等、客観的、科学的、透明性、説明責任を以って行う必要があるのです。

まとめ

犯罪予防とマスク、自粛警察について解説しましたが、共通するのは「不安感」です。
犯罪に遭うかもしれないという不安、コロナに罹るかもしれない不安。不安を取り除くのは心理的側面もありますが、犯罪に遭わない環境、コロナを拡大させない環境を作ることで、「体感(治安)不安感」を減じることです。
しかし、これがなかなか難しいのです。

例えば、コロナ禍以前から犯罪件数は減少に転じており、コロナ禍での活動減少により、更に犯罪件数は減っています。しかし、人々の間に犯罪に対する不安感が根強く存在します。
また、コロナのようなパンデミック(世界的大流行)は100年ほど前にも、スペイン風邪を経験し、多くの死者を出しました。
実は私の曾祖父、曾祖母はスペイン風邪で亡くなり、幼かった祖母は一度に両親を失い、兄と共に孤児になりました。海外では、医療関係者の親がなくなり、子どもが孤児になり、ケアが必要であるという話を聞きますが、日本では同様なケースはあまり報道されていません。
つまり、この様な悲劇はかなり抑えられているわけです。なぜなら100年前に比べ、ウィルスを分析して、素早くワクチンを開発し、治療法の研究が進み、高度の医療体制が整っていて、コロナの拡大、死亡者を抑えているからです。

ではなぜ、この不安感が拭えないのでしょうか?
それは、昔に比べれば安心・安全な時代であるにもかかわらず、私たちが、さらなる安心・安全を要求するからです。
例えば、掃除で窓ガラスを拭くと、拭いていない部分の汚れが気になります。さらにそこを拭いてきれいにすると、今度は他の汚れが目に付き、延々これが続いていきます。これと同じことで、犯罪件数の減少、医療体制の充実、社会福祉が実現されているのに、私たちは新たに不安感を得て、さらなる安心・安全を求めているのです。

ですから、警察、行政機関や医療機関はこれら脅威を減じていく地道な活動により、私たちの不安感を取り除く活動が必要でしょう。そして、私たちにその活動に関する情報を積極的に広報し、透明性を確保することが重要です。
また、私たちが防犯ボランティア活動などに参加、コロナ対策に寄与することで、警察・行政などと共に安心・安全を創出する役割を担うことにより、自身の不安感を減ずることができるでしょう。

 

浦中 千佳央 教授

警察学・社会安全学


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