感染症対策と憲法

はじめに

大学というところは、学生が自分で興味をもったことについて、各学問分野の専門家である教員に気軽に質問できるところがよい点でしょう(学生が思ったように教員が答えてくれるかどうかは、質問にもよるでしょうが)。

新型コロナウイルス感染症が広がって以来、学生さんから次のような質問を受けることがあります。感染症の拡大を防ぐために、欧米では罰則をともなう外出制限等(いわゆるロックダウン)を含む強い規制がおこなわれることがあるのに対し、日本ではそのような強い規制はおこなわれません。これは憲法の違いによるのでしょうか、と。

憲法の専門家の立場からしてみると、これは答えるのがけっこう難しいご質問です。このことについて、すこし説明したいと思います。

1. ロックダウンは可能か

まずは、「憲法の違いによるものではありません」と答えることができます。

欧米の憲法でも、日本国憲法でも、移動の自由や集会の自由、営業の自由などの基本的人権を保障していますが、正当な公共の利益を得る目的があれば、そのために必要かつ合理的な人権制限は認められます。どのような目的で、また、どのような条件でどの範囲まで自由を制限するのかは、国民の民主的な議論をふまえて、議会(国会)が法律によって定める必要がありますが、その法律によってなされる規制が必要かつ合理的な範囲にとどまる限り、憲法は自由制限を許容しています。

公衆衛生上の利益は、いずれの自由との関係でも正当な公共の利益といえるでしょう。このような点について、同じく立憲主義を採用する欧米の憲法と日本国憲法の間に大きな違いはありません。

したがって、日本国憲法の下でも、感染症の拡大を防いで国民の生命や健康を守るために、行政が外出制限などを含む強い規制をおこなうことは、国民を代表する国会がそのような権限を行政に与える法律を定めれば可能です。そのような法律は、規制によって得られる公共の利益と、規制によって失われる人々の権利自由の程度との間で、均衡(バランス)のとれたものにする必要があります。「必要かつ合理的な範囲」というのは、そのような意味です。

2. 自由と規制のバランス

感染症にはその生命・健康への危険度や感染性などについて多様なものがありますから、感染症(病原体)の性質等に応じて、規制により得られる利益と規制により失われる人権・自由の均衡(バランス)を考える必要があります。

たとえば、毎年流行していたような季節性インフルエンザの感染拡大を防ぐために、外出制限までおこなうのはやり過ぎだ、つまり、均衡がとれていない、と多くの人は考えるでしょう。他方で、その性質等がよくわからない未知の感染症もありますから、均衡をとるのは常に容易なことであるわけではありません。法律は、そのようなことを考慮して、規制が均衡のとれたものになるように策定されなくてはなりません。

諸外国で見られる感染症対策としての「緊急事態宣言」は、立憲民主制の伝統において、(さまざまなタイプがありますが、概して)そのような自由と規制の均衡をうまくとるための、法律によって設けられる工夫のひとつといえます。

つまり、通常よくあるタイプの感染症であれば、限られた範囲の自由制限で対処可能であることが多いでしょう。しかし、しばしば未知の、しかも多くの国民の生命・健康に重大な危険を及ぼすおそれがある感染症については、通常の局面における対処とは異なり、強い自由制限が広範に必要になることがありえます。

そのような場合に、通常とは異なる危機的局面であることを国民に公示するとともに、期限を区切って一部法令の効力の停止やいわゆるロックダウン等を含む強い自由制限を認めること、他方で、その規制手段の必要性・合理性等について議会による統制を含めた厳しい監視・審査の下において、行政の恣意を防いで自由と規制の均衡をはかることが、「緊急事態宣言」の制度の意義だと考えられます。

このような制度は、日本国憲法の下でも法律により定めることができます。それは、強い自由制限をおこなわざるをえない非常時にも、なお自由で公正な社会を維持しようとする立憲国家の「かまえ」です。

3. 理由と議論にもとづく統治

出典:厚生労働省HP

ただ、日本の現行法における「緊急事態宣言」はやや異なる性格のものといえそうです。2021年に改正された新型インフルエンザ等対策特措法についてここでは説明できませんが、日本では、感染症危機に際して強い自由制限を認めつつ、その必要性・合理性を議会などが厳しく統制するしくみを定める法律は、設けられてきませんでした。

なぜそうなのかは、感染症対策に関する歴史的経緯もあり一概には答えにくいですが、ひとつには、日本では、強制的な自由制限によらない「お願い」「協力要請」といった手法で、多くの国民・企業等がそれに従ってくれるということがあるでしょう。しかし、それは同調圧力によって「自粛」を事実上強いる(私的制裁や差別を招く)不透明な手法であるとの指摘があります。

また、それともつながりますが、ひとりひとりの異なる個人の意見を出発点に、理由を示した議論によって正当な政策を暫定的に発見・決定するという立憲的な統治のしくみが、必ずしも日本に定着していないことも原因といえそうです。感染症対策として(それに限りませんが)どのような政策が適切であるのかは、科学的な根拠にもとづいて、多様な立場からの理由にもとづいた意見を集め、議論して決定しなければなりません。最初から「正解」を知る人がいるわけではないのです。

そこで重要になるのは、「批判」です。あるひとつの視点から合理的だと考えられる政策が、異なる視点から批判を受けて正当性を吟味され、その上でしかるべき手続で妥当な政策が決定されること、そして、いったんなされた決定も、批判に開かれ、誤っているかもしれないものとして見直しがなされることが大切です。たとえば、感染症を抑えこむ視点に偏れば、経済や人々の交流の維持回復への配慮がおろそかになるかもしれませんし、その逆もありえます。とくに新しい感染症に対処するには、緊急に暫定的な対処をした上で、常に不定性をともなう科学的知見を更新しつつ、政策を検証、改善していくことが必要になるでしょう。

「批判」を含む「議論」(正当性の吟味)を制度化したものが、立憲的統治における権力分立だともいえます。通常とは異なる強い自由制限には、何を目指すものなのか、それが本当に目的に資するのか、得られる公共の利益と均衡がとれているのかについて、その説明が国民に対してなされるとともに、緊急性にも配慮しつつ(したがって事後的にでも)、内容的にも手続的にも通常以上の厳しい吟味が必要です。

4.「この国のかたち」

出典:厚生労働省HP

しかし、政策を正当化する理由の説明と建設的な批判による議論というものが、日本では難しいようです。日本でも、理由と議論にもとづく統治に向かう努力が綿々とはらわれてきました。たとえば、情報公開制度や公文書管理制度の整備は、その近年の成果といえます。けれども、いわゆる「空気」が支配する無責任体制や、行政の判断が無謬(ムビュウ…理論や判断に間違いがないこと)のものだとされがちである(それは批判する側にも問題がある)ことが、従来から指摘されてきました。

さらに、近時、理由を説明せず、質問にも応答せず、批判自体を政府中枢があからさまに嫌うようになってきたようにみられることは、立憲的統治における合理的な政策形成にとって深刻な事態でしょう。理由をともなわない政策は、短期的な世論(一部の「大きな声」の可能性もある)の反発を避けることを主眼に、場当たり的なものになってしまいます。

これを「この国のかたち」としての憲法の問題だと捉えると、冒頭の「憲法の違いでしょうか」というご質問に(先ほどとは異なり)「そうともいえます」と答えることができます。日本国憲法が採用する標準的な立憲民主制のしくみと、歴史の中で形成されてきた実際の日本での統治のあり方には、ずれがあります(どちらがよいという話をしようとしているのではありません)。

要するに、大規模な人権制限を政策的選択肢とするだけの立憲国家としての準備が日本にあるのかが問題となるわけです。それが本当に必要なら憲法上可能ですが——そういえる理由を示し、決定者が責任を負う。異なる立場からの批判を受けつけて応答し、検証する。独立機関が審査する。そのようなことが日本の政治においてどこまで実現できるか、ということです。非常の事態に対する準備が必要ないということはないはずですが、紙に法律の条文を書いただけで実現するわけではありませんから、そのような法律を定めることを避けてきた先人たちは単に愚かだったとはいえないでしょう。

おわりに

ご質問への回答はさしあたり以上です。では、今後どうしたらよいでしょうか(念のため述べておけば、この文章は、現下のコロナ対策として強い自由制限が必要かどうかについて述べるものではありません)。国家の意義・役割を再確認するとともに、「わきまえない」「忖度しない」個人を大切にすることが出発点だと思います。この先は、行政国家に対する統制と信頼、行政権を担う内閣と行政官僚の関係、また専門性と民主制の関係、中央政府と地方自治体の関係を含め、さまざまな問題がまちかまえています。いずれにせよ、公共的な「議論」にもとづく統治のしくみを構想・実現することが、社会における「ものの決め方」を定める憲法の課題です。

社会での諸問題は、簡単にわかりやすい「答え」があるわけではありません。まずは、世の中どういうふうにできているのか、よく見てみましょう。これが、結構ややこしいのです。そのややこしさに気づくことが、大学での勉強の第一歩です。


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