【法学部】「好きなこと」を見つけて仕事にしよう!~NHK報道局チーフカメラマンがジャーナリストとして培った社会を見つめる心の目~

2023.07.07

NHK報道局のチーフカメラマン・ディレクターであり、本学卒業生の川﨑 敬也氏が、法学部のイベント「旅と映画と音楽と 〜私が“ジャーナリスト”になるまで〜 講演会&座談会」に登壇されました。第1部では、学生時代から現在までの歩みとジャーナリストの仕事について、第2部では、事前に募集した質問に対してイベントを主催した法学会学生委員会の学生との座談会が行われ、学生との積極的な対話が印象的でした。

(学生ライター 文化学部3年次 佐々木 大輔)

NHK報道局チーフカメラマン 川﨑 敬也氏

「どう生きるか」自分自身を見つめた学生時代

1999年、京都産業大学に入学された川﨑氏ですが、入学当初は、1年浪人して志望校を受け直すか、真剣に悩んでいたそうです。しかし、「最終的に自分自身が欲しいのは学歴なのか、それとも本当にやりたいことをやって生きていく人生なのか。こんなことで悩んでいても仕方がない。それより自分が今やりたいことを真剣にやってみよう。その上で、人生において自分がどう生きるかを考え、未来を切り拓いていこう」と決意し、大学時代に2つのことに打ち込まれました。

1つは「映画を撮ること」です。川﨑氏は、高校時代に見たスピルバーグ監督の映画「シンドラーのリスト」に感銘を受け、「映画には歴史を伝え、世界を変えていく力がある」と考えるようになったそうです。大学では、自分でも映画を撮ってみたいと考え、映画研究部に入部されました。また、映画を撮ることを通じて、映画における音楽の重要性に気付き、後にシンガーソングライターとして活動されるきっかけにもなったそうです。

もう1つは、「世界を旅すること」でした。当時川﨑氏は、将来は世界を変える仕事がしたいと考えていました。しかし、いくら机に向かって勉強をしていても、世界を理解することはできないと思い、世界を自ら旅することを決意されました。睡眠時間を削って深夜のガソリンスタンドやトラックの陸送などのアルバイトを掛け持ちしながら渡航資金をため、4年次生の時に大学を1年間休学。世界一周の旅に挑戦されました。「映画を撮ること」と「世界を旅すること」を通して川﨑氏が気付いたことは「伝えることの大切さ」と「自分がいかに恵まれているか」ということでした。世界にはそれぞれが置かれた環境の中で自分の努力だけでは「自分がやりたいこと」を実現できない人がいる。改めて自分自身を見つめ、どう生きるかを考える機会となったそうです。

学生に語りかける川﨑氏

ジャーナリズムへの挑戦~アメリカ同時多発テロ事件~

2001年9月11日、アメリカ同時多発テロ事件が発生しました。当時26歳。大学を卒業して上京し、就職したベンチャー企業を退職後、アルバイトで食いつなぎながら音楽活動に没頭していた川﨑氏でしたが、ニュースを見て衝撃を受けたと同時に、世界の現実に対して自分は何もできないという無力感を覚えたそうです。その後テロの報復として、アフガニスタンで多国籍軍による無差別空爆が繰り返され、いつか旅先で出逢ったような名もなき子どもたちの命が奪われていく。自分は今、その姿をただテレビのモニター越しに眺めていることしかできない。「このままではいけないのではないか」。川﨑氏は、テロ事件の後に英語を猛勉強。半年間でTOEIC400点から900点台にスコアを伸ばし、英語力を生かして、英字新聞社ジャパンタイムズで働き始めました。

川﨑氏は当初、マスコミは事実を伝える媒体というイメージで「現実をただ伝えているだけ」と考えていたそうです。しかし、実際に新聞社で働いてみると、事実を伝えるだけではなく、現実からストーリーを見つけて伝えることができることに気付きました。世界の現実の中からストーリーを見つけ、自らの視点と言葉で伝える。さらにそこに「音と映像で伝える」力を加えることができれば、これまでの自分の経験や強みを生かすことができるのではないか。そう直感的に感じたそうです。これまで打ち込んできた「映画や音楽をつくること」と「世界を旅すること」という経験が「仕事」と結び付いた瞬間でした。その後、フルブライト奨学金に3回の挑戦を経て合格し、アメリカの大学院でジャーナリズムを専門的に学ばれました。大学院での学びは「人間は、2年間本気でやればここまで変わるのか」と感じるほど、実践的で有意義な時間だったそうです。

講演中の様子

人生の転機~目の病気になって見えたもの~

帰国後、川﨑氏はNHKに入局されました。厳しいながらも、これまで培ってきた経験を生かして和歌山や沖縄に赴任し、東日本大震災の取材にも携わり、報道カメラマンとして活躍されていましたが、2013年に転機が訪れます。網膜色素変性症という目の難病が進行していることが判明したのです。カメラマンなのに視野が徐々に狭くなり目が見えにくくなっていくという事実は、川﨑氏にとって「これまで頑張ってきたことは、全て無駄だった」と感じさせるほど残酷な出来事でした。カメラマンとして“致命傷”を負い、いったいこれから何を撮ることができるのか。「全てが終わった」と思い、カメラマンを辞めようと決意したこともあったと語ります。

しかし目の病気になり、川﨑氏の考え方や視点に徐々に変化が生まれました。それまで川﨑氏は「自分の努力で乗り越えられないものはない。乗り越えられないとすれば、自分の努力が足りないだけだ」と考えていたそうです。その考え方は、ともすれば人や社会に対しても同じで、どこか世の中や人を冷たく見ていたかもしれないと振り返ります。しかし、目の難病を患ってからは、「世の中には、自分の力ではどうしようもないことと向き合って生きている人がたくさんいる。そもそも自分がこの仕事の中で向き合うのは、災害や事故など、ある日突然、“自分の力ではどうにもならない”状況に巻き込まれて、その後の人生と向かい合っている人たちではないか。今までの自分は、本当にそうした人たちの気持ちに思いをはせることができていただろうか」と考えるようになったそうです。そして川﨑氏自身も“自分の力ではどうにもならない”病気とともに生きることになったからこそ、他人事ではなく、さまざまな境遇に生きる人たちの気持ちが以前よりも深く理解できるようになったと感じる瞬間が多くなったと言います。「物理的な意味での視力を日々失い続けているが、それによって、“心の目”を見開くチャンスを得ているのかもしれない。このピンチをチャンスに変えて、より深く社会を見つめる心の目を養っていこう」。川﨑氏のジャーナリズムに、大きな変化が訪れた瞬間でした。

「好きなことを仕事に」学生に伝えたいメッセージ

講演の最後に「皆さんには、好きなことを仕事にしてほしい」と川﨑さんは語られました。「大学という場所で得られる時間をどう使うのかを大切にしてほしい。社会に出て、最終的に問われるのは、ある物事にどこまで熱心になれるか。努力しなくても、そのことばかりを考えてしまう・・・そんなことを仕事にしてほしいです」と、受講生に対して熱いメッセージを贈られました。

~人生を切り拓くヒント~

①やらないで後悔するより、やって後悔しよう(きっと後悔はしないから)。
②お金と時間で迷ったら、挑戦する気持ち(時間)を尊重しよう。時間は返ってこない。
③進んで恥をかく。恥をかけば成長する。
④ピンチは最大のチャンス!
⑤人生に失敗はない。まだ成功していないだけ。
⑥君の前に道はない。その後ろに道ができる。
⑦“have to”ではなく、“want to”で生きよう。
⑧好奇心を武器に、世界を広げよう!

学生の反応

講演中、講演終了後を問わず、積極的な学生が目立ちました。川﨑氏の経験に関することやマスコミ業界や進路に関することなど、さまざまな質問が飛び交いました。質疑応答は講演終了後にも続きましたが、一人一人の質問に真摯に答えておられました。

講演会中質問する学生
講演会中質問する学生
講演終了後 質疑応答の際には長蛇の列が
質問に答える川﨑氏

「将来どんな自分になりたいか」。そんな悩みを抱えている人は少なくはないのではないでしょうか。これまで川﨑氏は、たくさんの挑戦と努力をしてこられました。その根底にあるのは「やりたいことをやってみる」という1つの思いだと感じます。大学生には4年間という時間があります。時には焦ることも必要ですが、やりたいことをやってみて、自分の生き方を見つける。川﨑氏のお話を聞き、一度立ち止まって考えてみるのも良いのではないかと感じました。

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